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2020年06月07日

ドイツ軍モノの真贋判定手段としての製造者コード・Waffenamt

みなさん、こんにちは。
政府から委託された仕事を電通に再委託して20億円を中抜きしたホニャララ協議会。これは(これも)徹底的に追及しないと、もう本当にこのにぽん国は最低最悪のクニになりますよ。メディアはやはり電通が恐ろしいのでしょうか、及び腰で報道にも熱が全く入っていません。もはや「メディア」の限界で、SNSしか追究する勢力が存在し得なくなってきているのでしょうか。検察は政府が押さえてますし。

はい、梅雨入り前の比較的良いお天気の続く、まるで初夏を思わせる快晴の当地大阪某郊外都市の寓居からエアコンの試運転&掃除を終えて本日定刻を3時間過ぎてお届けします今回の投稿記事は、私のコレクションの本流から離れてドイツ軍関係です...。

私がいわゆるミリタリーの世界に興味を持った一番初めのキッカケはドイツ軍です。当初から今でも「ドイツ軍モノ」については興味が無い訳ではなく、これまでの投稿記事の中でも何度か触れておりますように魅力を感じるモノは幾つもありましたし、財政の許す範囲で蒐集して来ています。しかし、この世界に足を踏み入れ始めの段階で、例えば1944年ノルマンディ―後の極々一般的なドイツ陸軍兵士の極々一般的装備品一式を揃えようかと考えた時、現実的な問題として「費用はどれくらい必要になるのか」というところにブチ当たりました。財政問題は切実です。渋谷アルバンのカタログを見ますと「M42シュタールヘルムが〇〇万円!」、「M43フェルトブルーゼが〇〇万円!」となっており、当時まだ高校生でありました私、たちまち蒐集意欲は萎えました。持たざる身としては萎えざるを得ませんでした。機をほぼ同じくしてテレビの「COMBAT!」の何回目かの再放送を見ているうちにサンダース軍曹の「アメリカ軍」に興味が湧いてその軍装が恰好良く見えてきまして、同じWW2時期の軍装品でもアメリカ軍モノの価格はドイツ軍モノのそれに比べて遥かに低廉で、「これならコレクションして行けそうだ。サンダース軍曹になろう!」と明るい展望が開けまして、以来アメリカ陸軍が私のコレクションの本流となっています。

そのような経緯を経て、なお魅力を感じるドイツ軍モノをちょこちょこ蒐集していく際に気を付けなければならなかったことは、いわゆる真贋問題です。アメリカ軍装備も近時は精巧なレプリカが出現して来ており、同様に真贋については注意が必要ですが、上で述べましたようにドイツ軍モノは昔から高価格で、手に入れる場合には何としてもニセモノを掴まされないように細心の注意を払わなければなりませんでした。
今はネットで膨大な情報が瞬時に手に入れられますが、当時はまだインターネットがありませんでしたので、紙媒体での情報入手手段しか無く、有名なショップでも「ウチが『本物』と言えば『本物』です」といった、全くの売り手市場の様相でした。

海外の一般的な通販ショップ、例えばL.L.BeanやLandsend等で衣類や雑貨などを個人輸入し始めたのが大学に入ってすぐ位の時でした。本屋で偶々「誰でもできる簡単個人輸入」みたいなタイトルの本を見かけて、面白そうだったので早速買い求め、その指南通りにカタログ請求して日本では売ってないモノをちょこちょこ個人輸入してました。
ある時鞄だったか靴だったか、個人輸入の小包の中に、新聞紙か雑誌類かが細かーくシュレッダー裁断されたものが緩衝材代わりに詰められておりまして、たまたまそれらを文字が繋がるようにパズル感覚で貼り合わせて、どんな雑誌でどんな事が書いてあるんだろうと遊び半分で繋げていったところ、「〇〇Army Navy Shop」とか「〇/〇 Military」とかの文字列が出来上がり、「ひょっとしてこれはミリタリー系の雑誌の広告か何かか?」と、いくつものシュレッダー処理済みの細い紙片を繋ぎ合わせてみたら、「Shotgun News」という隔週刊かの大きな情報誌である事が判明し、その発行元をやはり裁断片を繋ぎ繋ぎ突き止めて、サンプルとして一部取り寄せて見ると、あるわあるわ!アメリカ国内のミリタリーショップ・ガンショップの広告が満載でした。「海外の軍装品ショップなら、日本国内のミリタリーショップで買うよりもモノが豊富で価格も安いぞ」と開眼し、アメリカ国内のミリタリーショップに片っ端から国際返信切手券とエア・メール封筒と父親が使っていたBrotherのタイプライターを駆使してカタログを取り寄せ、在庫を伺い、注文書を送ってました。
メジャーな通販会社でもですが、支払は銀行振込(Wire Transfer)はアメリカではあまり一般的ではなく、送金為替(Money Order)や小切手(Check)、クレジットカードの方が好まれてて、私はクレジットカードはまだ持ち得なかったものですから、郵便局で国際郵便為替(International Postal Money Order)を安い手数料で組んでもらってそれを注文書と一緒に書留(Registered Mail)で送って、商品の発送はなるべく送料を安くあげようと船便(Surface Mail)を選んで…と、以来多くの海外のミリタリーショップや書店から個人輸入をして来ました。シュレッダー裁断片をゴミとしてしか扱ってなければ、軍装品の個人輸入なんかはもっと時代が下ってインターネットが発達してオンライン・ビジネスが拡がる1996年頃までは始めていなかったと思います。私自身が自宅にインターネット環境を調えることが出来たのがWindows98搭載のNEC製PC98-NX VALUESTARを買った1998年でした。

はい、やっと今回の記事内容のモノに繋がります。あるミリタリーショップの書籍カタログの中にあった「Military Production Codes of the Third Reich」というタイトルの、わずか20数ページの本(というか冊子)の「ドイツ軍装備品の製造者コードが網羅されている。」というキャプションに目が留まり、これからドイツ軍モノと接するに当たっては、このような本で情報・知識武装する必要があると感じて入手したのでした。ホチキス留めの簡易な冊子ですが、確かUS$15くらいしたように記憶しています。

↓「Military Production Codes of the Third Reich」。著者はLee Doran氏。真っ赤な表紙にインパクトがありました。


↓流通元。


↓「ナンバーによる1936年から1940年までの製造者コード」


↓「unknown(不明)」が多いですが、今ではインターネットでかなり解明されています。


↓アルファベットによる1941年から1945年までの製造者コード。


この冊子をドイツ軍モノの真贋判定の一つとして暫くは活用していました。製造年と製造者、製造物の種類との間に矛盾が無いかを調べる手段としてです。
現在はいろんな方の尽力でもっと多くのWaffenamtナンバーや弾薬製造者のPコードが解明されています。
しかしながら、これらの情報は「悪者」の手に渡ると「悪事」の一助に活用出来るという点では、諸刃の剣的な感じはします。情報が広く誰でも得られるという事自体は喜ばしいことなのですが、それをどう使うかは各個々人の問題ですからね。

それでは今回はこの辺で失礼いたします。ありがとうございました。





  

2016年08月07日

Meldekartentasche, M35(WWⅡドイツ軍M35マップケース)

 こんにちは。お久しぶりです。
 リオ・オリンピック始まりましたね。
 参議院議員選挙、今回も私にとっては「ウーン」な結果となりました。また、東京都知事選挙も、私は直接は無関係ですがこちらも「ウーン?」な結果に映りました。ま、結果を受け容れる度量があってこその民主主義。みんなで一緒に難問に取り掛かりましょう。
 1カ月以上音沙汰のない当ブログ、パソコンが急に調子が悪くなったこともあって更新(記事投稿)ができませんでした。ネタは用意してありましたが今般やっと上梓できました。

 今回のネタは前回のWWⅡ米軍M1938ディスパッチケースに触発されて思いついたWWⅡドイツ軍M35マップケース(Meldekartentasche M35)です。
Meldeは報告・伝令、Kartenは書類・地図、Tascheはケースですから、「M35報告書・地図ケース」といった方がより正確でしょうか。まあ一般的にマップケースで国内外で通用していますので当ブログでも今後「マップケース」とします。

↓M35マップケースです。

ドイツ軍の革装備品ではお馴染みの石目(pebble)模様で、本個体は茶革製です。フラップはベルト・バックル留め。なお、黒革製のものもあります。

↓モーゼル弾薬盒等でもよく見られる石目模様。テカり軽減のための加工です。


↓フラップを留めるベルトを外しました。


↓フラップを開きました。定規・ペン・複合分度器を収めるポケットが設えられています。


↓左側の定規入れの部分には持ち主がカスタマイズした切れ込みが3つあります。短い定規をサッと取れるようにしたのではないかなと思います。


↓複合分度器(Deckungswinkelmesser)入れ。ピストルホルスターにあるのと同様の「サッと取り出しストラップ」が仕込まれています。


↓別角度から。

分度器を収めるとストラップが底まで落とし込まれ、ストラップを引き上げると分度器がせり上がるようになってます。

↓ペン・ポケットは7つ。左側3つは少し太いような気がします。


↓書類・地図を収める本体部分。


↓もっと近づいて見ます。革で2つに仕切られています。


↓横から見ると分かりますが、ケースの厚みは最大5cm位あります。


↓底です。中の仕切り革は底面では縫い合わされていません。


↓フラップ内側です。側面からの雨水・砂塵の侵入を防ぐ「耳」が両側に付いてます。

フラップを押さえている人差し指の先にメーカー名等の刻印があります。

↓その拡大。

上段:「ERNST KOHNEN」
下段:「SOLINGEN 1942」
とあるのがお分かり頂けますか?
刃物で有名なゾーリンゲンにあった革製品メーカー、エルンスト=コーネンです。ヘルメットのチン・ストラップにもこの名があるのを見たことがあります。

↓ケースの裏側です。

ウェスト・ベルトにぶら下げるためのベルト・ループが2本あります。

↓このような構造です。上向きにベルトが伸びていて、


↓適切な長さのループを作って折り返し、バックルに通して・・・


↓余った部分はバックルの下を通して


↓このようにストラップを下向きにダラーンと垂らしておくだけです。



いかがでしたでしょうか?
ドイツ軍モノには、いつも申しますが、「質実剛健」の良さがあり、様式美を感じます。
米軍モノが「安くてそこそこのモノを大量に投入!傷んだら『ハイこれ。新しいの使え!。』」という姿勢なのに対し、ドイツ軍モノは「いいモノを大事に扱って長持ちさせる」という姿勢の表れかなと勝手に解釈しています。

「ドイツ軍装備も一通り揃えよう」と思ってこのケースを入手したのですが、もう10年程も前だったと思います。現在でもそこそこの程度であれば150ドルも出せば入手できるのではないでしょうか。
さすがにオリジナルのドイツ軍装備品をサバゲには投入できませんが、コスプレなら傷まないように丁寧に扱えばいいので、いつかそんな形で披露できればいいですね。

昔TAMIYAの1/35ミリタリーミニチュアシリーズにハマっていた時、ドイツ兵士官がこれを装着しているのが如何にも士官だぞっていう感じで格好良かったですね。ただ7㎜角ほどの部品をフィギュアのベルト下に吊るしたように接着するのは、接着面が小さくて難儀しましたなぁ。タミヤセメントがサラサラなので塗ってからワザと時間を空けて粘度を上げてからくっ付けました。そんな思い出までよみがえりました。


それでは、また次回お会いしましょう。








  

Posted by Sgt. Saunders at 09:50Comments(0)装備品関係‐Equipments

2015年02月15日

ドイツ軍M30ガスマスク(3)(Gasmaske 30 und Tragbüchse(3))

こんにちは。ただいま午前10時過ぎ。当地大阪は曇り空で、日中は気温が12度まで上がるそうなんですが、なーんか寒いです。
定刻よりちょっと早い投稿です。

さて前回に続いて、ドイツ軍の「M30ガスマスク(Gasmaske 30 und Tragbüchse)」について、今回が最後の探索となります。
今回はレンズ部分の解剖と、マスク本体と併せて携行された皮膚解毒剤に触れたいと思います。


まずは投稿記事のアタマ用の画像を置きました。

↓まず、内側からバラしていきます。画像は内側の眉間部分です。

「bwz」は前回の最後にも出ましたがAuer社のオラニエン工場のコード。 左側の防曇ディスクの縁に前々回(1)で触れました「Innenseite(『内側』)」の文字が見えます("I"が切れていますが)。

↓「Innenseite」の文字が内側から読めますので、裏表正しく取り付けられていることが分かりますね。

「byd」はHeinrich & Bernhard Drägerwerk社製の意。1944年製です。

↓防曇ディスクを固定しているリムを外します。リム自体がバネになっていて少し力を加えると外れます。


↓取れました。


↓こんな作りです。


↓レンズの内側に固定されていた防曇ディスクが外れました。


↓面体をひっくり返して、こちらは面体外側のレンズの枠部品です。


↓ネジ式になっていますので、普通に左回しで外します。


↓手で回してますが、本来的には4か所に設けられた穴凹に専用工具を嵌めて締め弛めします(しっかり締めないと気密性が保てませんので)。


↓外れました。


↓枠部品の刻印。「hkb41」は 金属製品製造会社であるJ. Weisensee 社1941年製の意。


↓座金とプラスティック製レンズです。


↓プラスティック製レンズの表記。「bwz 11. 1941」、またしてもAuer社のオラニエン工場のコード。


↓レンズの厚さは約1.5mmほど。


↓スカスカになりました。


↓さて、茶色いベークライト製容器入りの「皮膚解毒剤(Hautentgiftungsmittel)」。マスタード・ガス等の水膨れを起こすようなガス攻撃に対応するもので、カルシウムハイポクロライト(次亜塩素酸カルシウム)錠剤が10個入っています。Losantin Tablettenという名の方が通りが良いようです。

画像では右、ケースの上から15mm程がキャップ部で、本品ではそのキャップ部分に白いテープを巻いて密封しています。未使用品であればこのテープの色で製造年が分かるのですが、手元の資料ではどうやら「白」は1944年か1945年製になるかと思われます(40年なら赤、41年なら黒、42年は黄緑、43年は黄色であることははっきりしているのですが)。ただ、この個体に巻かれている白テープは、次の画像の説明にもありますが、一度開けた後に手近にあったテープを使って再度栓をした時のものかも知れません。たまたまそれが白いテープだっただけかも。容器の大きさは75mm×25mm×15mmほどです。

↓ラベルの拡大です。

曰く、
皮膚解毒剤
外用にのみ用いること!
眼や口や陰部に塗らないこと!使用後は粘着テープを使って再びケースを密栓すること。

↓裏面。


↓その拡大です。

曰く、
使用法:錠剤をくぼめた手のひらで細かくすりつぶし、ほぼ同量の水か唾液でペースト状にする。汚染部分にペーストをやさしく数回擦り込む。約10分後洗い落とすか拭き取る。(下から2行目左端、小文字のLが綺麗に剥がれて「eicht」になっていますが本来は「leicht」です。)

↓ケースのキャップ部の型押し刻印、「I.G.G」と「1942」。残念ながら「I.G.G.」がどこの製造者かまだ分かりません。1942年製であるのは明白ですけど。


↓底面の刻印。上と同じです。


因みにこの解毒剤は制服上衣の胸ポケットに入れて携帯するようマニュアルで指示されています。
また、この解毒剤と並んで、1941年からはオレンジ色の軟プラスティック製のボトル入りで、小さい消毒済綿布とともに茶色ベークライト製の四角形ケース(縦90mm横80mm厚さ16mm位)に収められた解毒軟膏(Hautentgiftungssalbe)が支給されました。こちらはまだ蒐集していません。水で溶く作業が無くなって使いやすそうです。


以上で3回に分けてお送りしましたドイツ軍の「M30ガスマスク(Gasmaske 30)」、如何でしたでしょうか?
ドイツ軍モノは至れり尽くせり感が堪りません。小物一つ部品一つとっても、工夫あるいは考え尽くされていて「妥協」の跡が見えないのが魅力です。
で、まぁ今回もドイツ語辞書と首っ引きで色々訳しましたが、学校で第2外国語をドイツ語にして良かったなぁと思います。もう既にその時ドイツ軍モノに興味があったからなのですが。分離動詞とか強変化・混合変化なんかが出てきても何とか大丈夫でした。




今後は今回のガスマスクに限らず、大雑把な構造や仕組みについては世界中の他の諸兄方が既に詳しくご紹介されておられますので、そこでは触れられていないような、あんまり注目されないような、あるいは個々の品々固有の特徴についての紹介に重きを置いて行こうと思います。

それでは、また・・・。


  

Posted by Sgt. Saunders at 10:17Comments(0)装備品関係‐Equipments

2015年02月01日

ドイツ軍M30ガスマスク(2)(Gasmaske 30 und Tragbüchse(2))

ジャーナリストが人質にされ殺されるという理不尽な事件に言葉がありません。交渉過程がどうのこうのということもさることながら、ジャーナリストを捕らえ殺害するという行為そのものを最大限に非難します。公式には未確認ですが、恐らく不幸にして殺害されたと思われます後藤さんのご冥福をお祈りし、ご遺族の方に深い哀悼の意を表します。

 


こんにちは。
当地大阪は現在13時30分気温6℃。寒いです。
メールを下さったOさま、近々あらためてそれらについて米軍(US)カテゴリーで触れてみたいと思います。ありがとうございます。

さて前回に続き、ドイツ軍の「M30ガスマスク(gasmaske 30 und Tragbüchse)」について見て参ります。

↓M30は内側がゴム引きになっている綿布製の面体を持つWWⅡドイツ軍のガスマスクです。


↓口吻部の吸気フィルター缶を外して面体を拡げました。

面体は緑の強いフィールド・グレイ(Feldgrau)色、眼鏡周り・口吻部の金具の塗装は灰色の強いフィールド・グレイ色です。因みにM30型では見たことがありませんが、総ゴム面体のM38型では、金具が群青色で塗装されているモノを見ることがあります。当初「なんで青いのか?」と疑問に思いましたが、ちゃんと意味がありました。物資不足が進み、非鉄金属を節約するため鉄(鋼)を使うようになり、「この部品は鉄ですよ」と知らしめるために青で塗装したのでした(コンパスを使うときなんかに注意しないといけないため。1943年7月5日付陸軍総司令部通達による。)。

↓吸気フィルター缶はネジ込み式になっています。ネジの奥に黒い吸気弁が見えます。画像では上側に見える、小さい穴がたくさん開いている部分は排気口です。M30型でも初期のモノは、この小穴が沢山開けられた部分が無くて縦に粗い格子状になっています。また、それに本画像にあるような小穴パンチ部品が後付けされたモノがあります。本品はM30型では最後期のモノで最初からこのようになっています。この口吻部部品は後継のM38型ガスマスクにも引き継がれます。


↓吸気フィルター缶に施されたスタンプ・刻印など。たくさんの表記が見られます。

画像で3時の位置の「FE41」は吸気缶(フィルター)の型式番号です。「FE」とはFiltereinsatz(「挿し込み濾過器?」)の略で、大戦中は大きく分けてFE37、FE41、FE42の3タイプがありました。FE37Rという熱帯地方用のモノもあります。その横の△印スタンプの意味はまだ判りません。「長方形枠の中に国家鷲章と並んでWaAナンバー」は次の画像で拡大します。9時の位置の「Fe」は「鉄の」という意味の「Ferro」の略です。やはりこれも「鉄」を含んでるので注意せよと促すための表示です。10時の位置には「fcc」の文字。ザクセンのバイアーフェルトにあったNier Hermann Metallwarenfabrik社製であることを示す製造者秘匿コードです。ガスマスクフィルターの他にも弾薬や手榴弾の部品等も製造していました。現在も「Feuerhand」ブランドで有名な、元々はランタンの製造会社です。12時の所には「2662」のスタンプ。

↓国家鷲章とWaAナンバー702。ところが参照可能な資料の中には「702」が「fcc」であるとするものはありません。


↓Nier Hermann Metallwarenfabrik社の製造者秘匿コード「fcc」とロットナンバー?「2662」のスタンプ。


↓フィルターの吸気孔。前身のFE37までは真ん中の穴から見えているシャワーヘッドようの部分が露出していましたが、FE37RからはこのFE41のようにカバーが被さるようになりました。


↓口吻部の拡大。「btc」の刻印と「〇に41」の凸モールド。「btc」はMeschendeのHonsel Werke社のコード。フォルクスワーゲンのエンジンブロックを製造しましたし、現在もMartinrea Honsel社として自動車のエンジンブロックなど軽金属製品の分野では著名です。「〇に41」は恐らく1941年製を示していると思います。


↓面体内側から。内側は青灰色のゴム引きです。面体固定用のハーネス、額・こめかみ・頬・顎との気密性を保つために密着するように張られた茶色の革(スエード)、頬・顎の大きさに合わせて調節するためのストラップが見えます。


↓その調節ストラップの拡大。エラの張った人、頬のこけている人、色んな人に対応できます。

上のカマボコ断面部分が吸気孔で、下の円形部分が排気口です。

↓排気口のネジ止めの黒い金属メッシュカバーを外しました。


↓こんな部品です。


↓排気口の部品精度は高そうです。直ぐ下に見えているプラスチック板は排気弁です。


↓その部品の拡大。1939年製を示すと思われる「39」と、いま一つ鮮明でないメーカーロゴのような意匠の刻印。


↓吸気孔のゴム部品の左下の「41」(1941年製)と、


↓右下の「bwz」はAuer社のオラニエン工場のコード。同じAuer社でも例えばダンツィヒ製造だと「gnh」です。Auer社は他にも数多くの工場がありましたので、製造者秘匿コードも沢山あります。


今回ボリュームが少ないですが、次回レンズ部分と皮膚解毒剤に触れて終わりにする予定です。
それでは、また・・・。




  

Posted by Sgt. Saunders at 13:36Comments(0)装備品関係‐Equipments

2015年01月18日

ドイツ軍M30ガスマスク(1)(Gasmaske 30 und Tragbüchse(1))

こんにちは。遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
今年もおっさんの戯言・放言にお付き合いくだされば幸いです。
ご注文・間違いのご指摘等遠慮無きよう、お願い申し上げます。

さて新年一回目は、前年末に続いて「寄り道コレクション」の方からドイツ軍のM30ガスマスクと携行缶他(Gasmaske 30 und Tragbüchse, usw.〈German M30 gasmask and carrying canister, etc.〉)を解剖していきます。タイトルでお分かりの通り何回かに分けて投稿します。


いきなりレイアウトが上下逆さまで申し訳ありません。蓋の留め具も一目で分かりやすいようにと思ったのです。兵士が身に装備する時の状態に近いのは下↓の画像です。

携行缶右側から人体の背中・左肩・胸を廻って掛かる長い方のストラップと、缶左側から腰のベルトへ引っ掛けるための短いストラップが見えます。また、蓋の留め具を引っ張るためのストラップが見えます。この携行缶自体は1941年末頃以降に出た「長くなった」バージョンです。面体に装着する吸気缶の丈が長くなった事に対応するため缶の方も約3cmほど旧のモノより長くなりました。今回取り上げますM30ガスマスクは面体がゴム引き布であるのに対し後継のM38ガスマスクは面体が総ゴム製に替わるのですが、それにより「ゴワゴワ」感が増して旧の携行缶では面体を押し込んで収納するには長さが足りないので、缶の長さを伸ばしたのだとする方もおられます。旧の缶については蓋の留め具に「クランプ式」と上の画像のような「ばねラチェット引っ掛け式」がありましたが、本稿では「クランプ式」の画像は省略します(と言いますか、所有していませんので、他のサイトをご参照ください)。

入手時は「こんなに小さいのか」というのが第一印象でした。タミヤのミリタリーミニチュアシリーズのドイツ軍兵士のフィギュアを作っていると長さで10cm、太さで3cmほどはもっとデカイものだと勝手に思っていました。
この携行缶を目にする時に考えるのが、携行用ストラップを通すために缶に熔接されているリングの「向き」です。
腰のベルトへ引っ掛ける方の短いストラップを缶に固定するためのリングは、腰ベルトと平行になるように熔接すれば、ストラップが捻じれてリングの下方に接する部分に荷重が偏ることなくベルトへ引っ掛けられますし、肩廻りストラップの固定用の2つのリングの向きも、「く」の字になるように熔接されていますが、逆「く」の字( 「 〉」 )にした方が、やはり素直にストラップに荷重が掛かるようになるのではと思うのですが。実際1936年には、リングによる摩耗からストラップを守るために「Verstärkungschieber(『補強スライダー』といったところ)」という革製の当て具が開発・支給されています。わざとストラップが捻じれるようにさせて、その復元力をもって携行時の振動に起因して缶がブラブラ動くのを抑制するためだったのかも?とも考えます。ドイツ人が設計したものですので、何か正当な目的があったと思うのです。

↓蓋上部。

いつ誰が書いたのか、鉛筆で「Oberndorfer」との記載があります。「オベルンドルフ人」もしくは固有名詞?

↓蓋の留め具。引っ張る為のストラップがかなり傷んでいます。最近では質の良いレプリカが出ていますのでオリジナルにこだわる際は要注意です。


↓この内部にバネが仕込んであります。製造者のロゴマーク。


↓更に拡大。このロゴマークがどの製造者のものかまだ判りません。


↓蓋を開けます。まずストラップをしっかり持って、


↓ぐっと引っ張って、留め具の穴がポストから抜けるようにして、


↓留め具を上にあげて、


↓解放します。これで蓋を開くことができます。


↓蓋を開けるとこんな感じです。面体に包まれるようにしてある黒っぽいモノは皮膚解毒剤ケース。


↓蓋と本体とをつなぐ蝶番部分。


↓底です。「D」の文字は「Dicht(気密)」の意。中身のガスマスクは放棄して、この缶を食料品などのコンテナに流用する兵士が多く、軍当局がそんな用途には使うなと通達を出したのはご存じの通りです。蓋にあった鉛筆書きの「Oberndorfer」がこちらにもあります。


↓蓋の裏には曇り止め「透明ディスク」収納用のポケットがあります。


↓拡大。


↓上下逆さまにして更に拡大。

「els41」とあり、1941年チェコの「Stadt Rokycaner Eisenwerke」製であることが分かります。

↓開けるとありました。硫酸紙で出来た小袋。


↓ 開けても小袋が飛び出さないように細いバネが押さえています。大戦後期には予備の小袋は4つ携行するよう規定されていましたが、この個体には3つ小袋が収められています。


↓小袋です。

曰く、
「"透明ディスク"
湿気から守るために;拭わない、縁のみを触る。」

↓裏面の表記。

曰く、
「透明ディスクは、マスクの内側から「内側」と書いてあるのが読めるようにして取り付けること。」

↓開けてみました。


↓白い(経年により黄ばんでいますが)ボール紙を挟むようにして両面に「透明ディスク」が1ペアでセットされています。

何か書かれています。

↓表裏反対でした。「44 hrr Innenseite 1210(下線部は推測読みです。本当のところは不明です。)」とあり、「44」は製造年の下2桁?「1210」はロット番号等?。3つ上の画像の説明にあった「内側(Innenseite)」の表記があります。レンズにセットする際に裏表を間違えないように、マスクを被った時に「内側」という文字が読めるようにセットしなさいよ、ということです。


↓さきほど触れましたようにこの携行缶には3つ入っていました。表はどれも同じ表記ですが、


↓裏は少し異なっています。左端の袋には上で先ほど触れました「透明ディスクは、マスクの内側から「内側」と書いてあるのが読めるようにして取り付けること。」との表記のみですが、右2つの袋には、その表記に加えて、更に表記が追加されています。


↓右2つの袋の表記です。上3行は左端の袋と共通ですが、その下に追加の表記が。

4行目から。曰く、
「38式ガスマスクの2重透明ディスクとして使用するための、最初に1枚透明ディスク、そして間隙材としてボール紙を挟み、続いて2枚目の透明ディスクが入っている。
バネ座金がしっかり留める」(大意)
38式との記述ですが、30式マスクにも装着できます。これらの他にも小袋の表記パターンは数種類あります。

↓吸気缶を下にして突っ込んで収納します。


↓引っ張り出します。


↓面体が見えました。


↓吸気缶が見えてきました。


↓並べてみました。面体は30式で、携行缶は38式面体に対応した「長くなったバージョン」ですので若干丈に余裕があります。

(汚い背景には目をつぶって下さい。)

↓面体を正面から。


↓着用した時ほどに広げてみました。重量バランスをとるため吸気缶を外しました。

両眼間の上(眉間)の数字の「2」はサイズ表示です。大きい方から「1」から「3」まであって…といった類の講釈は今回はやめます。もう皆さんご存じであったり、既に他のかたがたのHPなどで詳解されていますので。着用者の鼻が押し潰されないように鼻筋にはゴムで凸になるように形成されています。

面体は後回しにして、これを。↓

缶の中です。缶の口から4cmくらいのところから下側にはブリキ(?)の内張りがあります。兵士個人により取り去られている場合もあるそうで、コレクションとして入手の際には要注意です。

↓底に四つ葉のクローバーと布切れが。

清掃用の木綿布(Reinigungslappen)と底面に押さえつけておくためのバネ(Lappenhalter)です。

↓バネを取り出すとこんな形に拡がります。このバネは1939年11月に制式化されました。


↓清掃用布は約22cm平方くらいの大きさです。縁はきちんと始末してあります。



今回はここで一旦終わります。続きは次回へ。
どうぞよろしくお願い申し上げます。では、また。



  

Posted by Sgt. Saunders at 12:03Comments(0)装備品関係‐Equipments

2014年01月02日

ドイツ軍M31水筒(とコップ)〈Feldflasche mit Trinkbecher〉その2

あけましておめでとうございます。
今年もおっさんの戯れ・雑感・昔話にお付き合いください。
「この説明文の意味が分からん」、「もっと詳しく見せてくれ」、「それは間違っとるぞ」などのご意見等がありましたら、どうぞ忌憚なくお寄せ下さい。よろしくお願い申し上げます。

さて、前回のドイツ軍・「水筒(とコップ)〈Feldflasche mit Trinkbecher〉」の続きを・・・。


ドイツ陸軍のいわゆる31年式(型)水筒について細かく見ていってます。

↓コップの本体への固定は5つ穴のストラップ・バックル留めです。穴は5つも必要でしょうか?多くても3つもあれば事足りるのではないでしょうか。理由が判りません。

↓フェルトカバーのスナップ金具。外側のメススナップです。コップが被っているときは3つが露出します。三菱ならぬ四つ菱デザインです。

↓コップを外すと4つ全部が見えます。

↓アルミ合金製のキャップには、滑り止めのため縁に斜めの平目ローレットが施されています。またキャップは革製ストラップで他のストラップと繋がっていて紛失を防ぎます。

↓キャップを上から。「MN39」の刻印。


↓カバーを外していきましょう。スナップを外すとオススナップが見えました。


↓フェルトに直接スナップを付けず、杉綾織り(Herringbone Twill:HBT)の裏布を当てた上でスナップが取り付けられています。キャップと同じ「MN 39」のスタンプがあります。


↓メススナップの裏側の拡大。「PRYM」の刻印があります。


↓一方のオススナップ側には、金具が直接水筒本体に当たらないように当て布(これはフェルト)があり、・・・


↓それをめくると、メススナップと同様、フェルトに直接スナップを付けず、杉綾織りの裏布を当てた上でスナップが取り付けられているのが判ります。こちらには「R&K 7」のスタンプがあります。スナップには水平線から朝日が半分のぞいている「あけぼの印」のような、あるいは大麻草のような刻印が7個円周に等間隔で並んでいます。この画像ではちょっと判りませんね。

で、拡大。


↓底部のストラップ固定用「擬宝珠(ぎぼし)」拡大。アルミ合金製。


カバーを外して裏表をひっくり返しました。
↓正面側の裏側。

↓背面側の裏側。

どちらも表側に付く革ループの縫い付け裏面でやや薄い革を当てて強度対策をしています。直接フェルトに革ループを付けると荷重負荷に耐えきれずフェルト地が破損してしまう恐れがあるからです。

↓フェルトカバーの開口部の「口角」部分と言いましょうか、杉綾織りのHBT布を当てて補強しています。

拡大。「159(?)」のスタンプがあります。


↓フェルトカバー底部の「擬宝珠(ぎぼし)」の裏側。

↓拡大。ここはストラップと同じくらいの厚さの革を当ててワッシャーをかませてカシメてあります。さらにそれが水筒本体に直接当たらないようにフェルトを当ててあります(指でクリンとめくっている部分)。もうまさに「ドイツ人の仕事」です。


↓アルミキャップを開けたところ。

↓オレンジ色のパッキンがあります。アルミ合金の白い錆がかなり付着しています。

↓首の部分にも、キャップやカバーにあるのと同じ刻印・スタンプ「MN39」の刻印。1939年、製造者秘匿コード「MN」製造のモノです。


↓水筒本体。容量0.8リットル。

↓右脇側からの図。背中は縦まっすぐ。お腹がポテッと膨らんでいます。

↓背中。浅く凹んでます。


↓革ストラップの全景。キャップからバックルまでのストラップがあって、その外側にコップを上から押さえつける役割と雑納への固定役を担うもう一本のストラップが赤矢印の部分で縫い合わされてあり、さらに青矢印の部分でクリップ部分が縫い合わされています。


↓上の画像の赤矢印部分。何やら刻印が・・・。


↑「R&K」の刻印です。フェルトカバーのオススナップ裏側のスタンプと同じ「R&K」です。

↓クリップの拡大。アルミ合金製の前後合わせ成型です。この部品も例に洩れず、大戦後期になってくると鉄製の打ち抜き加工で造られるようになっていきました。

↓クリップの内側。「38 vH. & Co」の凸モールド表記。


↓バックル裏側。いかにも質実剛健といった「ドイツ人仕事」らしい部分がここにもありました。


↓最後はコップです。折り畳みの取っ手がいいですね。

使うときはこのように起こして



↑このように持てます。

↓「W.A.L. 39」、1939年・製造者秘匿コード「W.A.L.」製です。


駆け足で見てきましたが、「ドイツ人の仕事」、「質実剛健」、「至れり尽くせり」感が満載でした。こういう処に私はとても魅力を感じます。
米軍装備とはまた違う「良さ」があります。

では、また。









  

Posted by Sgt. Saunders at 19:59Comments(2)装備品関係‐Equipments

2013年12月29日

ドイツ軍M31水筒(とコップ)〈Feldflasche mit Trinkbecher〉

年の瀬押し迫る中、おいで下さいましてありがとうございます。

今回はドイツ陸軍兵士の一般的野戦装備品の一つである「水筒」を取り上げます。

昔話で恐縮ですが、「軍隊が使っていたモノを一般人が『買える』」、「そういう『市場』がある」のを知ったのは、高校生のころ。まだインターネットなど存在しない約25年以上も前のことです。
本屋で偶然見つけた「コンバット・マガジン」の中の軍装品店の広告でした。
軍の装備品なんかは、「博物館に鎮座しているもの」であるという感覚しかなかった私には、それらが「商品」として広く売買の対象となって流通していることに驚きを覚えました。

それまでは軍装品との関わり方としては、タミヤ模型の1/35スケールの「ミリタリーミニチュアシリーズ」を組み立て・塗装を楽しむことを通じてしか「体感・意識」できませんでしたが、一般人にも「買う」ことができると知って、軍装品の「実在」を認識するに至りました。
つまり、博物館での「『軍隊で使っていたモノ』というイメージ」でしかなかったものが、「身近に『実在』しているモノ」という認識に変わったのでした。

そんな経緯を経て初めて入手したドイツ軍モノがこの水筒です。
Feldflasche mit Trinkbecher(Field flask with drinking cup:コップ付き水筒)。一般的な分類としては、今回取り上げるモノは「31年型」と呼ばれる、大戦以前~中期頃に生産されたものです。外見からのタイプとしてはもう一つ、容量が多く小ぶりのコップのついたタイプのモノがありますが、
私は何となくこっちのタイプの方がいかにも「ドイツ兵」っぽく感じます。実際はもう一方のタイプも広く使用されたのですけれど・・・。
前置きはこれくらいにして、それでは本題です。

Feldflasche mit Trinkbecher。まず正面。

右脇から。

背面。底部に擬宝珠(ぎぼし)状の突起があるのが見えます。

左脇。

↓艶消しの黒色塗装が施されたアルミコップ。水筒本体の上部にコップを被せるようにして、これを革製のストラップでぐるっと結わえて本体に固定します。コップにはストラップを通すループが前側に一つリベット留めされており、本体を保護しているフェルト製のカバーの前後にも同じようにストラップを通すための革製のループが縫い付けられていて、さらに底部にはストラップを保持する擬宝珠(ぎぼし)状の突起が付いていて、これらのループと突起にストラップを通してからバックル留めして、コップと本体とをしっかり固定することができます。

↓正面斜め上から。


↓ストラップの背面側には、水筒を雑納のDリンクに吊るすためのクリップが取り付けられています。

↓クリップから下に伸びているストラップ。内側の1本はさきほど触れたように本体とコップとの固定のために擬宝珠留めを経由して前側のバックルへとつながっています。外側のもう一本は擬宝珠留めの先で終わっています。こちらの一本は、水筒を雑納に取り付けるためのものです。雑納の蓋に設えられたループにこのストラップを通して水筒の擬宝珠留めで固定します。上述の、雑納のDリンクに水筒をクリップで吊るすだけでは、それを支点にして水筒が上下左右にぶらぶら揺れたり弾んだりするので、ストラップを雑納の蓋のループに通して固定することにより、二点で水筒と雑納をしっかり密着させるのです。

↓クリップはDリンクへ、ストラップは雑納の蓋のループへ通して・・・

↓擬宝珠で固定します。


まだまだ画像もたくさんあり、もっと続けたいのですが、長くなりすぎるので一旦ここで筆を置きます。続きは次回。  

Posted by Sgt. Saunders at 23:08Comments(0)装備品関係‐Equipments

2013年10月06日

またまたK98k用スリングTrageriemen(スリング・負革)続き

前回・前々回に続き、私の「寄り道コレクション」から、またまた別のドイツ軍の歩兵用主力小銃K98k用スリング(Trageriemen・負革)を。



実はこの個体は、既に私の手を離れております。3、4年前にオークションに出品して落として頂きました。資料として画像を撮っておいたものなのです。
長さ調節用のバックル部分の革が一部めくれていました。
因みに前回、前々回の個体の画像も同じ時期に撮影したものですが、個体自体は今でも大事に保存しています。


ストック固定器具の刻印。「KROYMANN & CO 1938(9?)HUMBURG」。
メーカーの刻印は、初めは「メーカー名そのもの」だったのが、防諜上の理由から「英数字2~3文字(/を伴って5文字となる例も)、「WaA」、「RBナンバー」となっていきました。時期によっては混在している例もあります。
個人的にはWaAよりも「メーカー名そのもの」の方が、なんとなく嬉しい(変?)です。






  

2013年09月28日

K98k用スリングTrageriemen(スリング・負革)続き

前回に続き、私の「寄り道コレクション」からまた別のドイツ軍の歩兵用主力小銃K98k用スリング(Trageriemen・負革)を。













一番下の画像の刻印からこの個体が「ベルリンのA. Wunderlich Nachf., Fabrik für Heeresausrüstung(A. ヴンダーリッヒ軍装備研究製造所)による1939年製のモノ」であることが分かります。
しかしながら、その上の画像にある「WaA」の刻印の番号100(?)(108にも400にも700にも見えますが)が解せません。今挙げたどのWaA番号も、この製造者にあてがわれたとする資料が見つからないのです。
現在までに解明されているWaA番号の中に、まだ未解明分として残っているのであれば、それはそれで珍しくて良しとしますが…(「WaffenAmt」や「WaA」等で検索すれば多くのデータベースがあがってきますが、それらのいずれに於いてもこの製造者とWaA番号が一致するものがありません)。今後の研究課題です。

ある研究サイト(THE RIFLE SLING HOME PAGE)で同じモノを「WINDERLICH NACH  BERLIN 1939」と紹介していますが、スペルを読み取り違えていますので(「NACH」の後に絶対に一文字ありますし、Wの後ろの文字も「I」よりもむしろ「U」に思えます)鵜呑みにはできません。(ちなみにその個体画像提供者は、米国の軍装品研究者・コレクターのHayes Otoupalik氏です。何も異論を差し挟んでらっしゃらないようですが…?)






長さ調節用のバックル部分には、まだ革がしっかり張りついていて、金具本体に、例えば「L&F」等の刻印があるかどうか等確認できませんので、製造者が誰かは分かりません。

革の表面に幾つか割れが生じていますが、比較的きれいな部類に入ると思います。
乱暴に扱わなければ十分使えます。
  

2013年09月16日

K98k用スリングTrageriemen(スリング・負革)

今回は寄り道コレクションからドイツ軍の歩兵用主力小銃K98k用スリング(Trageriemen・負革)を。
実銃は所持が禁じられているので、せめてアクセサリーぐらいは実物を…ということで
私のメイン・コレクション対象であるWWⅡ米陸軍歩兵用の各種銃器用のモノのほか、
ドイツ軍歩兵の良き伴侶であるK98kのスリングも、WWⅡ軍用銃ファンとしてコレクションしなければならないのだという強迫観念にとらわれ(?)入手した経緯があります。




遠目には黒革のように見えますが、経年と脂で表側の茶色が黒ずんで見えます。




この固定器具によりストックのスリットからスリングが抜けないようにします。





固定器具の表と裏。この個体には製造者を特定する刻印が認められません。裏側の中央部分にWaAの鷲のマーキングかなと思えるような「跡」のように見えるものがありますが確証が持てません。WaA#や、年代によっては西暦4ケタや製造者の固有名詞等が刻まれている例があります。





長さ調節用のバックルの表と裏。このバックル個体は「L&F」の刻印があります。Linden & Funke KG(Linden & Funke合資会社)製であることがわかります。




スリング本体の裏側に施された製造者名の刻印。
Otto Köberstein
LANDSBERG a. W.(a.W←「an der Warthe」の略)
Landsbergの馬具製造業者オットー=ケーベルシュタインによる製造。
↓こうすると見やすいでしょうか?



今後もメインではない「寄り道コレクション」をちょくちょくご紹介していきます。