プロフィール
Sgt. Saunders
Sgt. Saunders
少ない軍資金でコツコツ集めてウン十余年。
基本はWWⅡUS​陸軍歩兵科です。US​WWⅠ​モノ、朝鮮戦争モノ、ヴェトナム戦争モノ、WWⅡドイツ軍モノ、大日本帝国海・陸軍モノにもチョロチョロ手を出す癖アリ。
また軍用銃、特にWWⅠ以降のUS・ドイツのものに深い興味があります。
Have been interested in the accoutrements of U.S. infantrymen, heavy emphasis on WW2. Also in those of The Third Reich.
好きなTV映画(Favorite TV movies):COMBAT! 、OK捕虜収容所(Hogan's Heroes)、特攻・ギャリソンゴリラ(Garrison's Gorillas)、ラット・パトロール(The Rat Patrol)、M*A*S*H、頭上の敵機(爆撃命令)(12 O'clock High)、0011ナポレオン・ソロ(The Man from U.N.C.L.E.)バンド・オブ・ブラザース(The Band Of Brothers)など。
好きな映画(Favorite films):チャップリンの独裁者(The Dictator)、プライベート・ライアン(saving private ryan)、フューリー(Fury)など。
QRコード
QRCODE
< 2017年10月 >
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
オーナーへメッセージ

コレクション ブログランキングへ

2017年10月08日

ドイツ軍機関銃用弾薬ベルトリンク・その2(Munitiongurt für Maschinengewehr:Nr.2)

みなさん、こんにちは。
朝晩の虫の声が秋の到来を教えてくれますが、当地大阪は日中は気温が26度近辺までに達し、なかなか秋の涼やかな気候にはなりません。
隔週日曜日正午の投稿を目標にしている当ブログ、仕事・体調絡みの理由で、なかなか思い通りにいきません。


さて、今回の投稿は もう3年ほど前に投稿したもの(←クリックすると別ウィンドウで開きます)の「続編」です。3年も空けて何が続編じゃと仰るのも当然です。申し訳ございません。

↓これ何? ドイツ軍の歩兵用主力機関銃であるMG34・MG42用の50連給弾ベルトリンク(Munitiongurt für Maschinengewehr, Zwischenstück für 50 Patronen)を、長ーく伸ばしたままでは収納に困るので、前後に少しずらしながらクルクルとこのように巻いています。

幾つかある中からグリスをある程度奇麗に拭っているモノを見て行きます。「その2」とのタイトルですが、単なる画像の羅列になりそうな予感…。

↓ほどくとこの様になります。カートのリム部に噛むツメをカート本体を掴む部分に嵌めて巻き上げています。


↓リンクは50発分が一本になっていて、この末端にあるタブを使って別のリンクに連結できる構造になっています。連結の仕組みについては、もう3年ほど前に投稿したものの上から1/3ぐらいのところで詳解していますのでご覧ください。


↓そのタブに製造年月、アルファベットか数字による製造者秘匿コード、ヴァッフェンアムト(Waffenamt)等の刻印が打たれており、いつ誰が製造したのかを突き止める材料になります。それらの刻印のうち、幾つ刻印されているかはその時期により異なります。この個体には「dwc」とあり、ノルトライン‐ヴェストファーレン州リューデンシャイトにあったDr. Ing. Böhme und Co.製であることが分かります。刻印はこの「dwc」だけです。


↓こちらはまず「bkg」とあり、鉄道模型で有名なゲッピンゲンのメルクリン社(Märklin & Cie., Gebr., GmbH )製であることが分かります。次行に「8.41」とあり、1941年8月製造であることを示します。さらに…、


↓その下にWaffenamt(以下WaAと略します)の刻印。ただ、「WaAB71」と読めるのですが、手持ちの資料にはこのWaAコードがMärklin社であるとするものが無いのです。今後の研究にその究明を委ねます。


↓この個体には「12. 41」と1941年12月製造を示す刻印とそのすぐ下にWaAの刻印が...


↓「WaA279」とありますが、これは1941年12月の製造であれば、チューリンゲン州オードラフ(Ohrdruf)のG.J. Ensink-u. Co.の『軍装備品特別工場』製と判断できます。但しWaA195とWaA183というコードも1941年中に同社に割り当てられています。また逆にWaA279は別の年にはまた別の複数のメーカーに割り当てられています。このようにWaAコードは異なる年度で、場合によっては同一年中に別のメーカーに割り当てられましたので、製造者を特定する上で製造年と一体にして考察しなければなりません。


↓この個体ではWaAの鷲部分がうまく刻まれておらず、「WaA710」のように見えます。WaA710ならばベルリンの「Siemens-Schukert-Werke AG」社製を示します。さらにその下に…


↓「5. 40」と、1940年5月製造を示す刻印があり、さらにその下に…


↓「993」と刻まれているのですが、これが分かりません。手持ちの資料には、993がどの製造者であるのかを示すものがありません。因みに製造者秘匿コードは、1940年頃に数字(2ケタ或いは3ケタ)からアルファベット(2文字或いは3文字)に変わっています。


↓この個体も謎です。「ara」のコードはどの資料を見ても見当たりません。その下「9.40」は1940年9月を示すのは間違いないと思います。さらにその下に…


↓WaAA65と読めると思うのですが(A66かA68かA85か、はたまたA86か?)確証を持てませんし。いずれの場合であっても製造者を特定できていません。


↓この個体は「12. 40」と、1940年12月製を示す刻印。その下に「WaA101」とあり、1940年中に異なるメーカーに割り振られているコードなので、製造者を特定できません。


↓1940年中の製造であればWaA101はライプチヒのEhrhardt u. Kirsten, Koffer- u. Lederwarenfabrikか、 Hawig, Hauswirthschafts-Maschinen GmbHか、というところです。


↓この個体の「ST」はStocko Metallwarenfabriken Henkels & Sohn GmbH & Co. 社の意。「4.40」は1940年4月製の意だと分かります。


↓その下にうっすらとWaAコードの刻印がありますが、この「WaA253」がStocko社製であることを示す資料が手持ちの中にはないのです。WaA253は年代により10以上の企業に割り当てられていたのですが、その中にStocko社を含んでいる資料がありません。253ではないのでしょうか?


↓この個体には古いタイプのWaAコード刻印が打たれています。鷲の下に「4」で製造年が1936年6月でその下に…、


↓「BSW」の意匠があるので、「Berlin-Suhler Waffen-und Fahrzeugwerke GmbH」社製であることが分かります。


↓最後にもう一度こんな画像を。このリンクは理論的には何本でも連結できます。ドイツ陸軍は一般的に5本繋いで250発を一まとまりとして弾薬箱に収納して運用したそうです。



最近でもこの50連リンクはヨーロッパにはまだ多くの量が流通しているみたいです。WaAコードがあるモノ、メーカーコード(数字、アルファベット)があるモノ等いろいろで、ミリタリーショップのネット通販サイトでもよく見ます。程度の良いモノで、安いところでは1本が大体10ドル前後から、高いところでも20ドル以下ぐらいで販売されています。
ただ注意しないと戦後版のモノを掴まされたりしますから、詳細な画像・商品説明で戦後版のモノでないかをよく確認する必要があります。刻印は実際にそれを見るしかありませんが、戦後版との外見的な差異は、WW2モノの連結タブは今上で見てきましたように四角いスクエア型ですが、戦後版はL型(俗に『犬の足』)になっています。

私が現在所持しているモノはもうカレコレ15、6年以上前に海外のショップから購ったもので、ひょっとしたら個人輸入では、今ではやっぱり税関で(外郵出張所で)銃砲刀剣類所持等取締法の云々・・・と言われて個人輸入できないかもしれません。

WaAコード、製造者コードについては今後も徐々に解明されていくかと思いますが、近時WaAコードを打刻するダイス型ポンチをネット上で堂々と売っているショップがあります(WAFFENAMT-SHOPなど)。要注意です。

それでは、また…。

  

2017年09月10日

M-1910水筒とステンレス水筒(M-1910 Canteen & Stainless steel Canteen)

こんにちは。
当地大阪では昼間はまだ最高気温が32、3度くらいにはなりますが、朝晩は随分涼しくなりました。
このまま秋になってくれたらいいんですけど、そうはいかないのが浮世の習い。またしつこく残暑が戻ってくるのでしょうね。

9月一杯はクールビズで、勤めも半袖のワイシャツ姿で良いんですけど、行き帰りの電車の空調加減が車掌さんの体感温度次第なので、車掌室は窓が開けられて風を入れて涼しくできても、乗客のいる車両は窓は開くことなく、朝の陽射しがサンサンと入ってくる頃は、車内がまるでサウナの様になっていることがあります。気配りのできる車掌とそうでない車掌では全然快適度が違ってきます。

さて今回採り上げますモノは、米軍が第一次大戦から使用し、その形状は現在まで受け継がれている水筒(キャンティーン:canteen)です。
↓まずこの画像をご覧ください。両方とも「M-1910キャンティーン」です。左は1918年製造でアルミ製キャップ付き、右は1945年製でベークライト製キャップ付きのモノです。容量は1クォート(1/4ガロンまたは2パイント:0.9463ℓ)です。

WW1からヴェトナム戦争中に樹脂製のモノに替えられるまで使用されました。

↓立てて背面上から。制式名称は「Canteen, M-1910」、ストック・ナンバーは74‐C-80です。製造時期により細部が異なっていますが、分類上この2つは「同じモノ」です。


↓左のモノは本体が前後合わせ製法、右のモノは本体が上下合わせ製法で作られています。キャップをネジ留めする口金部分は、本体の口にネジを切ってあるのではなくて、ネジ部品が口金部分の上からすっぽり嵌め込まれています。


↓左のモノ、第一次大戦から採用されたアルミ製キャップと、本体とをつなぐチェーン。キャップ側面には滑り止めのための平目ローレットが刻まれています。チェーンは洋白(ジャーマン・シルバー)製です。


↓一方右のWW2時製造分には黒色ベークライト製のキャップと、成分比の若干異なる洋白製のチェーン。


↓左の第一次大戦時製造分の本体背面の刻印。「9」はロット番号?「U.S.」、「ACA 1918」。ACAはThe Aluminum Company of America社 の略です。製造者等の刻印は背面に打たれる場合のほか、底部に打たれることもありました。The Alumiinum Company of America社は、現在はAlcoa Inc.となっており、アルミニウムと関連製品の生産加工販売会社としてニューヨーク証券取引所に上場しています。


↓右のWW2モノの底部の刻印。「U.S.」、「R.S.E.」、「1945」。「R.S.E.」はRepublic Stamping and Enameling Co.の略です。現在もいくつかのブランド名で家庭用調理器具・業務用厨房機器などの製造を行っています。


↓もう一つ一次大戦中製造のM-1910キャンティーンを持ってきました。左のモノはデッド・ストックとして入手したモノです。まだ表面の艶消しのためのフロスト加工がかなり残っています。


↓背面側を斜め上から。見た感じ「未使用」という印象です。


↓お腹側です。


↓背面側。


↓デッド・ストックの方の刻印。ロットが「7」であること以外、内容はさっき見た右のモノと同じです。


↓底面も特に違いは無いですがついでに…。


↓さて、やっとステンレス水筒の登場です。左がステンレス水筒(Stainless steel Canteen、ストック・ナンバー:74‐C-87)です。右のモノと同じく上下合わせ製法です。右は冒頭で見ましたアルミ製上下合わせのモノ。ベークライト製キャップは共通です。


↓左のステンレス水筒では口金はアルミ製のモノの様に別部品とはなっておらず、本体からの続きで口金が成形され、且つキャップを締めるためのネジが直接プレスされています。また、本体に熔接された小さいループにキャップから伸びるチェーンのリングが通されています。


↓右のアルミ製のモノは口金部品の根本で真鍮ピンで固定されています。


↓ステンレス水筒の方のキャップ。上面に「U.S.」の凸モールドがあります。このモールドがあるモノははWW2最末期あるいは戦後製造のモノなのではないかと思っています。


↓ステンレス水筒の底面の刻印です。「U.S.」、「VOLLRATH」、「1944」。VOLLRATH社は現在The Vollrath Company, LLCとなり、業務用厨房機器・家庭用調理器具・什器製造メーカーとして頑張ってらっしゃいます。



以上駆け足気味で見て参りました。
現在日本ではアルミキャップのモノの入手はなかなか難しいですが、アメリカでは比較的安価で入手できます(30ドルも出せばかなり良いものが手に入ります)。ベークライト製キャップ付きのモノなら更に安価で手に入ります。

私がWW2米陸軍兵士装備のコレクションを始めてから、この水筒本体の入手は意外に簡単だったことをよく覚えています。
カバー(カーキ色)は高価で、出物も少なくコレクションを始めてからかなり時間がたってからでしたが、本体を入手したのは地元大阪・アメリカ村の「ナニワ・ガラクター」さんでの事でした。今回ご紹介したR.S.E.刻印のM-1910がそれです。価格は当時(30年前)2,000円でした。今とほとんど変わらないと思います。お店によってはものすごい値段になっているようですが、海外、特にアメリカでの市場価格を見れば適正価格というのは自ずと分かってきます。税関を通るのにも困難はありませんし、関税も値段にすると苦にはならないレベルです。と言うかこんな水筒一個だけだと普通は課税されることはありませんが。

まだまだ国内でのミリタリーモノ蒐集という趣味がメジャーと言えるレベルには達していない現状を鑑みれば、海外のミリタリーアンティーク店の価格に比べて国内のショップでの売り出し価格が高くならざるを得ないのは理解できます。関税・通関料等々が掛かるのも理解できますが、あまりにも「盛って」いる売り出し価格を見ると、足元見過ぎーと突っ込みたくなります。

それでは今回はこの辺で失礼します。また次回お会いしましょう。














  

Posted by Sgt. Saunders at 08:00Comments(0)米軍(U.S.)装備品(Equipments)

2017年08月27日

M13 ガン・カバー(Cover, Gun, M13)

こんにちは。
近所の公園ではシャンシャンシャンシャンシャンシャンに代わってホーシツクツクツクツクツク・ホーシツクツクツクツクツク・ホーシツクツクツクツクツクが頑張っています。ということは、お子さんの宿題の手伝いに御父母様が奔走している時期になったということか…と思いきや、近頃は夏休みは8月の月末一週間前には終わり、2学期が始まるんですね。大阪だけかな?
8月一杯は夏休みで、最後の2日間は残してた宿題を必死にやってた(あがいてた)思い出があるのですが…。2学期が8月の途中から始まる…?何か違和感を感じます。

さて、前回水冷式のM1917(M1917A1)ブローニング30口径機関銃用のM7マシンガン・カバーをご紹介しましたが、今回はそのM1917(A1)に代わるべく、空冷式で設計しなおされ新たに造られたM1919A4ブローニング30口径機関銃用のカバー、M13ガン・カバーのご紹介です。
前回記事のM1917(A1)用のM7マシンガン・カバーと同じく、ピントルの付いた銃本体を三脚から下ろした状態の銃をカバーするものです。まあ、三脚に銃を載せたままの状態でこのカバーを掛ける事もあったでしょうが、仕様はピントル付き本体をグルッと包み込むものとなっています。

まずそのM1919A4機関銃について。
↓これがM1919A4です(Modern Firearms & Ammunition (http://modernfirearms.net/index-e.html)より画像引用)。重たく嵩張る水冷ジャケットを廃して軽量化されただけでなく、その水を確保・維持するという課題も無くなりました。通常は画像の様に三脚・M2トライポッド(←過去記事に飛びます)に載せて運用します。

↑右側面。

↑左側面。画像では弾薬が金属リンクで連結されていますが、布製の給弾ベルトも使えます。

↓これはロック・アイランド造兵廠の図面から。


M1919A4機関銃について、より詳しくはこちら(←Wikipediaが開きます)をご覧下さい。ここで私がしたり顔でご説明するには及びません。


↓まず全容です。銃を収納した姿での右側面です。カバー本体はodシェード#3のダック(ズック)製、縁取りテープはシェード#7。銃身が収納される部分は既に筒状になっていて、それより後ろのレシーバーを覆う部分は3つのLift-the-Dotでくるんで留めるという裁断・造りになってます。


↓後ろ半分。右下の茶革のカップはピントルを収める部分です。


↓ピントル収納カップ。ピントルの形状に合わせて立体的に造られています。WWⅡ後、朝鮮戦争の頃には製造工程簡略化のため、革を2枚合わせにした封筒型のペラペラ構造に替わります。


↓名称「COVER, GUN M13」とFederal Catalog ナンバー「24-C-1412-20」のスタンプ。


↓銃身先端部分です。「布を革で補強」ではなく、「革部品」となっています。


↓左側面です。前回記事のM7マシンガン・カバーはこちら側でカバーを留めていましたが、このM13では右側面で留める構造です。何か理由はあるのでしょうか?


↓銃身収納部分に天地逆さにスタンプがあります。


↓読みやすいようにひっくり返しました。「FUNGUS PROOFED TYPE I」「SCHMACHT & KALE - 1945」。防カビ処理済みであることを示す表示スタンプと、実施業者名、実施年です。


↓グリップ部分の拡大です。グリップ背面から下方に伸びたカバーの舌状部分をグリップとトリガーとの間に托し込んでLift-the-Dotで留めるようになってます。


↓グリップ背面が当たる部分にカバーの製造者・製造年のスタンプ。「BRESLEE MFG. CO.」「1944」。


↓レシーバー右側面のボルト・ハンドルは、このM13カバーでは外側には出さずに覆ってしまう構造です。雨水・砂塵を完全に防げます。M7マシンガン・カバーではカバーの外にボルト・ハンドルを出すスリットのある構造になっていました。


↓カバー内側、フロント・サイトが触れる部分は革の補強が当てられています。


↓そのすぐ下側のピントル収納部。


↓銃を抜き取りました。


↓天地をひっくり返して後ろ半分。こちらには特に革の補強などはありません。



以上縷々見て参りました。odシェード#7のモノ、ゴム引き布製のモノ等時代が下るにつれて幾つものバージョン違いがあります。
M1919A4機関銃はヴェトナム戦争中まで使用されましたが、その頃までこのカバーはバージョンを改めながら使用され続けました。
また、私のコレクションにはありませんが、三脚に載せたままの状態でカバーするタイプのモノも派生して生まれています。

銃器に関するモノは、「実銃は持てないので、せめてアクセサリーくらいは…」という想いからコレクションしてきておりますが、今回のM13と前回のM7は、さすがにコレクションしようかどうか、売りに出されているのを見ても迷いました。何しろ当時は未だM1917(A1)機関銃やM1919A4機関銃はトイガン化されておらず、不稼働(無可動)実銃などの入手は夢のまた夢でしたから、それら用のアクセサリーなどは手に入れても楽しみようが無かったからです。
しかし、いつの日か不稼働(無可動)実銃、或いはモデルガンなどトイガンの形でM1917A1やM1919A4が手に入ったときに楽しめるではないか!その時に入手不能になっていたら後悔するではないか?!という考えから、やっぱりコレクションしておこう!と、入手しました…。

現在不稼働(無可動)のM1919A1を持つことができていますが、普段このカバーを直接掛けたりはしていません。一度掛けたままにしてしまったことがありまして、その際銃が少し錆び、その錆が移ってしまったのです。それ以降は銃本体にオイルを吹いて、さらにプチプチでくるんだ上でこのカバーで包んでいます。

このM13ガン・カバー、現在eBayやミリタリーショップで程度の差こそあれ$30位から$70位で出ているようです。中には「何でこんな?」と思わせるような価格設定になっているケースも目にしますが、平均的な価格で見た場合比較的入手はし易いと思います。
私が入手したのは7、8年前だったと思いますが、$60位だったと思います。上で触れましたように幾つかバージョン違いのモノが売りに出ていましたが、やはりWWⅡ時の製造で、カーキ色(odシェード#3)という条件を満たしていたのがこれでした。odシェード#7のモノも…とも思いましたが、これ一つで十分だと考え、現在もまだ入手していません。まだ入手しようと思えば比較的容易だからです。

それでは今回はこの辺で失礼します。







  続きを読む

2017年08月13日

M7 マシンガン・カバー(Cover, Machine gun, M7)

おはようございます。
当地大阪では今朝方は比較的気温が低かったせいかシャンシャンシャンシャンシャンシャン…の大合唱が始まるのは7時を過ぎてからでした。いつもなら午前5時過ぎにはもう大合唱が始まっているのですが。
今年もすぐ近所の児童公園からの大合唱が連日続いています。思いっきり鳴いてその短い一生を全うして欲しいです。何年か前からは「うるさい」とは思わず、一生懸命鳴いて欲しいと思うようになりました。

今回を含め直近4本の投稿は、平均すると隔週刊ペースに戻ってきました。このままペースを維持できるでしょうか?
今回はコレクションなさっておられる方があまり多くなさそうな、WWⅡUS陸軍歩兵モノのコレクションとしては恐らくちょっと(かなり?)マイナーで人気も無なさそうなモノのご紹介です。

↓これはM1917A1 cal..30 Browning Machine gunです。この無可動実銃をコレクションしたのではありません。この機関銃の本体を揺架から取り外して運搬する際に使われた「M7 マシンガン・カバー(Cover, Machine gun, M7)」が今回ご紹介するモノです。


↓これはロック・アイランド造兵廠の図面でのM1917A1です。図中に「重さ 38ポンド(17.2kg)(水無しで31.6ポンド(14.3kg))」とあります。重たいですねー。


↓こちらは軍発行のマニュアルから。M1917(上)およびM1917A1(下)。M1917はWWI休戦の僅か2か月程前の頃に投入が開始され、その後ボトム・プレートやリア・サイト等の改良・変更を経てM1917A1が生まれました。WWⅡでは当初から、のち朝鮮戦争、一部はヴェトナム戦まで使用されました。これらM1917およびM1917A1 cal..30 Browning Machine gunについての詳解はここでは致しません。詳しくお知りになりたい方はこちら(←Wikipediaが開きます)をどうぞ。


↓Wikipediaから。ウォーター・ジャケットにキャリング・ハンドルが付いたのはWWⅡに入ってからです。揺架に嵌めるピントルが付いています。


↓はい、すみません。やっと今回のネタ、M7 マシンガン・カバー(Cover, Machine gun, M7)の登場です。右側面です。上の画像の銃の向きとカバーの向きを合わせています。
画像の左方が握把(グリップ)側、右方がウォータージャケット側です。下にピョコっと突き出ている革製のカップにピントルが収まるようにして機関銃本体を収納します。その左上の円い革の真ん中には銃のボルト・ハンドルを外側に出すためのスリットが切られています。ほか、要所要所が革で補強されています。中に銃があるかの様にカバーをなるべく立体的に膨らませて撮影しています。色目は所謂「od シェード #3」です。#7のモノはまだ目にしたことがありません。


↓ペタンコにした状態です。右側面から上面です。上面前後にスリングを取り付けるためのDリンクがあります。右方ウォーター・ジャケットが収まる部分の先っちょ半分は筒状に縫製されていて、そこから後ろは開いています。左方末端は丁度握把(グリップ)が収まる部分ですが、Lift-the-Dotが一つ使われていて銃をくるむ様になっています。


↓反対側、左側面です。画像左側がウォーター・ジャケット側です。こちらの側面で銃をくるむ様にしてカバーして前後2本のストラップとバックルを使って固定します。上面にスリングを取り付けてみました。


↓左側面から下面です。左端の大きく円い革部分に銃のウォーター・ジャケットの先端が収まります。ピントル収納カップのすぐ銃口側に大きい革部分のそのまた上から細い革が当てられていますが、これはまたあとでカバー内側のご説明のところで詳解します。


↓銃を収めたつもりの状態の上面です。向こうが銃口方向、手前がグリップ方向です。前後にあるDリンクにスリングを連結して肩に掛けることができます。手前のグリップが収まる部分はこのようにLift-the-Dotでカバーを留めるようになっています。銃上面のリア・サイトから前方のウォーター・ジャケットの中ほどまで革で補強されています


↓前後方向は同じまま、裏返しにしました。ピントル収納部分の革カップが目立ちます。


↓スタンプの拡大。「COVER, MACHINE GUN, M7」とドローイング・ナンバー「D-30780」。その左下のは...?


↓「FUNGUS PROOFED TYPE I」、「THE FALA CO.  1944(5?)」と、防カビ処理済みであることを示すスタンプと、実施業者名、実施年のスタンプです。


↓銃口側の円い革部分。ウォーター・ジャケットが円筒形ですから、それが収まる部分なので末端がこのように円くなっているのには合点が行きます。白っぽくなってるのは革のワックスが浮き出てきているものです。


↓拡大しました。「BOYT -41-」と刻印されています。Boyt Harness Companyによる1941年製造であることが分かります。


↓内側です。指で押さえている部分は銃のグリップが収まるところです。ここだけLIFT-the-DOTが使われています。画像中央、円く生地が抜かれている部分にはピントルが収まります。そのすぐ銃口側に生地が裂けているように見える部分(さきほど「あとで詳解します」と申しました部分です)、実際生地は切れていますが、ここは外側から革で覆われていまして、銃のピントル部分とウォーター・ジャケットのとの間の形状にフィットするように立体的に裁断されています。画像右側の方が塞がっていますが、ウォーター・ジャケットが入っていく筒状部分です。カバー底部後方、銃のボトム・プレートが当たる箇所はこのように内側で革の補強が施されています。ボルト・ハンドルを通す部分も内側に革が当てられています。


↓そのウォーター・ジャケットが入って行く先端です。厚さ約3cmの木製の円い型枠が嵌め込んであり、ここにウォーター・ジャケットを嵌めるようになってます。



いかがでしたか?実戦では本体はそのまま裸の状態で担いで運搬していたのが一般的であったような印象を持っております。このカバーが使われている様子を捉えた写真を探してみましたが、発見できませんでした。マイナーな存在であることは否めません…。

でもまあ、いつの日か「レア・アイテム」として脚光を浴びるのを楽しみにしてコレクションに加えた経緯があります。
アメリカのミリタリーショップでもう20年程も前に購ったモノで、価格は確か65ドルくらいだったかと記憶しています。当時円ドル相場は1USドルが100円を割っていましたので(90円の頃くらいに購ったか?と思います)「そんなに安くはないけどそれほど高くもない。まあマイナーな存在だけど段々高騰するかもしれないし、今のうちにコレクションしておこうかな。」という軽い気持ちでのコレクション入りでした。

M1917A1はモケイパドックさんが確か電動ガンとして製造されたかと思うのですが、これをサバゲに使用している方には今回のカバーはおすすめです。フィールドまでの運搬に使うのはもちろん、ゲーム開始と同時にこのカバーで最前線までM1917A1を運び、据え付け場所を選定したら素早くカバーから取り出して三脚と組み合わせて供用開始!やってみたいですねぇ。

それではまた次回、もう多分ツクツクボウシの合唱に替わっている頃になるかと思いますが、それまで御機嫌よろしく。さようなら。



  

2017年07月23日

US X型サスペンダー(2)(Suspenders, Pack, Field, Cargo-and-Combat(2))

何かよく分からないうちに梅雨明け宣言されていた大阪からお送りします。
各地で集中豪雨による土砂災害・浸水被害が出ているのをテレビ等で見ますが、自然現象によるものとは言え、あまりの凄さに言葉を失います。
被災者の方へお見舞い申し上げます。

前回記事の「US X型サスペンダー(Suspenders, Pack, Field, Cargo-and-Combat)」において、「朝鮮戦争前頃位から肩に当たる部分にクッションになるようなパッドが縫い付けられるようになりました」と記しましたが、今回実物をご覧いただきながら比較対照してみます。

↓まず全容です。左と右の色合いがかなり違ってます。一口に「od shade #7」と言っても、染められる側の生地により、或いは製造者間での色調の微妙な差、褪色・色落ち度合いによってこの様に映ります。


↓裏返しました。このように肩の部分にクッション・パッドが付けられるようになったのは上述のとおり大体朝鮮戦争勃発前頃だとされています。同一個体内でも部材により色落ち具合が異なっているのが良く分かります。


↓パッドは結構肉厚です。でも水濡れしたらなかなか乾かなさそうです。


↓装着したときに人体右側に来る方のハーネスには「U.S.」のスタンプ。「US」ではなく、省略の「.」があります。


↓一方反対側のハーネスには「U.S.」ではなく、なにやらウジャウジャしたスタンプがあります。


↓フェード・アウトしていて殆ど読み取れませんが、制式名称「SUSPENERS, PACK, FIELD, CARGO-AND-COMBAT」とストック・ナンバー「74-S-392-300」、「MIL-P-3392 18 JAN 1951」と、あとは「製造者名」と「QM(Quartermaster)の契約番号と日附」、それにいづれかの需品部調達庁(Quartermaster Procurement Agency)がスタンプされていた筈です。最後の需品部調達庁名ですが、私はこれまで「NYQMPA(New York Quartermaster Procurement Agency)しか見たことがありません。


↓背中の交差部分。パックの背面上端部を横方向に走るクロス・ストラップを通して連結させるための3段ループの縫製パターンは2種類あります。後述します。


↓前回記事で紹介しました肩クッション・パッドの付く前のモノ(左)とパッド付のモノ(右)を並べました。


↓先ほど申しました「パックの背面上端部を横方向に走るクロス・ストラップを通して連結させるための3段ループの縫製パターン」、お分かりいただけますか?左はループの部品が鉛直方向に沿ってハーネスとは角度をつけて縫われ、3段に分けている縫い目はループ部品と直角をなしています。一方、右はハーネスの方向と平行に中央で縫われており、3段に分けている縫い目がループ部品と角度をなしています。実はこの差異は肩パッドの有無の時期とは関係無く、どちらのモノにも見られます。


↓もう一つの差異は、肩パッドの無いモノと有るモノとでの構造的差異に起因するものです。お分かりいただけますか?


↓パックをサスペンダーと連結する時、連結用サスペンション・ストラップをサスペンダーの肩のバックルに通して固定し、前側へ垂れて余る連結用サスペンション・ストラップを通しておいてバタつかないようにするための胸部分のループ(画像の「このループ」と注記)の取り付け位置が、肩パッド無しのモノと有りのモノとで異なっています。右の肩パッド有りのモノでは、そのパッドを縫い付けるための縫いしろスペースが必要で(白の丸印)、ループが背面側へずらされています。



いかがでしたでしょうか?
1948年頃にはもう肩パッド付きで製造されていたようで、肩パッド無しのモノの方が製造時期が圧倒的に短かったためか現在流通しているのも肩パッド付きのモノの方が多いですね。
この肩パッド付きのモノ、後継のM-1956 H型サスペンダーが世に出る頃にもまだ大量に在庫があったようで、「廃棄するのは勿体無い」と、前内側のストラップを取り払い、胸に四角い金属リンクを付けるなどしてM-1956 H型と同様に使えるように改修されたモノが多くみられます。またあらためて紹介したいと思います。

それでは今回はこの辺で失礼します。(今回の投稿が記念すべき(?)100回目になる、ということに気付いたのは今、9月18日です。)
  

Posted by Sgt. Saunders at 21:10Comments(0)米軍(U.S.)装備品(Equipments)

2017年07月17日

US X型サスペンダー(Suspenders, Pack, Field, Cargo-and-Combat)

近所の公園からは朝の6時を待たずしてシャンシャンシャンシャンと蝉の声が大音量で聞こえてきます。
梅雨明け前の猛暑と熱帯夜に辟易とさせられる大阪から、久々に前回の投稿から1か月と間を置かずにお送りいたします。

今回は米陸軍がWWⅡ時に使用していたX型サスペンダーのうち、末期ギリギリに供用の始まったカーゴ・アンド・コンバット・フィールド・パック・サスペンダー(Suspenders, Pack, Field, Cargo-and-Combat (ストック・ナンバー:74-S-392-300))を採り上げます。

WWⅡ時に米陸軍が使用したいわゆるX型サスペンダーには大別して「M-1936(Suspenders, Belt, M-1936、ストック・ナンバー:74-S-389 )」とその改修版である処のいわゆる「M-1943」或いは「M-1944」と呼ばれているモノ、それに今回のカーゴ・アンド・コンバット・フィールド・パック・サスペンダーがあります。

今回採り上げますカーゴ・アンド・コンバット・フィールド・パック・サスペンダーの事を指して「M-1943」或いは「M-1944」と称しておられる方もありますが(Kenneth Lewis氏は「M-1944」と紹介("DOUGHBOY TO GI"、P.184))、元来「M-1943」や「M-1944」という制式名称は無く、コレクターが差異を区別して呼ぶために勝手に(便宜的に)造った俗称です。
上で述べました「(M-1936の)改修版である処のいわゆる『M-1943』或いは『M-1944』」とはどんなモノかと申しますと、M-1936の肩部分にクッションとなるパッドを縫い付けたモノや、M-1936の胸部分の金属パーツやリベットを廃し、同じく肩部分にクッション・パッドを縫い付けたようなモノ等の派生版モノに対してコレクターが独自に与えた名称です。今回の記事とは直接関係が無いのでこれ以上の言及は省きますが、いずれまた別の機会に採り上げたいと思います。

↓カーゴ&コンバット・フィールド・パック・サスペンダー(Suspenders, Pack, Field, Cargo-and-Combat)です。M-1936と同じく前側(画像では下側)の左右2本のストラップのうち内側のものは臍に近い位置でベルトに連結し、外側1本ずつは画像の状態よりもうちょっと伸ばして背嚢へ連結するようになってます。背嚢を背負わない場合は画像の状態の長さくらいにして両腰真横あたりでベルトに連結しました。

このサスペンダーがそれまでのM-1936及びその派生版と大きく異なるのは、重いカートリッジ・ベルトやピストル・ベルトを肩で支えるという単純な役目だけでなく、背嚢との連結をより高度な仕組みにした点にあります。
M-1936にもM-1936 od フィールド・キャンバス・バッグ(通称ミュゼット・バッグ)を背負うために左右の胸部分にDリンクが設えられていて、バッグの上端に設えられたストラップの先端のクリップを背中から肩を越して連結させる仕組みでしたが、そのM-1936 od フィールド・キャンバス・バッグと、旧式のM-1928ハバーサックとを発展的に統合した後継の「コンバット・フィールド・パック(Pack, Field, Combat)」が、それを背負うための当サスペンダーと一体で開発されました。新しい背嚢(コンバット・フィールド・パック(Pack, Field, Combat))は、その直下にカーゴ・フィールド・パック(Pack, Field, Cargo)を連結してフル・パックを構成できるようになっており、それらを背負うための当サスペンダーなので、名称もそれに合わせて「Suspenders, Pack, Field, Cargo-and-Combat 」となった訳です。

↓両肩辺りの金属バックルとそのすぐ下のスロット(上中下3つあります)を使って、コンバット・フィールド・パックをサスペンダーに連結します。


↓背景が汚くてすみません。これは連結しようとしているコンバット・フィールド・パックの背面です。パック背面上部を横に走っているクロス・ストラップをサスペンダーのスロットに通し、パック背面左端のバックルを使ってしっかり締め付けて固定します。体格により3つのスロットのどれにクロス・ストラップを通すかを選べます。さらにパック背面上端左右に設えられている薄手のサスペンション・ストラップをサスペンダーの肩部分のバックルに通すことにより、パックがサスペンダーに吊り下がる(サスペンド)ように固定します。



↓このバックルにパックのサスペンション・ストラップをくぐらせて前へ通します。通したあと余分なストラップは…


↓サスペンダー左右にあるループの下に潜らせてブラつかせないようにします。このループは手榴弾を引っ掛けたりするのにも使われました。


↓パック内側にあるラベルのイラストです。こんな感じにサスペンダーとパックが連結されます。(但しこれはM-1945カーゴ・フィールド・パックのラベルです)


↓USスタンプと製造者「HOOSIER」および製造年「1944」。色はOD#7です。が、ずっと見てきました画像でお気づきだと思いますがウェブかダック(ズック)かHBT生地かによって染まり加減・褪色具合が異なってます。ですから一口に「OD#7」とか言っても実に色んな見え方がします。


↓前部ストラップに付いている連結クリップは普通のモノです。長さ調節用のバックルも「目」型のごく普通のモノで、亜鉛合金製の鋳造タイプです。大戦以前からは青銅や真鍮の鋳造タイプがありましたし、その後大戦勃発以降スチール製のプレス製造タイプが出て、続いて亜鉛合金製の鋳造タイプが出てきます。連結クリップも同様に素材については青銅製、真鍮製、スチール製、亜鉛合金製がありました(もちろんバネ部分は除きます)。


↓後部ストラップは前部と同じく連結クリップは普通のモノ。但しM-1936では長さ調節のためには、ストラップ上をスライドさせて任意の位置で留めることのできるセルフ・ロッキング・バックルがストラップ末端に設けられていたのに対し、当サスペンダーでは前部ストラップと同じ「目」型バックルが用いられています。間違いなく部品種類削減・製造工程省略のためでしょう。


↓裏返してみました。のちに朝鮮戦争が勃発する前頃あたりには肩に当たる部分にクッションになるようなパッドが縫い付けられるようになります。冒頭で出てきましたいわゆる「M-1943」や「M-1944」と呼ばれているサスペンダーと同様のモノです。


↓ここでオフィシャルなマニュアルを見てみます。当ブログでたびたび登場するQM3-1 Quartermaster Supply Catalog (May 1946)から当サスペンダーの項を抜き出してみました。少々ピンボケなのはお許しください。


↓同じカタログにM-1936サスペンダーも載っていますが、「BELTS AND SUSPENDERS」のページに掲載されているのに対し、当サスペンダーは「INDIVIDUAL EQUIPMENT」のページに載っています。
上述してきました通り、背嚢との一体装備として当サスペンダーが詳解されています。この解説文を読めば、サスペンダーについて巷間言われている処の「M-1943」、「M-1944」呼称が本当は「俗称」であることが分かると思います(コレクターが便宜的に呼称するのを否定する訳ではありませんが、あくまでも便宜的な呼称である事に注意する必要があると思います。)。


↓曰く
コンバット・フィールド・パックはサスペンダーを伴って背嚢を形成するのに使用出来、あるいは、フル・パックを形成するためにクイック・リリース・ストラップを用いてカーゴ・フィールド・パックを装着することも出来る。コンバット・パックには塹壕堀りショベルや銃剣を保持するためのタブとストラップが設えられている。ホースシュー・ロールを保持するためのストラップが設えられている。カーゴ・フィールド・パックは単体で休暇鞄として使える。サスペンダーは単体でカートリッジ・ベルトを吊り上げるのに使える 。
カーゴ・フィールド・パックとコンバット・フィールド・パックは、非常に酷似しているM-1945カーゴ・フィールド・パックとM-1945コンバット・フィールド・パックにとって替えられた。しかしながら、カーゴ・パックとコンバット・パックとを結合させるためのクイック・リリース・バックルのあった部分には、M-1945カーゴ・フィールド・パックとM-1945コンバット・フィールド・パックではダブル・バー・バックルが使われているため、それらは互換出来ない。

(筆者注:下2つの画像でも分かりますが、「M-1944カーゴ・フィールド・パック」や「M-1944コンバット・フィールド・パック」というモノはありません。ただ「M-1945カーゴ・フィールド・パック」と「M-1945コンバット・フィールド・パック」と対比する上で「M-1944」と俗称で呼ばれている事が、このキャプションからもお分かりいただけると思います。)

↓上の記述にありますように、(極めて短時間のうちに)カーゴ・フィールド・パックは世に出てから間もなくM-1945カーゴ・フィールド・パックにとって替えられ、限定採用扱い(Limited Standard)にされてしまっています。


↓コンバット・フィールド・パックも同様にM-1945コンバット・フィールド・パックにとって替えられてしまいます。同じく限定採用扱いにされています。1年余りの極めて短命に終わったカーゴ・パックとコンバット・パックです。その代わり後継のM-1945は後のM-1956コンバット・フィールド・パックの採用まで使用されますが、容量不足である点、パック単体では背負えない点であまり兵士からの評判は芳しくなかったようです。

これら「M-1945」の付かないカーゴ・フィールド・パックとコンバット・フィールド・パックのことを「M-1944」と呼称するコレクターやショップがあるのは前述のとおりですが、上の詳解にもあったように、クイック・リリース・バーが付いていればいわゆる「M-1944」、ダブル・バー・バックルが付いていれば「M-1945」であると判別することができます。
今回の記事の主役はサスペンダーなのに背嚢の方に話が逸れてしまいました。済みません。


↓ここでレア(?)なモノを。上で見て来ましたモノとは前(下)4本のストラップの縫製が異なってます。メイン・ストラップの上からあと付けされる、本来臍の方を向いているはずのストラップが外側に向かって付いています。

製造ミスなのでしょうか、バージョン違いの極レア物なのか?


実は…
通常のサスペンダーをこのように交差部分で…

くぐらせて…

もう一方の方もくぐらせると…

まともに交差したように見えて…

↓このようになるのです。もう一度同じようにすると元にに戻りますよ。持ってらっしゃる方はお試しを。



いかがでしたか?
本記事の個体は状態から見て恐らく未使用のデッド・ストックだと思われます。私がWWⅡUS陸軍装備に興味を持ちだした1985年前後の頃、沖縄のアメリカ屋さんで肩パッドの付いていない大戦時製造モノの中古良品が2,500円でした。現在では肩パッド無しの大戦時製造モノの出品は滅多に見ることはありませんね。朝鮮戦争前頃以降製造の肩パッド付バージョンならば程度の良いものが結構出回っていますが、値段は下は2,000円位から上は6,000円位と、かなりバラつきがあります。金具に緑青が吹き出まくっていてもです。肩パッド無しのモノの出品があれば程度にもよりますが押さえておこうかなと思います。

それでは今回はこの辺で失礼します。ありがとうございました。



  

Posted by Sgt. Saunders at 10:18Comments(0)米軍(U.S.)装備品(Equipments)

2017年07月02日

ジャングル・ファティーグ 2ndモデル(Tropical combat man's coat, 2nd pattern)

みなさまお久しぶりです。東京都議選、どうなるのでしょうか?
前回の記事投稿以来、公私ともにバタバタしておりまして、新しい記事の投稿・更新をしたい気は山々でしたが全然できませんでした。

この度ちょっと時間が取れましたので本日頑張ってお送りしますのは、米軍がヴェトナム戦争時に使用していたトロピカル・コンバット・マンズ・コート(Tropical combat man's coat)、所謂ジャングル・ファティーグのコレクションから2ndモデルを採り上げます。
元々はスペシャル・フォース要員用にと開発がすすめられたこのジャングル・ファティーグですが、歩兵一般へ支給され、のち幾つかの改修を経ることによる特徴を基にコレクター諸氏あるいは研究家によって区別・分類されています。

↓まず全景です。ちょっと言い訳...。画像の左側が明るく白っぽいのは太陽光が画像の左側の方に強く差し込んできているからです。簡易ベッドルーム・スタジオでの撮影なのでお許しください。

ポケット・フラップのボタンはすべてフラップの内側についている「ボタン留め用フラップ」で留められ、フラップの表に露出していません。ガス・フラップがあり、ハンガー・ループがあり、ペン・ポケットが両胸のポケットに設えられています。所謂セカンド・モデルの特徴を有しています。

↓上述の、「改修を経ることによる特徴」と他の研究者の方々の研究成果を基に作成した「5モデル大別表」です。過去記事「ERDL迷彩・USMC・ジャングル・ファティーグ(ERDL Tropical Coat)」でも掲げていますが、コレクター諸氏の中には、もっと細かく分類される方もおられますけれども、最大公約数的な分類の仕方としては大体下記のようになるのではと思います。但しセカンド・モデルのうちエポレットは廃止したもののウェストの調整タブとガス・フラップは残されたタイプのモノも認められます。


↓両肩のエポレットはこのセカンド・モデルを最後に廃止されます。ハンガー・ループのすぐ下にあったはずのサイズ・FSN表示ラベルは残念ながら取れてしまっています。ガス・フラップが覗いて見えます。


↓両胸のポケットにペン・ポケットが設えられています。またポケットの下部にドレイン・ホール(水抜き穴)が穿ってあります。両ポケットの上にあったはずのネーム・テープは取り去られています。左(画像では右側)のポケットには何らかのパッチ(フラッシュ?)が貼ってあった形跡が見られます。どんなモノだったのか興味があります。


↓右胸ポケットの中です。3rdモデルまではペン・ポケットが右胸にもあります。


↓フロントのガス・フラップは上下2個のボタンで留めるようになってました。また、1stモデルでは身頃のボタンは一番上のボタンを含んで6つなのに対して、この2ndモデル以降は5つに減らされました。



↓袖先部分もタイプを判別する要素です。4thモデルまではこのようにスリーブ・ガセット(襠(まち)布)があります。


↓背面です。ヨーク(切り替え)はありません。両腰にウェスト周りの寸法を詰めるためのタブが設えられています。



↓右身頃の内側下部にもラベルがあります。ここにラベルが付いているのを見たのはこの個体が初めてでした。


↓拡大。こんなところに制式名称とDSAナンバーがあったんですね。

曰く「COAT, MAN'S, COTTON WIND RESISTANT POPLIN O.G. ARMY SHADE 107」「DSA 100-1398」。O.G.はオリーブ・グリーンの意です。シェード#107のO.G.が用いられているということです。

↓右身頃裏側、腰ポケットの裏側のラベルには「使用上の注意」が記されています。


↓拡大。こちらのラベルには「COAT, MAN'S, COMBAT, TROPICAL」と記されてあります。

訳は必要ですか?
1.熱帯地域でアウターとして着用すること。2.トラウザースの外に出して着用すること。3.内側のフラップがまっすぐ正しくボタン留めされているのを確かめて前面をボタン留めすること。4.横の調整タブでウェスト・サイズを合わせること。5.袖は捲り上げておけるよう調整できる袖口が設えてある。6.各ポケットの下部には水を排出できるようにドレーン・ホールが設えてある。7.コートは手洗いできる。石鹸は確実にすすぎ流すこと。8.LCE(Load Carrying Equipment;荷物運搬用装備)がポケットを塞がないようコートは通常より長めに作られている。 っていうところです。


如何でしたでしょうか?
何年か前にヴェトナム戦争時軍装を蒐集し始めた当初このジャングル・ファティーグを贖いました。パッチやネーム・テープは既に外されていましたが、その頃既に1st、2nd、3rdモデルは高騰し始めていたので、割と低廉な価格で売りに出されていたこの個体を即購入しようと決めた思い出があります。程度もソコソコでしたしサイズも合致していましたので。サイズ・ラベルは無くなっていますが、大体ミディアム・レギュラー位で、着用も可能でしたので、それも購入を決めた要因の一つでした。
また、画像はありませんが、左肩に師団パッチの貼り付け跡が残ってまして、それが縦長のホーム・ベース型なので、介入当初から数多くの作戦に当たった、あの"Big Red One"、即ち第1歩兵師団かなー?と思いを巡らせていたものです。

それでは今回はこの辺で失礼します。次回記事投稿はいつになりますやら...。





  

2017年04月02日

ジャングル・ファーストエイド・パウチ(M-2 Individual Medical Jungle Kit )

こんにちは。
当地大阪は桜の開花が全国各地に比べて遅い部類に入るんですね。やっと2日前?に開花があったようですが、朝晩はまだ冷え込みます。
またまた前回の投稿から1カ月以上も空けての投稿になってしまいました。
仕事絡み、体調絡みで致し方ありません。やる気はあるのですが時間の余裕が少なくて、やっと今日新規投稿です。お許しください。

今回は久しぶりにWWⅡUS装備品モノです。私のメインコレクションはWWⅡUS陸軍歩兵のETO(Europian Theather of Operations:ヨーロッパ作戦戦域)装備品なのですが、PTO(Pacific Theather of Operations:太平洋作戦戦域)装備品にも興味はあり、陸軍、海兵隊のPTO装備品も最低限レベルの蒐集はしたいなぁとの思いの延長線上で、今回のネタモノを入手しました。

↓「Container for M-2 Individual Medical Jungle Kit」です。俗にジャングル・ファースト・エイド・パウチなどと呼ばれます。中身がきっちり完備されて、晴れて「M-2 Individual Medical Jungle Kit」になります。

PTOとCBI(China Burma India Theater:中国ビルマインド作戦戦域)で支給されていた、ロールアップ式のバンデージ・薬品類入れであるM-1 Individual Medical jungle Kitの後継品として新たに開発されたモノです。
ETOでは支給されていません。また色調はODシェード#7のみであり、シェード#3(いわゆるカーキ)のモノはありません。

↓少し上から見ました。背面にはダブル・フック・ワイヤー・ハンガーが備えられているのでピストルベルト、カートリッジベルトにぶら下げることができます。2つのスナップボタンでフラップを留めます。「U.S.」スタンプの書体が、WWⅡ時に製造された装備品にしては珍しくゴシック体です。ブリティッシュ・メイドのモノにはゴシック体スタンプが多いのですが、WWⅡ時のUS製のモノにゴシック体の「U.S.」がスタンプされている例は多くありません。大抵はフォントで言えば「Georgia」や「Century」に最も近い書体でのスタンプが標準です。終戦後間もなくゴシック体でのスタンプが用いられ、ヴェトナム戦争頃には殆どすべてがゴシック体になります。

本体はコットン・ダック製。フラップとそれに続く本体横側はコットン・ツイル・テープで、下端部はコットン・ウェブ・テープで縁取りされています。
 
↓下端部にはダブル・フック・ワイヤー・ハンガーを吊るせるアイレット(鳩目穴)が設えられています。


↓背面です。中央、ベルト・ループとして、またダブル・フック・ワイヤー・ハンガーの固定を兼ねてコットン・ウェブ・テープが縦に縫い付けられています。

コットン・ウェブ・テープを本体のコットン・ダックに直接縫い付けると強度が不足するので、コットン・ツイル・テープをまずダックに張り付けて補強し(背面上端部分)、そこにコットン・ウェブ・テープが縫い付けられています。

↓この部分がベルト・ループです。トラウザーズ・ベルトだけでなく、ピストル・ベルトのように幅の広いベルトも十分余裕で通ります。


↓一応参考までに、側面の画です。厚みは6cmほどです。


↓フラップを開けました。製造者名と製造年「AVERY 1945」のスタンプがあります。本体の縦のステッチは中の仕切りを縫い付けるためのものですが、斜めのステッチは仕切りの固定には直接は無関係です。縦に縫って、糸を切らずに隣の縦へ行こうと思えば横に移動すればいいものを、わざわざ斜めに無駄なステッチを残しています。何故なのか分かりません。


↓主フラップだけでは中への雨水・砂塵等を防ぎ得ないため両サイドにもフラップが備えられています。


↓内部です。薄手のコットン・ウェブで仕切られています。左側の大きい方の区画にファースト・エイド・パケットと虫除け剤、右側の小さい4つの区画にヨードチンキ、水虫薬、アタブリン(抗マラリア薬)、水浄化剤、本体フラップの内側に絆創膏とスルファジアジン剤(サルファ剤の一つ)を収納するようになっていました。残念ながら私は、現物が完全に揃ったのを見たことはありません。


↓内部の収納仕切りは底から1/4インチほど(6mm)浮いています。水濡れしても乾きやすいように、との理由からだと思います。しかしながら底面に水抜き穴はありません。フラップが2重構造になっているので雨水の侵入は無い、との前提からなのでしょうか。


↓左右のフラップは本体と同じコットン・ダックを二重に重ねられたパーツとして、本体に後付けされる形で縫い付けられています。本体の生地裁ち段階では含まれていません。


↓本体フラップの内側の拡大です。製造者名と製造年のスタンプ。「AVERY」社は布製装備品全般にわたって多くの種類の装備品を製造していました。


↓本体フラップの内側に浅いポケットが設えられています。


↓ポケットの入り口にはコットン・ツイル・テープ製のループが備えられています。私の薄い記憶では、ここに絆創膏を通す形で収納していた…ように思うのですが。違っていたらすみません。



以上縷々見て参りましたがいかがでしょうか?
このパウチの外形形状そのものはその後長く受け継がれていきました。ヴェトナム戦争期中にはナイロン製となり、中身を保護するため仕切りを取っ払う代わりにプラスチック製のケースをパウチの中にセットする形となりと、改良が重ねられていきました。
また、「中身」の希少性は年々高まってきており、当然価格相場も高騰してきています。古い薬瓶にウェザリングを施した複製ラベルを貼って「本物」として売られています。「複製」と明示しているのであれば問題はないと思いますが、コレクターは常に留意したい問題です。


それではまた、なるべく早くにお目にかかりましょう。さようなら。



  

Posted by Sgt. Saunders at 10:00Comments(0)米軍(U.S.)装備品(Equipments)

2017年02月05日

WWⅡU.S.ウォーキートーキー(U.S. Radio Sets SCR-536-*)

みなさん こんにちは。
新年2回目の投稿です。
前回が100回目の記事になっていたことに数日前に気付きました。←書きかけで保存している記事を含めて100件でした。今回で96回目でした。すみません…。
当初は週刊、途中から隔週刊、でも実際はこの1年は月刊のペースになってしまっている当ブログ、最低でもなんとか月に一度は新規投稿しようと思っているのですが、
自身・家族の体調や仕事の関係でなかなか思い通りにいきませんが、今後もよろしくお願いいたします。
PC版のテンプレートを変えたのに合わせて今回の記事から画像を大きくしてみました。


さて今回採り上げますのはWWⅡ中に米軍が開発した徒歩部隊用の無線送受信器「Radio Sets SCR-536-(*)」です。(*)にはAからFまでの形式記号が入ります。私の所持しているモノは最終型Fの初期モデルです(ホントはCとかD、Eあたりが欲しかったのですが。)
多くの方がこの無線機を「BC-611」という名称ではないか?という誤解をされていますが、「BC-611」はこのSCR-536-(*)の中の送受信ユニットの事を指します。

↓まず全景です。当時としてはそのデザインと構造は特筆すべきモノであり、非常にポータブルな無線機でありました。5本の真空管と乾電池を用いる近距離用振幅変調双方向送受信器です。


↓では目につく順番に見て行きます。本体に直に「BEFORE OPERATING   READ・・TM-11-235『扱う前にTM-11-235を読め』」と、まぁ当たり前と言えば当たり前のことが書いてあります。


↓受話口は使用時に耳介に沿うように少し下向きに傾けてあります。


↓受話口の上のオレンジのマーキング。上下逆さまです。四角の中に「SC  5597  A」と表示されていると思いますが、良く分かりません。


↓画像をひっくり返しました。「SC  5597  A」(?)が何を意味してるのか分かりません。


↓送話時に押す送受信切替スイッチです。黒のゴムカバーで覆われています。ゴムの表面が少し劣化してきました。どこかのミリタリーショップでレプリカが売られて
いますね。送話口は受話口よりも大きく傾けてあります。


↓アンテナを伸ばすと電源が入り、受信状態になります。このスイッチは送信する時(話す時)に押すモノですから、受信の時はこのように押さずにそのままです。


↓送信時にこのように押します。離すと元に戻ります。


↓真横から見ました。送話口が使用者の口の方に近くに来るように大きく上へ傾いています。また送受信切り替えスイッチのカバーは6つのネジを外して交換可能です。


↓データ・カード・ホルダーです。ここには周波数やチャンネル、電池の最終交換日時等を記録した紙片を入れます。
本来は透明プラスティック・カバーがあるべきなのですが、入手時にはありませんでした。プラ板で代用できるので問題にはしませんでした。
さらに、この個体は、上から紙片を入れられるようにホルダーが上下逆さまに付け替えられていています。この個体のようににホルダーの開口部が上向きになってると、本体を逆さまにすると紙片・透明カバーが抜け落ちてしまいます。本来は本体の底カバーを開かないと、このホルダーに入ってる紙片・透明カバーを取り出せないよう紙片を入れる開口部が下向きになるように取り付けられています。でも何故こうなってるかと言えば、やはりこうしておいた方が底カバーを開けずとも、容易にサッサと紙片を入れ替えることができるから、兵士が現場での使い勝手が良いように改造したのだと思います。


↓本来の取付けと上下逆さです。開口部が上を向いています。正しくは開口部は下向きで、カードを入れ替えるには面倒でも底部カバーを開かなければならないようになっていました。


↓銘板です。メーカーである「GALVAN MFG. CORPORATION」は1947年に「MOTOROLA」に社名変更しました。そう、あのモトローラ社です。


↓てっぺんに戻ります。上面からはアンテナが伸びるようになっています。


↓どうしても本体に収めきれなかった伸縮アンテナの露出部分は、これを保護するためのアンテナ・キャップが被せられています。被せて外れないよう固定するためにネジが切ってあります。


↓このようにです。キャップの底部内側が雌、本体側のアンテナ碍子(グリスで少し黄色く染まっている透明樹脂製のモノ)のすぐ下の土台に雄ネジが切ってあります。


↓普段はこの土台のネジにキャップのネジを締めてアンテナを保護します。


↓で、外したキャップは、消音のための黒いゴムカバーで覆われた金属チェーンで本体と繋がっていて紛失する恐れはありませんが、使用中ブラブラ揺れて本体に当たってカンカラカンカラ音を発するのを防止するため、「ちょっとココに居ててね」ネジ(マニュアルでは「Mounting Stud(取り付けネジ)」に留め置いておくようになってます。


↓こんな風にです。アンテナにキャップとチェーンが絡まって、アンテナと本体を短絡させることのないようにする目的もあります。


↓画像では少し左寄りに写っていますが、上部カバーの真ん中にあるこのプラスネジは内部の送受信器ユニットを本体筐体に固定するためのもので、周波数やチャンネルの変更には関係していません。「認められた修理要員以外は触っちゃいかん」とマニュアルに書いてあります。


↓ピンボケですみません。アンテナは4段伸縮構造です。一番下の部分を引っ張り上げると電源が入るようになってます。三段目から上は受けようとする電波量の調整をするために伸縮させます。


↓汚い画像ですみません。アンテナを伸ばし切ると103cmほどあります。


↓底部カバーはラッチ・ボルトとナットで固定されます。


↓ナットを緩めて…


↓スロットから外すと…



↓パカッと開きます。左に見える本体側の上の茶色の部分がラジオ・シャーシ、その下の空間がバッテリー収納部です。開いた底部カバーの内側にはバッテリーとラジオ・シャーシの電極をつなぐ接点バネが2つあります。


↓本体内部は3つに分かれています。上半分の茶色い部分がラジオ・シャーシです。左下の四角い部分には四角柱型のBA-38バッテリー(陽極電圧用・103.5V)、右下の丸い部分には円筒型のBA-37バッテリー(フィラメント電源(直熱陰極線条用)・1.5V)が入ります。互いに入れ間違えないようにするためにこのような形状にしたんだそうです。


↓右のBA-37バッテリーは左のBA-38バッテリーの半分くらいの長さです。


↓底部カバーの内側です。縁には防水のための黒いゴム・シーリングが巡らされています。左上、ここにもオレンジ色で「バッテリーを入れる前にTM11-235を参照せよ(BEFORE INSERTING BATTERIES REFER TO TM11-235)」との注意書き。接点バネを留めてある絶縁板には「+(陽極)側を外側にしてバッテリーを収めること。(PLACE BATTERIES IN POSITION WITH +(POS.) END OUT.)」の注意書き。


↓ラジオ・シャーシを拡大。上の丸い銀色の端子のすぐ下の「A+」は「BA-37バッテリーの+とつながる」の意。そのすぐ下にはこのシャーシの名称「RECEIVER AND TRANSMITTER CHASIS BC-611-F」。さらにそのすぐ下にはまた丸い銀色端子。「B+」は「BA-38バッテリーの+とつながる」の意。左に縦の黒い部品は陽極回路(plate circuit)ジャンパー。一番下はマイクとイヤフォンのジャック。


↓ジャンパーとジャックを抜いてみました。ただそれだけです。


↓筐体は金属の鋳造。


↓受話口のキャップはねじ込み式なので容易に外せます。


↓受話口のユニットが見えます。


↓送話口もキャップはネジ式で容易に外せます。


↓こちらのユニットも奇麗です。


↓TM 11-235(のリプリント)です。SCR-536の入手後ほどなく入手しました。オリジナルも探しましたが見つけられませんでした。


↓目次の次のページにはこのように「DESTRUCTION NOTICE(破壊告示)」として、この無線機を敵に使わせたり回収させて敵を利することにならないように、粉砕して、切断して、燃やして、爆裂させて、廃棄してばら撒け!との指示があります。


↓「チェックメイト キング・ツー、チェックメイト キング・ツー、こちらホワイトロック(本当は「ルーク」だけど)、どうぞっ!」のCOMBAT!のサンダース軍曹のセリフが聞こえてきそうです。でも、M1ヘルメットのはずが、ライナーだけっていうのはちょっと残念。


↓他の無線機も含めた周波数スペクトル。下から6つ目に今回採り上げたSCR-536-(*)があります。送受信とも3.5~6.0メガサイクル(今で言うメガヘルツ)を使います。0.05メガサイクル刻みで50チャンネルのうちの一つに予め設定しておいて使用します。



当初は背負い型の大きい野戦無線機SCR-300を「ウォーキー・トーキー(Walkie-Talkie:歩きながら話せる)」と呼んでいたのに対比させて、このSCR-536を「ハンディ・トーキー(Handie-Talkie:持ちながら話せる)」と呼んでいましたが、その後SCR-300を含む、手で持って話せるすべての無線機を「ウォーキー・トーキー」と呼ぶようになっていったそうです。
WWⅡ後は朝鮮戦争中期・後期まで使用されましたが、後継モデルたるAN/PRC-6がその役目を継ぎ、ヴェトナム戦争まで使われました

あともう少しマニュアルの画像を用いて細かく説明しようかなと思いましたが、あまりにもボリュームが大きくなるので、今後またあらためてご紹介したいと思います。

それでは今回はこの辺で失礼します。


  

Posted by Sgt. Saunders at 07:50Comments(0)米軍(U.S.)装備品(Equipments)

2017年01月22日

ドイツ軍7.92mm小銃弾300発カートン(WWⅡGerman 300 cartridges carton)

みなさん、たいへん遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
新年最初の投稿です。また今年もお付き合い下さいますようお願い申し上げます。

アメリカ合衆国の第45代大統領のトランプ氏の就任式が20日に執り行われ、その関連ニュースで世界中で少しざわついていますが、みなさま方はどのようにお感じでしょうか?
日本政府もいろいろ気苦労の種が増えて大変でしょう。

さて、新年最初に採り上げますのは昨年最後の記事で採り上げましたドイツ軍の小銃弾7.92mmモーゼル弾(Patrone s.S.)の最小梱包単位である15発入りパック(←前回記事が別ウィンドウで開きます)を20個収める300発カートン(Packhülse 88)です。このカートンが更に5個収まるのはPatronenkasten 88と呼ばれる木箱です。私はまだこの木箱は現物を見たことがありません。

↓ともあれ、これが300発収納のカートン(Packhülse 88)です。↓

やや厚めのボール紙でできています。取っ手はコットン(?)のストラップで、このストラップは同時にカートンに収まる20個にのぼるパックをグルッと一括りする役割も果たしているのです。追い追いお分かりいただけるかと思います。

↓筒状のカートン本体と、両端を塞ぐ部分の全ての面がボール紙2枚の二重構造になっていて、上述のストラップがその2枚のボール紙の間を通って20個に及ぶパックをグルッと結わえる構造になってます。


↓こちら側の「蓋」に施されたメーカーのロゴと製造年(1934年)の刻印。実はまだメーカー名を特定できていません...。


↓カートン上面手前にあるラベル。赤色の「i.L.」のスタンプはK98k用装弾子付きであることを示す「in Ladenstreifen」の略です。

曰く、
(1行目)Patr. s.S.(Patrone schweres Spitzgeschoß:重量尖頭弾)
(2行目)P.15.L.34(Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.社製(コード:P)、ロット15番、1934年製造)
(3行目)「Nz.Gew.Bl.P.(2・2・0,45):」はNitrozellulose Gewehr Blättchen Pulver(ニトロセルロース弾薬用小葉体火薬)、火薬粒子が2mm x 2mm x 0.45mmであることを示します。
(4行目)「Rdf.11.L.34」のRdfは上の3行目で示された火薬の製造者「Westfälisch-Anhaltische Sprengstoff A.G.社」を示します。1934年製造、ロットナンバー11番です。
(5行目)「Patrh.:P*.45.L.34」は「Patronenhülse(薬莢)」についての標記。「Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.社(コード:P)、ロット45番、1934年製造」となると思います。「思います」というのは、Pのすぐ後ろの「*」が分からないからです。過去記事でこれが、「真鍮の銅の含有率が72%であることを示すという資料があります」と紹介していましたが、今も尚確信が持てていません。今後引き続き調べていきたいと思います。つづく「‐Gesch.: P.274.L.34‐」は「Geschoß(弾丸)」についての標記。「Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.社(コード:P)ロット274番、1934年製造」となります。更にその後ろ、「Zdh.:S.K.D.869. L.K.」は「Zündhütchen(雷管)」の略。「S.K.D.」は「Selve Kronbiegel Dornheim A.G.社」の製造者コード。ロットナンバー「869」で、その後の「L.K.」ですが、これについても「K」が1934年を示すのだとする資料がありますが、確信には至っておりません。もしご存知の方がいらっしゃいましたらお教え頂きたく存じます。
ラベルの上のカートン本体に直に印刷されているAとCとJを組み合わせたロゴは…どのメーカーのものかまだ分かりません…。「1934」は言うまでもなく1934年製の意です。

↓一番目の画像とは反対側からの画像です。


↓「Tragschlaufe(運搬用吊り手)」。このFraktur(フラクチュール)書体のほかにも一般的な普通のラテン文字での表記がされたものがあります。


↓こちら側の「蓋板」には菱形の封紙で封がされています。「P」は上で見たのと同じ「Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.社」の意。


↓「蓋板」自体にも製造者ロゴと1934の製造年が型押しされています。


↓封紙を破って蓋板の外側のボール紙を開くとバックルでタイトに締め上げられたストラップが出てきました。


↓ストラップにはバックルの爪を刺すための穴は無く、ストラップに直接爪をブッ刺して締めます。


↓バックルの拡大。材質不明の金属製で黒の塗装。「PRIMA」の商標。


↓ストラップはへリンボンツイル(杉綾織)で十分な強度を持っています。


↓バックルを外しました。蓋板を完全に外して中のカート箱を取り出すことができます。丁寧に扱えば複数回は再利用できそうです。


↓カートン本体は底部分でステイプラー留めされています。



いかがでしたか?この個体は数年前eBayで手に入れたのですが、ダミーカートが出品禁止になったせいか、最近はあまり出品されているのを見ないですね。ミリタリーショップでもあまり出物が無いように思います。大事にしたいと思います。

それではまた…。