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2021年03月28日

原点「コンバット・マガジン」("COMBAT!";inspired me to collect.)

みなさんこんにちは。
当地大阪でも記録史上最速で桜の開花宣言が出たんだそうで、これもいわゆる温暖化の影響なのでしょうか。近所の桜は5分咲きくらいになりました。
首都圏1都3県に発令していた「非常事態宣言」が「もうみんな慣れてしまってて最早宣言したままにする実質的意味が無い」だとか「自粛疲れしているのを何とかしたい」など、解除理由としては釈然としないことを根拠に去る21日に解除され、一挙にまた感染が拡大しそうな気がします。「まん防」というまた新しいワードを持ち出して何やら世論を煙に巻くように画策しているような...。医療崩壊のリスクを考えると、私のような素人は「ホンマに大丈夫かいな?」と疑問を持ちます。

そんなこんなで本日定刻を1週間過ぎてシトシトと春の雨が降る当地大阪郊外都市からお送りいたします今回のネタは私の蒐集歴の始まるキッカケとなった古い「コンバット・マガジン」をご覧いただきます。と言ってもコレクションに関わる部分だけでして、記事全般を見るわけではありません。どうかご了承ください。

↓コンバット・マガジン1985年6月号の表紙です。「エッ!もう36年も前?!」色んな意味で愕然とします。

これまでの記事の中でも時々触れていますが、この雑誌をたまたま書店で見たのが今に至るミリタリー、ミリタリーコレクション趣味の原点でした。田宮模型のミリタリーミニチュア・シリーズや戦艦・戦闘機のプラモデルなんかをそれまでに作ったりしてたので、ミリタリー関係そのもの自体に対する興味は少なからずありましたが、あくまでも「歴史上の出来事の再現・イメージ」にとどまっておりました。ほかには少年ジャンプなどに載っていた通販会社のモデルガンの広告を見て「これ欲しいなー」と思う程度でした。刑事ドラマや映画のヒーローが拳銃をぶっ放して悪を倒すカッコよさからの興味です。この頃はノッペリとした外観のオートマチックよりもS&Wなどののリボルバーの方が好きでした。
コンバット・マガジンの銃器やそれに関連するミリタリー記事・トイガン記事が毎月楽しみで、程なくライバル誌である「Gun」誌もほぼ毎月購読するようになりました。そんな中で一番の驚きは「軍隊の使っている・使っていたモノを売っている」広告が沢山載っている事でした。軍隊の使っていたモノは博物館に鎮座しているか、若しくはごく限られたホンの一部の人間だけが色んなコネクションでやっとこさ入手できるモノだと思ってたからです。米軍基地が多く存在し、「払い下げ店」の存在が身近である地域の人からすれば「何をそんなに驚くの?」という感じでしょうか。大阪の長閑な郊外都市に住む者にとっては「払い下げ店」の存在は遠かったのです。もちろん知ってる人は知ってたのでしょうけれども。

↓東京ファントムの広告です。ネットの無い頃はこのような雑誌広告だけが私にとっては数少ないミリタリーモノの入手情報源でした。


↓ボールペンで丸印を付けてました。「M1カービンマガジンポーチ」が良品600円、新品1,000円です。この「M-1 カービン/小銃30口径カートリッジ・ポケット」は製造年さえ気にしなければ現在でもデッド・ストックが一つ1,500円程度で入手できますね。国内でも良心的なところでは程度に応じて安価で販売されてます。中には何故かせいぜい「極上品」なのに「3,000円!」なんていう価格設定のお店があったりして、広ーくショップを見渡さないと掴まされる事もあるようです。ほかにもこの画像の中には「この値段だったらこの時に買っておけばよかったなー」と思うモノが幾つもあります。


↓真ん中の「USフィールドパック(名刺カバン)」(M1961コンバット・フィールドパック)の良品が1,800円‼これも当時に買っていればよかったです。現在なら良品であれば3,000円はくだらないでしょう。「名刺カバン」の語がいいですね。


↓「US鉄カブト(M2)一式」良品8,500円。「M2」とありますが、WW2の空挺隊用のM2ヘルメットではありません。この頃は一般的に「M1ヘルメット」とはWW2を通して使われ、その後に重心が低くなるよう高さを低く改良される前のモデルを指し、対して「M2」は、改良後の高さの低くなったM1の事を指して言っていました。ミリタリー業界全体で高さが低くなったM1の改良型を「M2ヘルメット」という別の新しいヘルメットとして認識していた感じです。WW2は「M1」、ベトナム以降は「M2」という概念だったと言ってもいいでしょう。現在だとライナーヘルメットがどの時期のモデルかによっても変わりますが、ミッチェルパターン・カモ・カバーとゴムバンドが付いた「ヴェトナム戦中バージョン」なら国内では8,500円での入手はまず困難でしょう。最低でも15,000円位はするのではないでしょうか。


↓ハイデンの関西ネタ記事です。関西のミリタリーショップの特集です。私の好きだった「ナニワ・ガラクター」も載ってます。まだアメリカ村ではなく島之内にあった時代です。MASHさんはこの頃はアメリカ村にありました。後に火災に遭われたあと浪速区に移転なさいます。この頃はサバゲがジワジワと広がり始めていった時期でした。「サバゲフィールド」などいう今では普通の概念も、この頃にはまだありませんで、河川敷や広い公園、山林に分け入って人目を忍んでお巡りさんや面倒な人に見つからないようにやるのが通常でしたねぇ。もちろん私有地の所有者にしっかり承諾を得てやってたかたもいらっしゃったと思いますが。今より多少はおおらかな感じでしたが、話の分からんお巡りさんに目を付けられたら結構面倒臭いことになってたようです。マナーの悪い集団もあったようです。私は面倒臭い経験はありませんでしたが。


↓サムズ・ミリタリ屋さん。昔から実物だと高価な物をモデル品で提供して下さってます。


↓右上のハヴァーサックが上下逆さまなのはご愛嬌?左のTボーンスコップは欲しかったですが、コレクションしていく優先順位で言えばまだ劣後でしたので後回しでした。右下のレギンスの極上品を注文したら海兵隊用のデッドストックが頂けました。


↓大御所アルバンさん。切手でカタログを請求しましたねぇ。カタログが単なる物品の羅列に止まらず、解説書のようになってまして軍装品についての知識習得に役立ちました。


↓アルバンの広告に赤線で印が付いてますが、高嶺の花でした。


↓ここにも赤印が。でもやっぱり先ずベルトとか弾薬パウチの方が先でした。サバゲ用のヘルメットは中田商店さんで中古のM1(先ほども申しましたが当時で言う所のM2(高さが低くなったM1))ヘルメットの外帽とレプリカの内帽を買って「M1ヘルメット」にしてました。


↓沖縄のアメリカ屋さんです。東京にも支店を展開なさってました。払下げのメッカとも言うべき沖縄から、その価格の低廉さ・品揃えの豊富さで他の払下げ店の追随を許さないような勢いを感じました。私も大変お世話になりました。ただこの頃は私はWW2US装備しか眼中に無く、ヴェトナム戦装備には露ほども興味が無かったのでメリットを享受することは多くは無かったです。今は「もっとこの値段でヴェトナム戦装備品を買っていたらなー」と思います。


↓左上⑯のD「旧型綿ピストルベルト」とは「M1961」ピストルベルトですね。良品が2,000円で買えてたんですね...右の⑱のA「X型サスペンダー」2,000円は買いました。WW2装備で格安でしたから。


↓⑲のA「M2コンバットヘルメットセット」8,000円!(ここでも「M2」となってます。WW2の空挺隊用のM2ではありません。いわゆるヴェトナム戦以降によく使われた「M1低重心改良モデル」です。)ミッチェル・カモ・カバーではなくERDL迷彩カバー付きです。ミッチェル・カモ・カバーは良品がL「リーフヘルメットカバー800円」として売られています。800円ですよ。800円。今ならまあ3,000円は下らないと思います。


↓左側はWW2ファンにとっては今では夢のような価格です。Bの「WW2 6ポケカーキーベルト(BAR用ベルト)」が3,000円!Cの「WW2 10ポケガーランドベルトカーキー又はOD」が良品で2,000円!Hの「WW2コンパスポーチ(写真ではブリティッシュメードですが)」の新品が1,000円、良品が600円です。私は新品を買いました。右側もFの「M16 20連マガジンポーチ」が新品で2,000円!現在ではまあ5,000円は下らないです。Gの「M14マガジンポーチ」が新品800円、良品が600円!これも今なら新品なら4,000円前後はしますよね。


↓右㉔のI 「M16の20連マガジン極上品」が1,200円!今なら4,000円は下りません。


↓ボディーアーマーは現在とあまり変わりありませんね。


↓ナニワガラクターさんも有難いお店でした。今この価格なら凄いんですけれど、この当時でも比較的廉価で提供して下さってました。


↓まだ島之内にお店があった時です。


↓⑥と⑦を買ってサンダース軍曹行軍シーンを再現しましたよ。当時でも2つで5,500円というのは破格でした。アルバンさんなんかでしたらもうちょっとしてました。


↓文:菊月俊之・イラスト:川越のりとのコンビでの連載記事「ミリタリー入門」は初学者の私にとって色んな知識を授けて下さいました。


↓WWIUSユニフォームにも興味をそそられました。菊月先生はWWIUSユニフォーム・装備への思い入れが一入でらっしゃるのがよく分かりました。左ページ下の「アドルフ」さん、今はどうなさっているのでしょうか。ドイツ軍・日本軍・米軍など幅広い品揃えでお値段も比較的廉価で提供して下さっていました。右ページ下の「襤褸」さんは、私の弟が日本軍ファンなのでもう少し後になってからチョコチョコお世話になっていたようです。


↓WWIUS装備にも興味を抱き、蒐集対象にし掛かりましたが、何分現存数が少なくてお値段も私には辛いものでしたので已む無く断念しましたねぇ...。


↓現存数も少なく、あっても保存程度が良いモノが少ないので精巧なレプリカを制作しているショップが海外には沢山ありますが、やはりどうしても私は実物を求めてしまいます。サバゲでなら汚してもいいレプリカですが、フィールドで普通にボルトアクションのスプリングフィールド小銃を携えて戦ってもキワモノ扱いされそうです。


↓巻末に折り込みになってた約B4サイズのポスターの裏面は中田商店さんの広告になっていました。時々このように商品広告ではなく代表者である中田忠雄氏の所蔵する資料が掲載されることがありました。天然資源の乏しい日本が大戦中に本来の原材料ではなく、その「代用物」で作らざるを得なかった「竹製ヘルメット」や「陶製手榴弾」などが掲載されておりまして、私はこれらの掲載は、世間に対する氏の反戦メッセージだと感じました。


↓中田商店さんの広告です。左のE-1403はM1956Hサスペンダーで、1,200円は安かったのではと思います。私はこの頃はまだヴェトナム戦装備に関心が無かったので買いませんでしたが。中田商店さん(中田忠雄さん)はサープラス界・ミリタリー商業界で払下げ品を最も広く一般に普及させたお方であるのは皆さんご承知の通りです。お亡くなりになってもうやがて2年になろうとしています。私はほんの数年前に東京へ行く機会があった時に一度だけ実店舗を訪れたことがあったのですが、昔も今も店頭では偶に物凄いモノが破格で売られることがあるんだそうで、関東の方々が羨ましいです。


↓画像の真ん中E-1524の茶革製のレプリカM-1916ピストル・ホルスターが3,500円。実物のM-1916ホルスターが当時最低でも15,000円程の価格だったので、まだ高校生だった私は「おい、それ」とは買えず、このレプリカを買ってサンダース軍曹になりました。コストパフォーマンスは良かったと思います。



冒頭でも申しましたが、ミリタリー趣味に嵌まって以来30有余年。少ない資金で細々と蒐集して参りましたが知識を得ながらの蒐集はとても楽しいものです。今は物量よりも知識欲の方が勝っているのですが、目の前に「お手頃価格」で売りに出ているとやっぱり心を動かされてしまいます。
インターネットの普及する前は今回見て来ましたように紙媒体の広告と実店舗訪問が物品購入のチャンネルでした。現在はインターネットが主流になっていますが実店舗を覗いて思わぬ発見・発掘をすることもあり、実物の手触りも大事にしていきたいと思います。

今回の記事を書いていて思った事は「沖縄アメリカ屋さんで、M14用のマガジンパウチを20個くらい買っておけばよかった」です。デッド・ストックが800円。タイムマシンがあればなぁ。

それでは今回はこの辺で失礼いたします。またお会いしましょう。さようなら。



  

Posted by Sgt. Saunders at 12:00Comments(0)ドイツ軍(Germany)無題

2019年06月23日

アクセス数について考える、のココロ(Top 10 Most Popular Articles)

みなさん、こんにちは。
梅雨入り宣言が平年よりかなり遅れております大阪より約一か月ぶりにお届けします。

本ブログ「蒐集徒然草(しゅうしゅうつれづれぐさ)」を始めて、もうカレコレ6年が経とうとしております。
初投稿は2013年8月11日で、最初の投稿記事のタイトルは「BROWNING MACHINEGUN U.S. CAL..30 M1919A4」でした。念願だったM1919A4を無可動(不稼働)実銃という形で手に入れることが出来た嬉しさを他の同好の士の方にも知って欲しい一心で、初めてコレクションを世に晒したのが私のミリブロ初投稿でした。
それより前から、米軍やドイツ軍など各国軍のコレクションをなさっておられる方々のHPを拝見しておりましたら、自分のコレクションを振り返って見つめ直しつつ、回顧録のようなものを綴れたら面白いかなと思い、HP作成よりかはブログの方が気楽に続けられそうでしたので始めたのが発端です。
もう6年が経とうとしていると知り、そんなに長く続いているのかと思うと感慨深いです。

前回の記事で投稿記事累計数が135になりました。各記事へのアクセス数については、古い記事の方が新しい記事よりも相対的に多くなりそうではありますけれども、いわゆるアクセス数ランキングを見た場合、記事が古ければ古いほどアクセス累計が必ずしも多くなる訳ではありません。初めから当ブログへ直接お越しになられる方のほか、GoogleやYahoo!検索などで特定の語句を検索した結果期せずしてこちらへお越しになられる方も多くおられる訳でして、世の人々の関心のある語句が当ブログの記事中の語句・タグとマッチすれば記事の新旧を問わず、アクセス数は伸びる結果となります。畢竟皆様の関心のある語句が何であるかが各記事のアクセス数にじわじわと反映されるという事になります。
そこで今回は、投稿管理画面で分かる「人気記事上位100」から、更に上位10記事を取り出して見てみることとします。


まず第10位は「B.A.R.のマガジン(The magazine for BAR M1918) 」(2014/04/13) です。

「実銃は持てないので、せめてアクセサリーを...」という一心からマガジンやダミー・カートを蒐めてきました。このBARのマガジンを入手した当時はまだ今ほど輸入規制が厳しくなく、一度に大量に輸入するなどでなければ呼び出し状が来ることはありませんでした。もう10年以上も前の事です。最近はマガジンの入手が厳しくなって、個人輸入の道はほぼ閉ざされてると言っても過言ではありません。今あるモノの保存・維持がとても重要であります。

第9位は「マークⅠ トレンチ・ナイフ(U.S. Mark ⅠTrench Knife)」)(2014/07/27) です。

この記事はジョークです。個人輸入は不可能なダブル・エッジのナイフを入手した―!とぶち上げて、実はミニチュアのレター・ナイフでしたーという、真面目にトレンチ・ナイフの情報を得ようとお越しになられた方にとっては全く期待を裏切る失望モノで、申し訳ございませんでした。レプリカのフルサイズのトレンチ・ナイフが販売されていますが、価格がもうちょっと抑えられないものでしょうか。プラモデルでもいいのでシースも含めて3,000円程でどこかのメーカーから出してくれないかなと思います。大昔LSがプラモデルでM7銃剣を出していましたよね。LS倒産後アリイが旧金型を活用してしばらくは販売が続いていました。同じようにどこかのプラモデルメーカーが出してくれることを祈ります。いまアメリカのIMA(International Miitary Antiques)でインド製のそこそこいい出来のレプリカが売ってるんですけど、日本へ送って貰えませんかと尋ねても「海外へは発送できません」との非情な答えしか返って来ません。

第8位は「M1カービン用15連マガジン(15 rounds magazine for US M1 Caribine) 」(2014/02/02)です。

これも近時個人輸入が非常に困難な「銃器関連モノ」の記事です。WWII中に元々はピストルに替わるものとして開発・採用されたM1カービンですが、ライフルよりは軽快でありながらピストルよりは射程が長いというコンセプトに基づくモノであり、攻撃・防御両面で使えるとしてソコソコ好評だったそうです。一部の戦記では威力不足を指摘されていますが、トータルバランスで見ればそれ相当の役割は果たせていたのではないかと思います。第10位の記事のB.A.Rや、このM1カービン用のマガジンも含め、私のマガジン・コレクションはただ蒐めるだけでなく、「身に着けたマガジン・パウチを満たして悦に入る」という目的にも重きを置いて現在に至っておりますので、例えばコスプレを楽しむときには、マガジン・パウチには適当な詰め物ではなく、やはり実物マガジンを詰めたいところで、数が多く集まれば集まるほど嬉しいです。「数」をある程度揃えた後に初めて「メーカー」は何処だという事に関心が向きます。


第7位は「WWⅡU.S. 2バックル・ブーツ(WWⅡU.S. Buckle Boots) 」(2016/01/31)です。

このブーツが開発される前はサービス・シューズ(所謂アンクル・ブーツ)とレギンスの組み合わせが一般的な米軍歩兵でありました。WWII中にこれが採用され、より機能的・近代的になったという意味で多少は見栄えがアップしたように思います。
靴・ブーツの類は良い状態で残っているモノが少ないですね。戦闘用の軍装の中では、やはり靴は一番消耗が激しいモノでしょうから無理もありませんか。そんな中でこの記事で採り上げた現品は比較的程度が良い状態で入手できたモノでした。他に長年形が崩れたままで保存されていて革がかなり硬化していたモノ、底が擦り減りきってしまっているモノ、この記事のモノより若干使い込まれているモノの3足を持ってます。それぞれを入手した後に、より程度のいいモノに出会いますと、財政の許す範囲で贖って参りました。身に着けて楽しむ派の私としてはサイズも重要な見定めポイントになるのですが、サイズと程度の両方とも良いモノに巡り合える確率は少なくなってきました。元より日本人の足の幅は欧米人より広めで、私の場合は最低でも「D」幅は欲しいところ、「A」とか「B」、「C」なんかはアメリカ軍人に多いのか、結構出物があったりするのですが、「D」「E」は元々絶対数が少ないようで苦労します。


第6位は「Model of 1917銃剣とM1917鞘(M1917 Bayonet & Scabbard) 」(2014/07/21)。

銃砲刀剣類所持等取締法により、「刃渡り15センチメートル以上の刀、やり及びなぎなた、刃渡り5.5センチメートル以上の剣…」を所持するためには都道府県公安委員会の許可が必要である日本国内では、「美術品として価値のある」モノでない限り、或いは日常的に使う調理用の包丁類を除けば、刀剣類銃剣類の所持は実質不可能です。なのでこの記事の中に出てきたModel of 1917銃剣のように非鉄金属で作られたレプリカで我慢するか、刀身を15cm以下の長さになるように切断された銃剣で我慢するか、教育委員会の委員に「これは美術品的価値のあるモノだ」と思わせるように仕向けるしかありません。日本軍の軍刀の一部は「日本刀」としての価値のあるモノとしてキチンと登録証を取れば所持可能ですが、工業製品的レベルで大量生産された米軍の銃剣などは登録される可能性は残念ながらありません。せめて鞘(スキャバード)だけでも...と幾つかを蒐集してきましたが、やはり刀身カットの無い銃剣をコレクションしたいですね。ずっと前の話ですが、博物館に展示されている銃剣(日本軍のゴンボ剣でしたが)の、その薄く油を纏った刀身がギラリと黒光りするのを見た時、銃器とは異なる「殺傷道具としての凄み」を感じて少し鳥肌が立ったのを覚えています。銃器の場合は飛翔体(弾)が射手の手から離れ、言わば間接的に対象に殺傷効果を及ぼすのに対し、銃剣は、それを手にした者が相手の身体を直接損壊するための道具であります。なんだか軽々しく「銃剣をコレクションしたい」などと思うのは憚られるような、ちょっと考えさせられる経験でした。

第5位は「ERDL迷彩・USMC・ジャングル・ファティーグ(ERDL Tropical Coat) 」(2015/11/22) です。

ヴェトナム戦争期の軍装(戦闘用の)は、と言えば、所謂ジャングル・ファティーグとOG107サテン・シャツ(ジャケット)を想起しますが、一般的なジャングル・ファティーグに加えて、その迷彩版であるこのERDL迷彩ジャングル・ファティーグを一時期無節操に入手し続けた頃がありました。「コレクション」でもありながら普段着使いもできると踏んでこのERDLファティーグを購入し、夏季には実際に普段着感覚で着用しています。適度な色褪せ・「ヤレ感」のある方が、新品デッドストックのような綺麗なものよりしっくり着用できる気がします。グリーン・リーフ、ブラウン・リーフの別で言えば明るい印象のグリーン・リーフの方が好きです。現在でもまだ流通量も多く、価格はお店によってピンキリですが比較的入手はし易いです。最近はラベルの内容まで精巧に(巧妙に、と言うべきか)再現され非常に良くできたレプリカが出回っていて、レプリカでも何でもファッションとして着るんだからいいやという方には良いことでしょうけれども、「コレクター」にとっては憂慮される事となります。一昔前なら製造者名は出鱈目なモノにするなどしてレプリカが作られていたので「実物」との見分けも容易でしたが、近時は当時モノのラベル内容が完コピされるなど、最早レプリカと言うよりはフェイクと言えるモノが続々と出現しています。


第4位は「M8とM8A1スキャバード(M8 Scabbard, M8A1 Scabbard) 」(2013/08/24) です。

この記事も所持の禁じられている銃剣本体(バイヨネット)の方を本来は主役にしたかったのですが、哀れ刀身はカットされ、とてもその痛々しい姿はあまり世にさらけ出したくないですね。で、スキャバード(シース・鞘)を主役に仕立てた記事になったのでありました。M8A1スキャバードは最近はあまり見なくなりましたが、アメリカのeBayなんかでは$20も出せばそこそこいいモノが手に入ります。M7銃剣とのセットでも$60前後で入手可能です。M8はやっぱり数が少ないのか、目にする機会がM8A1よりも少ないです。記事にも書きましたがダブル・フック・ワイヤ・ハンガーの無い出始めの頃のM8はとても希少です。見たら購入しておきましょう。


第3位は「M-1956 コンバット・フィールドパック(US M-1956 Combat Field Pack) 」(2015/08/23)です。

私が蒐集を始めた30年も前の頃はヴェトナム戦争モノはまだ多くが「サープラス」の域を出ず、流通量も多く、価格はお手頃でした。まあ今でも程度によっては求めやすいモノも多いですが、しかし、今日ヴェトナム戦争終結から既に40年以上が経ち、「サープラス」から「ヴィンテージ」の域に入ろうかという所で年々価格は高騰しています。この記事の次の回の記事でM1956の後継である「M-1961コンバット・フィールドパック」を採り上げてまして、そのM1961パックは私が高校生時代に通学鞄として愛用しておりました。バッグ類に限らず、実用できるコレクションは購入費用を自腹とせずに必要経費として家計から費用支出して貰えるように小細工できるので良いです。


第2位に「大日本帝国海軍短剣(Imperial Japanese Naval Dagger) 」(2014/12/28)が入りました。

私の蒐集対象は米軍歩兵科一般兵士装備品、とりわけWWIIモノがその中心で、その蒐集遍歴から綴る当ブログの記事のアクセス数の上位第2位が、何と「寄り道コレクション」であるこの「大日本帝国海軍短剣」になろうとは全く意外でした。
この海軍短剣には日本人の芸の細かさが集約されていると思いまして、もちろんその仕上げや素材によって価格もピンからキリまであるのですけれども、まあまあ財政の許す範囲でこれを贖いました。海軍短剣に限らず旧軍の刀剣類には「美術品として価値のある刀剣類」として教育委員会の審査を受け、登録を受けることにより所持・譲渡・相続を認められるようになるケースが多くあります。「登録証」の付いたものでしたら所持許可証などは必要無く自由に所持できます(所有者変更届の提出は必要)。記事中の写真は、私の撮影技術が未熟なためにその美しさが100%再現されていませんでお詫びするしかありません。


そして栄えある(?)第1位は「WWⅡU.S. ガバメント用M1916ホルスター(WWⅡU.S. M1916 Pistol Holster) 」(2014/09/28)です。

(PC版でこの記事の写真だけ大きいのは「第1位」だからではありません。この頃の記事から画像のサイズを大きく変更していったからです。)
日本におけるサバゲ―の黎明期に、たまたま十余回目かの再放送で観たTV映画COMBAT!のサンダース軍曹の姿を見て、サバゲ―のコスチュームの一つとしてこのホルスターを欲しがっていましたが、今ほど入手チャンネルは多く無い頃、ましてや可処分所得の乏しい高校生にとっては当時のこのホルスターの市場価格を簡単に用意することは能わず、仕方なく彼の中田商店が良心的に売り出してくれていたレプリカのM1916ホルスターで我慢しておりました。
この記事のアクセス数が多いのはタグに「WWII」という大雑把な語句を入れたからだけではないと思います。「WWII」で検索すればそれこそ膨大な検索結果に埋もれてしまいます。因みに「WWII  ホルスター  M1916」の語句で検索を掛けると、Yahoo!、Googleともに4番目に当記事が挙がってきました。


検索に引っ掛かるためのタグの選定によってヒット結果に差が出るのは当然です。現在当ブログは私の思うがままに書き連ねているもので、もしこれが何らかの形で世の役に立つことになれば是幸いで、その意味においてWikipediaには到底及びませんが、少しでも参考になればと広く一般の方々が検索をかけたときになるべく的確に検索結果にあがるようにタグ付けをしているつもりです。
アフィリエートには今のところ関心がありませんので、アクセス数は単純にどのくらいの人が見に来て下さったのかなーという事を知るためだけのモノですのでいたずらにアクセス数を稼ぐ必要は私にはありません。これからも好き勝手に書き連ねて参りますのでよろしくお願い申し上げます。


それでは今回はこの辺で失礼します。さようなら。


  

Posted by Sgt. Saunders at 12:05Comments(0)無題

2018年01月01日

御年賀(New Year's Greetings)

明けましておめでとうございます。

みなさま方にはおめでたいところだと思いますが、私儀、年末最終の勤務日の12月29日の夕方、何ということでしょう!左足のふくらはぎにかなり重い肉離れを起こすハプニングが起きてしまい、現在二足歩行ができません。まことに悲しいことでございます。
大晦日に2017年最後の投稿をしようと思っておりましたが、その意気は完全に消沈いたしました。

とは言え、みなさまには新年のご挨拶は申し上げませんといけないと思い、ここにご祝賀を申し上げる次第でございます。
本年もどうぞよろしく・ご指導・ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。
取り敢えず次回投稿予定にしていたネタの画像をおかせていただきます。




  
Posted by Sgt. Saunders at 20:20Comments(0)無題

2014年05月25日

蒐集いまむかし(Collecting, present and past)



こんにちは。今日も当地大阪は真夏日になろうかという勢いの晴天に恵まれています。みなさまの処は如何ですか?

さて今回はいつもと趣を異にして「随想」めいたモノをひとつ。テキストばかりですが、何卒よろしくお付き合いください


むかしむかしインターネットなどという言葉すらない頃、今から30年も前に私が初めて訪れたミリタリー・ショップの実店舗は大阪のナニワ・ガラクターさんでした(「島之内」から「南炭屋町」に移転された頃です。現在は「ガラクター」が正式名称です。)。このお店は、今でもそうですが、世界中の色んな国々のミリタリー・グッズを広汎に取り揃えておられ、且つ比較的お安い価格でご提供頂いている点が魅力のお店です。
初めて実店舗に入店する緊張感とワクワク感が混然一体となる中、当時店内所狭しと商品が並べられている「森の中」を、宝探しをするかの如くゴソゴソ漁っていると、米軍のWWⅡ装備の一つである「M-1936ベルト・サスペンダー」を発見し、訪問前は「サンダース軍曹になる」為にガバメント用の茶革ホルスターを目当てにして訪れたのですが、しかし、このサスペンダーもいずれは手に入れたいと思っていましたから、興奮を抑えながら、いくつかあった中で少しでも傷み・錆びの少ないモノを選んで、価格は確か3,800円くらいだったと記憶してますが、一般的な相場はもう少し高かった所、なかなか良い値段で手に入れることが出来たーという喜びは今でも忘れません。自分の目で見て、触って、嗅いで(マニアの皆さんには共感頂けると思います)品物を手にする愉しみは代えがたいです。

その一方、ミリタリー関連雑誌の発売日当日に雑誌を購入し、普段から目星を付けてあるお店の広告に欲しいモノが掲載されているのを見つけるや即注文書を作って郵便局へ直行したり、あるいは自作のウォント・リストを軍装品店へ送って在庫を照会し、希望に合うモノがあれば現金書留や郵便為替で送金して購入して送ってもらったりと、通信販売という方法でも集めていました。私の場合実店舗を廻って手に入れたモノより、通販方式で入手したモノの方が多いです(インターネットが普及してからは格段にネット経由での蒐集が多いです)。
また、昔の通販では、値段の張る「第三帝国・武装親衛隊モノ」等ならともかく、「現品を写真に撮って見せてくれ」なんてことは一般的ではありませんでした。現在では「デジカメで撮影し、画像ファイルにして24時間自由に送信・掲示」で、一人ですべて完了でき作業としては簡単な事ですが、以前は「カメラで撮影し、フィルムをDPE店へ持っていって最低でも30分はかかって現像・プリントしてもらって更にそれを郵便で送る」という膨大な手間・費用が掛かる仕事になっていたからです。また、お店が出しているカタログや雑誌の広告に商品写真が載っていたとしても、写真は「代表モデル」であるのが通常で、これは致し方ありません。印刷媒体上の現品広告となれば売れてしまったからと言って再び別の物品を掲載しては印刷しなおすという事を頻繁にする訳には参りません。ネット上の広告ならば売れた商品の画像を削除して別の同種商品の画像をすぐUPすれば良いですが。
したがって、実際に購入して送られてきた現品と「代表モデル」とは異なるのが通常でありまして、届いた現品を見て「広告掲載品より程度が悪いナ」と思うことは残念ながら少なくありませんでした。とは言えミリタリー・ショップのほとんどがHP上で商品紹介をしていても、現品を一つ一つ画像撮影してUPしているところもあれば、画像はあれどもやはり「代表写真」としているところもあります。「現品画像」のお店なら商品が届いた時にがっかりすることはありませんが、「代表写真」のお店であれば少なからずがっかりするのは、昔の雑誌広告を見て購入する場合と同じですね。

今や日本のみならず世界各国のミリタリー・ショップやサープラス・ショップがインターネット(WWW)上に商品販売のためのHPを設け、あるいは個人でも売りたいものを世界中に発信したりオークションに出品したりと地球上の何処にいても何処にあるモノでも売買ができる環境が完備されています。現在当たり前のように存在しているインターネットですが、それが爆発的に広がる1995年頃までは、コレクターが蒐集を楽しむためには自ら実店舗を訪ねて掘り出し物がないか、店主の気まぐれか諦めからか格安で売りに出されているモノはないか、とっておきのモノを密かに取り置いてくれてないかと宝探しのようにショップを探検するか、もしくはミリタリー関連雑誌の広告やミリタリー同人誌等に掲載される売りたし買いたし欄をつぶさにチェックして自分の興味のあるモノを手に入れるべく奮励努力しなければなりませんでした。

オークション・サイト等の発展に伴い、個人も容易に自分のモノを広く世界にお披露目できるようになり、「個人から通販で買う」ことができるようになったのもインターネットの普及のおかげです。
オークションで「もっと画像をUPして欲しい」という購入者の要望があれば、デジカメでさっと撮影して画像ファイルとしてメールに添付して直接相手に送ったり、商品紹介ページに画像を追加したりして終わりですから、出品者も容易に対応でき、お互いに都合がよいです。

ネットが拡がる直前の頃、私はよくアメリカ国内のミリタリー・ショップへ航空郵便(もはや語感が懐かしい!)でさまざまな装備品の在庫・価格を調べては注文書を出し、インボイスを送ってもらって、外国送金は銀行の為替手数料があまりにも高くて(最低でも5,000円くらいしました)使えないので、手数料がとても安かった郵便局の国際郵便為替(Japan International Postal Money Order)を組んで書留で送ったり、親にクレジット・カードを使わせてもらって(もちろん代金は現金で親に払いましたよ)カード決済したりしてコツコツ集めていました。

そのような経験を通じて感じたのは、国内価格と海外価格との差が尋常ではないということです。輸送・通関費のことや、ミリタリーコレクションという趣味が海外と比べて日本ではまだまだマイナーな世界であり、それを稼業とするショップとしてはショップの維持・利益確保のためには海外のショップの売出価格に比べてどうしても価格設定を高くしなければならないという必然性を考慮しても、「ちょっと利益盛りすぎじゃないの?」と感じざるを得ないショップが多かったです。

ショップHPでの通販、オークションでの落札など、いまやネットで世界中からいとも簡単に目当てのモノを見つけることができますし、価格も比較的廉価で入手しやすく(各国のeBayもありますし)、まったく良い時代になったものです。家で、出先でポチッとやるだけで簡単にコレクションを増やしていくことが出来ます。
しかしながら、やはりショップの実店舗に足を運び、自分の目で見て、触って、嗅ぎながら「お宝」を探す愉しみは、ネットを介しては味わえません。希少なモノをネットで見つけることが出来た時も感激しますが、これからも折を見ては実店舗を探検し、思わぬ掘り出し物を見つける醍醐味を求めていくだろうと思います。

以上、おっさんの蒐集いまむかし話でした。それでは、また・・・。

  

Posted by Sgt. Saunders at 11:27Comments(0)無題

2014年03月21日

きっかけは偶然の重なりです

こんばんは。こちらは前夜の雨は朝までには止み、明けて日中は晴れ間もありましたが、ただいま午後8時過ぎで気温5度と、寒さがやはり戻ってまいりました。皆様のところは如何でしょうか?

さて、今回はいつもと趣向を変えて、私の蒐集(コレクション)のきっかけについて少しお話ししたく、よろしければお付き合いください。

私がミリタリーに関心を持つようになった最初のきっかけは、小学6年生だった頃に、プラモデルの1分野として、かの田宮模型が展開していた(今もなお更に発展していますが)「ミリタリーミニチュアシリーズ」に接したことでした。
小学1年生の弟が彼の友人と2人で何やらチマチマと室内でおままごとのようなことをして遊んでいるのを偶々目にし、よく見てみると、小指ほどの大きさの人形で戦争ごっこをしているのが分かりました。
「へぇこんなのがあるんか」とその中の一体を良く見せてもらうと、ディテールが甘く、塗装もしていない、緑色や茶色のプラスチック樹脂がまだらに混ざった状態での成型ものでした。
「もっと再現度が高けりゃいいのにな」と言うと、「そういうのもあるけど値段が高くて手が出ない」とのこと。で、その子と弟と共に模型屋さんへ行って見てみると、さっき見たものよりもっとディテールが細かく、パーツが細かく分かれている田宮のプラモデルがありました。さっき見たものは製造会社名は忘れましたが、ライナーから切り離すだけの「手間いらずポーズ丸ごと一体成型」のミニチュアでした。箱絵は一丁前でしたが中身の質は残念ながら田宮のプラモデルには劣りました。ですが子供が遊ぶ分には十分でした。
しかしながら私としてはやはりディテールの細かい田宮のプラモデルの方に興味が湧き、それからしばらくは少ない小遣いの中から少しずつ買っては作り、買っては作りを繰り返しました。ドイツ軍、米軍ほかいろいろありましたが、どういう訳かドイツ軍ばかり作っていました。
子供心に、ラフな米軍の恰好よりカッチリしたドイツ軍軍服の様式美に惹かれていたのかもしれません。とにかくドイツ軍モノばかり作っていました。その後は、しかし、とくに毎日プラモ漬けという訳でもなく、ときどき買って作る程度でした。

㈱タミヤHP製品カタログページより引用。

中学3年の頃でしたか、かの有名なTV映画「コンバット!」の何回目かの再放送に偶然接する機会がありました。白黒放送で、隣で一緒にいた親父は懐かしそうに視ておりました。当初私は主人公である米軍側よりもプラモで親密感の有ったドイツ軍側を「応援」していたのですが、すぐにサンダース率いる米軍を応援する気持ちが湧いてきて、それまではドイツ軍のカッチリした軍服のイメージに対して、まるで作業着のような、なんとなく「だらしない」ように見えていた米軍の軍服にも、ドイツ軍とはまた別の恰好良さを見い出していったのでした。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の反対で「サンダース軍曹愛しけりゃM41フィールド・ジャケットまで愛しい」という感じです。
するとプラモも、敬遠していた米軍モノを手掛けるようになっていきました。

↑↓㈱タミヤHP製品カタログページより引用。

私はこのキットのM43F・Jのポケットのモールドを削り取って無理やりM41F・J仕様に改造してました・・・。

高校2年生ぐらいでしたでしょうか、書店で期せずしてふと目に入った雑誌「コンバット・マガジン」と「Gun」。これに大いに衝撃を受けました。
こういう趣味の雑誌が存在するということと、「軍装品」が買える市場(マーケット)が存在するということ。とくに軍隊が使っていた(使っている)ものを一般人でも買えるということは非常に衝撃的でした。以前本ブログの過去の記事でも書きましたが、軍隊の装備品は、「博物館に鎮座しているもの」であるという感覚しかなかった私には、それら「軍装品」が「商品」として広く売買の対象となって流通していることに驚きを覚えました。
それまで軍装品との関わり方としては、上述のように田宮模型の1/35スケールの「ミリタリーミニチュアシリーズ」を組み立て・塗装を楽しむことを通じてしか「体感・意識」できませんでしたが、軍装品を一般人も「買う」ことができると知って、博物館で鎮座している「軍隊で使っていたモノ」という『イメージ』でしかなかったものが、「身近に実在している『モノ』」という認識に変わったのでした。
そこで実際の軍装品の売買市場を目の当たりにして思ったことは、かつてなんとなく格好良いと感じていたWWⅡドイツ軍軍装品は押しなべて「高い」ということ。とても高校生が買うことは能わない金額でした。一方米軍モノは、さすがにWWⅡモノはべトナム戦モノや現用モノに比べると高いものの、WWⅡドイツ軍モノの値段に比べると遥かに求めやすい値段でした。
「買える範囲」、TV映画「コンバット!」のサンダース達の恰好良さ、流行りだしていたサバゲをやってみたい、この3つの要素は必然的に、私に「WWⅡ米軍装備で行く」との決断をさせるに至りました。そうして、以後少ない可処分所得の中から細々と蒐集(コレクション)趣味を楽しむこととなったのです。

長々とお付き合い下さいまして、ありがとうございました。

それでは、また。 (ここしばらくドイツ軍の銃器関連が続きましたので、今度は米軍の銃器関連を持ってくる予定です。)
  

Posted by Sgt. Saunders at 20:45Comments(0)無題