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2021年04月11日

8mmモーゼル弾(5):7.92x57 IS(Patronen schweres Spitzgeschoß)(#5)

みなさんこんにちは。
さあ第4波が来たようです。当地大阪が東京を抜いて一日あたりの感染者数がトップになりました。こんな状況なのに非常事態宣言よりも格下の「まん防」を実施?何が何やら分かりません。兎に角自己防衛を徹底するしかありません。

さて桜もピークを過ぎ若葉の萌え出づる候今回お送りするのは「実銃は持てないから、せめてアクセサリーぐらいは…」コレクションの中のダミー・カートリッジ・コレクションの中からドイツ軍の主力歩兵小銃K98k用弾薬「7.92x57 IS(Patronen schweres Spitzgeschoß)」を採り上げます。このシリーズ、もう5回目ですが、以前のモノとはまた別のロット(個体)ですのでどうかお許しください。

↓過去記事で私が所持しているのはここに写っている13箱が全部です。以前の記事で12箱と申しておりましたが、整理していましたら何処からか1箱出て来ました。近時新たな入手は殆ど不可能なので大事にしようと思います。汚い背景にはどうぞお目をお瞑り下さい…。


↓その中から本日はこの個体をご覧いただきます。最小梱包単位であるこの小さなボール紙製の箱に15発収められています。


↓ラベルの拡大です。記されている内容は下記の通りです。一部がドイツ文字(Fraktur:フラクトゥール)で記されています。現在では装飾につかわれる以外あまり一般的ではありませんが、ドイツ軍モノに触れる機会の多い方は普通のローマ字との変換がパパッとできるようになっていきます。

(1行目)Patronen s. S.
(2行目)P 131. 4. L 39
(3行目)Nz. Gew. Bl. P. (2. 2. 0,45) : Wlsr. 1938/36
(4行目)Patrh : S* P131 4. L. 39 - Gesch. : P 131 2. L 39
(5行目)Zdh. : 88 DWM. 939. L. 38

(1行目)は弾種です。「Patronen schweres Spitzgeschoß」の省略表記で、「重量尖頭弾」の意です。「Patronen」は「弾薬」、schweresは「重たい」、spitzは「尖った」、geschoßは「弾丸」です。
(2行目)は製造者コードとロットナンバーおよび製造年を示します。「P 131」は「Deutsche Waffen- und Munitionsfabrik AG(『ドイツ兵器弾薬製造株式会社』といったとこです)の製造者コード、ロット番号は4、1939年製造です。
(3行目)は装薬種類です。「Nz.Gew.Bl.P.」は「Nitrozellulose Gewehr Blättchen Pulver(ニトロセルロース弾薬用小葉体火薬)」の略。「2・2・0,45」は、火薬粒子が2mm x 2mm x 0.45mmであることを示します(ドイツでは小数点は「.」ではなく「,」で表します)。
後ろの「Wlsr.」は「Walsrode」の略でヴァルスローデ工場製の意、「1938/36」は「1938年にロットナンバー36番で製造された」という意味です。
(4行目)「Patrh : S* P131 4. L.39」は「Patronenhülse(薬莢)」についての表記。「S*」は薬莢が72%の銅を含む真鍮製であることの意で、「P131」は先ほどと同様「Deutsche Waffen- und Munitionsfabrik AGの製造者コード、ロット番号4で1939年製造、「Gesch.: P 131 2. L.39」は「Geschoß(弾丸)」についての表記。「P131」はやはり同じく「Deutsche Waffen- und Munitionsfabrik AG」の製造者コード、ロット番号2で1939年製造」となります。
(5行目)「Zdh」は「Zündhütchen(雷管)」の略。「88」は「1888年式雷管」の意。 「DWM.」は再三出てきてます「P131」が意味する製造者「Deutsche Waffen- und Munitionsfabrik AG」の略記です。「939.」はロット番号、「 L. 38」は1938年製の意味です。でも何故「P131」とコードで秘匿する一方で、このように「DWM」と容易に何処の施設か分かるような記載をするんでしょうか?謎です。

↓箱を開きましょう。箱の下の方に5カ所ボール紙の表面が擦過の痕で白く見えています。箱を重ねた時に中に収まっているカートの腹部分に負荷が掛かるためです。


↓指掛けがあります。


↓まだ中身は見えません。


↓上下2行で何やら型押しされていますが、上の方は何と書かれてあるか分かりません。「JO??」。下は「1938」だと思います。


↓もう一つ蓋があり…


↓この様に開きますと…


↓まだ左右にベロがあります。


↓やっと中身が見えました。


↓はい、15発のカートが薬莢のテーパーに配慮して5発ずつ3段上下の向きを変えて収められています。


↓ヘッドスタンプを接写しました。ヘッドスタンプは先ほど見ました箱のラベルの4行目の薬莢(Patronenhülse)についての情報と同じです。「P131」は「Deutsche Waffen- und Munitionsfabrik AGの製造者コード。右回りに「S*」は薬莢が72%の銅を含む真鍮製であることの意、「4」は「ロット番号4、「39」は1939年製造の意味です。箱のラベルと中のカートが一致していると嬉しいものです。雷管周りの緑色の輪は通常弾であることを意味します。


↓特にキャプションは無い画像です。



大戦中・後期の、例えば鉄製薬莢のカートとか徹甲弾とか曳光弾とかの通常弾とは違うモノも蒐めたいなと思っても近時は税関で止められてしまいます。
また昔はebay(アメリカの)で今回お見せしたWW2時の撃ち殻ダミーカートは出品も全くフリーで買うのもまったくフリーでしたが、もう5、6年も前になりますか、銃器関係の出品が禁じられるようになってからは出品出来ません。「箱だけ」とかギリギリ「装弾クリップ」なんかはOKのようですが。私にとっての「良い供給元」が無くなってしまいました。
私のコレクションは殆どがebay経由でしたので、日本の取り締まり当局が厳しくなってきたのと相俟ってダミーカートの新たな入手がとても困難な状況です。もう国内での売買でしか入手できなくなりました。


それでは今回はこの辺で失礼いたします。またお会いしましょう。さようなら。

  

Posted by Sgt. Saunders at 12:08Comments(0)武器関連-Waffen & Related items

2020年06月07日

ドイツ軍モノの真贋判定手段としての製造者コード・Waffenamt

みなさん、こんにちは。
政府から委託された仕事を電通に再委託して20億円を中抜きしたホニャララ協議会。これは(これも)徹底的に追及しないと、もう本当にこのにぽん国は最低最悪のクニになりますよ。メディアはやはり電通が恐ろしいのでしょうか、及び腰で報道にも熱が全く入っていません。もはや「メディア」の限界で、SNSしか追究する勢力が存在し得なくなってきているのでしょうか。検察は政府が押さえてますし。

はい、梅雨入り前の比較的良いお天気の続く、まるで初夏を思わせる快晴の当地大阪某郊外都市の寓居からエアコンの試運転&掃除を終えて本日定刻を3時間過ぎてお届けします今回の投稿記事は、私のコレクションの本流から離れてドイツ軍関係です...。

私がいわゆるミリタリーの世界に興味を持った一番初めのキッカケはドイツ軍です。当初から今でも「ドイツ軍モノ」については興味が無い訳ではなく、これまでの投稿記事の中でも何度か触れておりますように魅力を感じるモノは幾つもありましたし、財政の許す範囲で蒐集して来ています。しかし、この世界に足を踏み入れ始めの段階で、例えば1944年ノルマンディ―後の極々一般的なドイツ陸軍兵士の極々一般的装備品一式を揃えようかと考えた時、現実的な問題として「費用はどれくらい必要になるのか」というところにブチ当たりました。財政問題は切実です。渋谷アルバンのカタログを見ますと「M42シュタールヘルムが〇〇万円!」、「M43フェルトブルーゼが〇〇万円!」となっており、当時まだ高校生でありました私、たちまち蒐集意欲は萎えました。持たざる身としては萎えざるを得ませんでした。機をほぼ同じくしてテレビの「COMBAT!」の何回目かの再放送を見ているうちにサンダース軍曹の「アメリカ軍」に興味が湧いてその軍装が恰好良く見えてきまして、同じWW2時期の軍装品でもアメリカ軍モノの価格はドイツ軍モノのそれに比べて遥かに低廉で、「これならコレクションして行けそうだ。サンダース軍曹になろう!」と明るい展望が開けまして、以来アメリカ陸軍が私のコレクションの本流となっています。

そのような経緯を経て、なお魅力を感じるドイツ軍モノをちょこちょこ蒐集していく際に気を付けなければならなかったことは、いわゆる真贋問題です。アメリカ軍装備も近時は精巧なレプリカが出現して来ており、同様に真贋については注意が必要ですが、上で述べましたようにドイツ軍モノは昔から高価格で、手に入れる場合には何としてもニセモノを掴まされないように細心の注意を払わなければなりませんでした。
今はネットで膨大な情報が瞬時に手に入れられますが、当時はまだインターネットがありませんでしたので、紙媒体での情報入手手段しか無く、有名なショップでも「ウチが『本物』と言えば『本物』です」といった、全くの売り手市場の様相でした。

海外の一般的な通販ショップ、例えばL.L.BeanやLandsend等で衣類や雑貨などを個人輸入し始めたのが大学に入ってすぐ位の時でした。本屋で偶々「誰でもできる簡単個人輸入」みたいなタイトルの本を見かけて、面白そうだったので早速買い求め、その指南通りにカタログ請求して日本では売ってないモノをちょこちょこ個人輸入してました。
ある時鞄だったか靴だったか、個人輸入の小包の中に、新聞紙か雑誌類かが細かーくシュレッダー裁断されたものが緩衝材代わりに詰められておりまして、たまたまそれらを文字が繋がるようにパズル感覚で貼り合わせて、どんな雑誌でどんな事が書いてあるんだろうと遊び半分で繋げていったところ、「〇〇Army Navy Shop」とか「〇/〇 Military」とかの文字列が出来上がり、「ひょっとしてこれはミリタリー系の雑誌の広告か何かか?」と、いくつものシュレッダー処理済みの細い紙片を繋ぎ合わせてみたら、「Shotgun News」という隔週刊かの大きな情報誌である事が判明し、その発行元をやはり裁断片を繋ぎ繋ぎ突き止めて、サンプルとして一部取り寄せて見ると、あるわあるわ!アメリカ国内のミリタリーショップ・ガンショップの広告が満載でした。「海外の軍装品ショップなら、日本国内のミリタリーショップで買うよりもモノが豊富で価格も安いぞ」と開眼し、アメリカ国内のミリタリーショップに片っ端から国際返信切手券とエア・メール封筒と父親が使っていたBrotherのタイプライターを駆使してカタログを取り寄せ、在庫を伺い、注文書を送ってました。
メジャーな通販会社でもですが、支払は銀行振込(Wire Transfer)はアメリカではあまり一般的ではなく、送金為替(Money Order)や小切手(Check)、クレジットカードの方が好まれてて、私はクレジットカードはまだ持ち得なかったものですから、郵便局で国際郵便為替(International Postal Money Order)を安い手数料で組んでもらってそれを注文書と一緒に書留(Registered Mail)で送って、商品の発送はなるべく送料を安くあげようと船便(Surface Mail)を選んで…と、以来多くの海外のミリタリーショップや書店から個人輸入をして来ました。シュレッダー裁断片をゴミとしてしか扱ってなければ、軍装品の個人輸入なんかはもっと時代が下ってインターネットが発達してオンライン・ビジネスが拡がる1996年頃までは始めていなかったと思います。私自身が自宅にインターネット環境を調えることが出来たのがWindows98搭載のNEC製PC98-NX VALUESTARを買った1998年でした。

はい、やっと今回の記事内容のモノに繋がります。あるミリタリーショップの書籍カタログの中にあった「Military Production Codes of the Third Reich」というタイトルの、わずか20数ページの本(というか冊子)の「ドイツ軍装備品の製造者コードが網羅されている。」というキャプションに目が留まり、これからドイツ軍モノと接するに当たっては、このような本で情報・知識武装する必要があると感じて入手したのでした。ホチキス留めの簡易な冊子ですが、確かUS$15くらいしたように記憶しています。

↓「Military Production Codes of the Third Reich」。著者はLee Doran氏。真っ赤な表紙にインパクトがありました。


↓流通元。


↓「ナンバーによる1936年から1940年までの製造者コード」


↓「unknown(不明)」が多いですが、今ではインターネットでかなり解明されています。


↓アルファベットによる1941年から1945年までの製造者コード。


この冊子をドイツ軍モノの真贋判定の一つとして暫くは活用していました。製造年と製造者、製造物の種類との間に矛盾が無いかを調べる手段としてです。
現在はいろんな方の尽力でもっと多くのWaffenamtナンバーや弾薬製造者のPコードが解明されています。
しかしながら、これらの情報は「悪者」の手に渡ると「悪事」の一助に活用出来るという点では、諸刃の剣的な感じはします。情報が広く誰でも得られるという事自体は喜ばしいことなのですが、それをどう使うかは各個々人の問題ですからね。

それでは今回はこの辺で失礼いたします。ありがとうございました。





  

2017年10月08日

ドイツ軍機関銃用弾薬ベルトリンク・その2(Munitiongurt für Maschinengewehr:Nr.2)

みなさん、こんにちは。
朝晩の虫の声が秋の到来を教えてくれますが、当地大阪は日中は気温が26度近辺までに達し、なかなか秋の涼やかな気候にはなりません。
隔週日曜日正午の投稿を目標にしている当ブログ、仕事・体調絡みの理由で、なかなか思い通りにいきません。


さて、今回の投稿は もう3年ほど前に投稿したもの(←クリックすると別ウィンドウで開きます)の「続編」です。3年も空けて何が続編じゃと仰るのも当然です。申し訳ございません。

↓これ何? ドイツ軍の歩兵用主力機関銃であるMG34・MG42用の50連給弾ベルトリンク(Munitiongurt für Maschinengewehr, Zwischenstück für 50 Patronen)を、長ーく伸ばしたままでは収納に困るので、前後に少しずらしながらクルクルとこのように巻いています。

幾つかある中からグリスをある程度奇麗に拭っているモノを見て行きます。「その2」とのタイトルですが、単なる画像の羅列になりそうな予感…。

↓ほどくとこの様になります。カートのリム部に噛むツメをカート本体を掴む部分に嵌めて巻き上げています。


↓リンクは50発分が一本になっていて、この末端にあるタブを使って別のリンクに連結できる構造になっています。連結の仕組みについては、もう3年ほど前に投稿したものの上から1/3ぐらいのところで詳解していますのでご覧ください。


↓そのタブに製造年月、アルファベットか数字による製造者秘匿コード、ヴァッフェンアムト(Waffenamt)等の刻印が打たれており、いつ誰が製造したのかを突き止める材料になります。それらの刻印のうち、幾つ刻印されているかはその時期により異なります。この個体には「dwc」とあり、ノルトライン‐ヴェストファーレン州リューデンシャイトにあったDr. Ing. Böhme und Co.製であることが分かります。刻印はこの「dwc」だけです。


↓こちらはまず「bkg」とあり、鉄道模型で有名なゲッピンゲンのメルクリン社(Märklin & Cie., Gebr., GmbH )製であることが分かります。次行に「8.41」とあり、1941年8月製造であることを示します。さらに…、


↓その下にWaffenamt(以下WaAと略します)の刻印。ただ、「WaAB71」と読めるのですが、手持ちの資料にはこのWaAコードがMärklin社であるとするものが無いのです。今後の研究にその究明を委ねます。


↓この個体には「12. 41」と1941年12月製造を示す刻印とそのすぐ下にWaAの刻印が...


↓「WaA279」とありますが、これは1941年12月の製造であれば、チューリンゲン州オードラフ(Ohrdruf)のG.J. Ensink-u. Co.の『軍装備品特別工場』製と判断できます。但しWaA195とWaA183というコードも1941年中に同社に割り当てられています。また逆にWaA279は別の年にはまた別の複数のメーカーに割り当てられています。このようにWaAコードは異なる年度で、場合によっては同一年中に別のメーカーに割り当てられましたので、製造者を特定する上で製造年と一体にして考察しなければなりません。


↓この個体ではWaAの鷲部分がうまく刻まれておらず、「WaA710」のように見えます。WaA710ならばベルリンの「Siemens-Schukert-Werke AG」社製を示します。さらにその下に…


↓「5. 40」と、1940年5月製造を示す刻印があり、さらにその下に…


↓「993」と刻まれているのですが、これが分かりません。手持ちの資料には、993がどの製造者であるのかを示すものがありません。因みに製造者秘匿コードは、1940年頃に数字(2ケタ或いは3ケタ)からアルファベット(2文字或いは3文字)に変わっています。


↓この個体も謎です。「ara」のコードはどの資料を見ても見当たりません。その下「9.40」は1940年9月を示すのは間違いないと思います。さらにその下に…


↓WaAA65と読めると思うのですが(A66かA68かA85か、はたまたA86か?)確証を持てませんし。いずれの場合であっても製造者を特定できていません。


↓この個体は「12. 40」と、1940年12月製を示す刻印。その下に「WaA101」とあり、1940年中に異なるメーカーに割り振られているコードなので、製造者を特定できません。


↓1940年中の製造であればWaA101はライプチヒのEhrhardt u. Kirsten, Koffer- u. Lederwarenfabrikか、 Hawig, Hauswirthschafts-Maschinen GmbHか、というところです。


↓この個体の「ST」はStocko Metallwarenfabriken Henkels & Sohn GmbH & Co. 社の意。「4.40」は1940年4月製の意だと分かります。


↓その下にうっすらとWaAコードの刻印がありますが、この「WaA253」がStocko社製であることを示す資料が手持ちの中にはないのです。WaA253は年代により10以上の企業に割り当てられていたのですが、その中にStocko社を含んでいる資料がありません。253ではないのでしょうか?


↓この個体には古いタイプのWaAコード刻印が打たれています。鷲の下に「4」で製造年が1936年6月でその下に…、


↓「BSW」の意匠があるので、「Berlin-Suhler Waffen-und Fahrzeugwerke GmbH」社製であることが分かります。


↓最後にもう一度こんな画像を。このリンクは理論的には何本でも連結できます。ドイツ陸軍は一般的に5本繋いで250発を一まとまりとして弾薬箱に収納して運用したそうです。



最近でもこの50連リンクはヨーロッパにはまだ多くの量が流通しているみたいです。WaAコードがあるモノ、メーカーコード(数字、アルファベット)があるモノ等いろいろで、ミリタリーショップのネット通販サイトでもよく見ます。程度の良いモノで、安いところでは1本が大体10ドル前後から、高いところでも20ドル以下ぐらいで販売されています。
ただ注意しないと戦後版のモノを掴まされたりしますから、詳細な画像・商品説明で戦後版のモノでないかをよく確認する必要があります。刻印は実際にそれを見るしかありませんが、戦後版との外見的な差異は、WW2モノの連結タブは今上で見てきましたように四角いスクエア型ですが、戦後版はL型(俗に『犬の足』)になっています。

私が現在所持しているモノはもうカレコレ15、6年以上前に海外のショップから購ったもので、ひょっとしたら個人輸入では、今ではやっぱり税関で(外郵出張所で)銃砲刀剣類所持等取締法の云々・・・と言われて個人輸入できないかもしれません。

WaAコード、製造者コードについては今後も徐々に解明されていくかと思いますが、近時WaAコードを打刻するダイス型ポンチをネット上で堂々と売っているショップがあります(WAFFENAMT-SHOPなど)。要注意です。

それでは、また…。

  

Posted by Sgt. Saunders at 14:35Comments(0)武器関連-Waffen & Related items

2017年01月22日

ドイツ軍7.92mm小銃弾300発カートン(WWⅡGerman 300 cartridges carton)

みなさん、たいへん遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
新年最初の投稿です。また今年もお付き合い下さいますようお願い申し上げます。

アメリカ合衆国の第45代大統領のトランプ氏の就任式が20日に執り行われ、その関連ニュースで世界中で少しざわついていますが、みなさま方はどのようにお感じでしょうか?
日本政府もいろいろ気苦労の種が増えて大変でしょう。

さて、新年最初に採り上げますのは昨年最後の記事で採り上げましたドイツ軍の小銃弾7.92mmモーゼル弾(Patrone s.S.)の最小梱包単位である15発入りパック(←前回記事が別ウィンドウで開きます)を20個収める300発カートン(Packhülse 88)です。このカートンが更に5個収まるのはPatronenkasten 88と呼ばれる木箱です。私はまだこの木箱は現物を見たことがありません。

↓ともあれ、これが300発収納のカートン(Packhülse 88)です。↓

やや厚めのボール紙でできています。取っ手はコットン(?)のストラップで、このストラップは同時にカートンに収まる20個にのぼるパックをグルッと一括りする役割も果たしているのです。追い追いお分かりいただけるかと思います。

↓筒状のカートン本体と、両端を塞ぐ部分の全ての面がボール紙2枚の二重構造になっていて、上述のストラップがその2枚のボール紙の間を通って20個に及ぶパックをグルッと結わえる構造になってます。


↓こちら側の「蓋」に施されたメーカーのロゴと製造年(1934年)の刻印。実はまだメーカー名を特定できていません...。


↓カートン上面手前にあるラベル。赤色の「i.L.」のスタンプはK98k用装弾子付きであることを示す「in Ladenstreifen」の略です。

曰く、
(1行目)Patr. s.S.(Patrone schweres Spitzgeschoß:重量尖頭弾)
(2行目)P.15.L.34(Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.社製(コード:P)、ロット15番、1934年製造)
(3行目)「Nz.Gew.Bl.P.(2・2・0,45):」はNitrozellulose Gewehr Blättchen Pulver(ニトロセルロース弾薬用小葉体火薬)、火薬粒子が2mm x 2mm x 0.45mmであることを示します。
(4行目)「Rdf.11.L.34」のRdfは上の3行目で示された火薬の製造者「Westfälisch-Anhaltische Sprengstoff A.G.社」を示します。1934年製造、ロットナンバー11番です。
(5行目)「Patrh.:P*.45.L.34」は「Patronenhülse(薬莢)」についての標記。「Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.社(コード:P)、ロット45番、1934年製造」となると思います。「思います」というのは、Pのすぐ後ろの「*」が分からないからです。過去記事で「S*」なら「真鍮の銅の含有率が72%であることを示す」と申しましたが、「S*」でなく「P*」ですから、何を意味するのか分かりません。しかもこの箇所はまず製造者を示すものが無いといけない部分ですから。製造者が無く材質のみしか示していないというのもおかしく、今後引き続き調べていきたいと思います。つづく「‐Gesch.: P.274.L.34‐」は「Geschoß(弾丸)」についての標記。「Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.社(コード:P)ロット274番、1934年製造」となります。更にその後ろ、「Zdh.:S.K.D.869. L.K.」は「Zündhütchen(雷管)」の略。「S.K.D.」は「Selve Kronbiegel Dornheim A.G.社」の製造者コード。ロットナンバー「869」で、その後の「L.K.」ですが、これについても「K」が1934年を示すのだとする資料がありますが、確信には至っておりません。もしご存知の方がいらっしゃいましたらお教え頂きたく存じます。
ラベルの上のカートン本体に直に印刷されているAとCとJを組み合わせたロゴは…どのメーカーのものかまだ分かりません…。「1934」は言うまでもなく1934年製の意です。

↓一番目の画像とは反対側からの画像です。


↓「Tragschlaufe(運搬用吊り手)」。このFraktur(フラクチュール)書体のほかにも一般的な普通のラテン文字での表記がされたものがあります。


↓こちら側の「蓋板」には菱形の封紙で封がされています。「P」は上で見たのと同じ「Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.社」の意。


↓「蓋板」自体にも製造者ロゴと1934の製造年が型押しされています。


↓封紙を破って蓋板の外側のボール紙を開くとバックルでタイトに締め上げられたストラップが出てきました。


↓ストラップにはバックルの爪を刺すための穴は無く、ストラップに直接爪をブッ刺して締めます。


↓バックルの拡大。材質不明の金属製で黒の塗装。「PRIMA」の商標。


↓ストラップはへリンボンツイル(杉綾織)で十分な強度を持っています。


↓バックルを外しました。蓋板を完全に外して中のカート箱を取り出すことができます。丁寧に扱えば複数回は再利用できそうです。


↓カートン本体は底部分でステイプラー留めされています。



いかがでしたか?この個体は数年前eBayで手に入れたのですが、ダミーカートが出品禁止になったせいか、最近はあまり出品されているのを見ないですね。ミリタリーショップでもあまり出物が無いように思います。大事にしたいと思います。

それではまた…。





  

Posted by Sgt. Saunders at 07:58Comments(0)武器関連-Waffen & Related items

2016年12月31日

8mmモーゼル弾(4):7.92x57 IS(Patronen schweres Spitzgeschoß)(4)

みなさん こんばんは。
年の瀬も年の瀬、いよいよ大晦日の夜を迎えました。もう間もなく2017年になろうとしています。
今年も思い出せないほどたくさんの出来事がありました。
コレクションにおいては特段希少品をゲットするでもなく平々凡々とした一年でした。健康面では波乱万丈でした。
みなさんは如何でしたか?

さて今年最後の投稿は、またしても私の好きなダミーカートです。以前3回お送りしたドイツ軍の8mmモーゼル弾 7.92x57 IS(Patronen schweres Spitzgeschoß)とは、また別の個体です。所有しているものを今後順次ご紹介していこうかなと思います。

↓現在所有する「Patr. s.S.」です。全8メーカー、計12箱です。右下の一つはK98k用装弾子付きであることを示す「i.L.(in Ladenstreifen )」が後から赤文字でスタンプされてます。その左のモノはラベルの印刷時点から「s.S. i.L.」になってます。


↓まずは今回はこの個体から。「1行目の「Patr. s.S.」は、Patrone schweres Spitzgeschoß(重量尖頭弾)の略です。

P. 442 4.L.38
Nz.Gew.Bl.P.(2・2・0,45): Mog.4.L.38
Patrh.:S* P.442 4.L.38 Gesch.:P.442 3.L.38
Zdh. 88: S.K.D. 403 L.38

2行目「P.442 4. L. 38」のP.442は ドイツ中部チューリンゲンのシュロイジンゲンにあったZieh- und Stanzwerk GmbH(引抜・押抜工業有限会社)の製造者コード(Heereswaffenamtkodierung)です。続く「4. L. 38」は、ロット番号4番、製造年が1938年であることを示します。1941年中に製造者秘匿コードがアルファベット表記「hlc」に変わります。

3行目は装薬種類です。「Nz.Gew.Bl.P.」は「Nitrozellulose Gewehr Blättchen Pulver(ニトロセルロース弾薬用小葉体火薬)」の略。「2・2・0,45」は、火薬粒子が2mm x 2mm x 0.45mmであることを示します(ドイツでは小数点は「.」ではなく「,」で表します)。その後ろ「Mog」はDeutsche Sprengchemie(ドイツ爆破化学)、Moschwig Plant(モシュヴィヒ工場)の製造者コードで、ロット番号「4」の1938年製の意です。 この会社は 同じく爆薬製造会社であるWestfälisch-Anhaltische Sprengstoff A.G.社の子会社です。

4行目「Patrh.:S* P.442.4.L.38」は「Patronenhülse(薬莢)」についての標記。「S*」は「銅の含有量が72%の真鍮製」を意味します。「P.442」は上記と同じ「Zieh- und Stanzwerk GmbH」製の意で、ロット番号4番、1938年製造となります。 続く「Gesch.: P.442.3.L.38」は「Geschoß(弾丸)」についての標記。「P.442」は、やはり上記と同じ「Zieh- und Stanzwerk GmbH」製の意で、1938年製、ロット番号「3」であることを示します。

5行目「Zdh. 88」は「Zündhütchen(雷管)88」の略で「88式雷管」の意、「S.K.D.」はその製造者「Selve Kronbiegel Dornheim A.G.社」の製造者コード。ロット番号「403」、1938年製の意です。

↓こんな画像は見るたびにうっとりします。


↓5発3列でケースに入ってます。


↓箱の蓋部分(裏面)にある製造者のロゴと製造年のコンビのエンボス。「19〇38」の〇の中にどんな意匠があるのか今一つ判然としません。


角度を変えてみたりもしますが…。


やっぱりもう一つはっきりしません。


↓カート底面。ラベル表記の説明で見た「薬莢」についての情報がここでも分かるようになってます。(ラベルの4行目)。
また、中心のプライマー(雷管)の周りの円いシーリング部分は、「弾薬の種類」を色で示していて、この個体では緑色です。緑色は「s.S.(重量尖頭弾)」であることを示します。SmE(鉄芯尖頭弾)系なら青、SmK(鋼芯尖頭弾)系なら赤といった具合に他にも種類があります。


箱のラベルとカート底面の刻印が一致していると、それだけでも嬉しくなります。



以上駆け足で見てきましたが、如何でしたでしょうか。
近時はダミーカートを個人レベルで輸入するのは無理のようなので、大事に保管・管理していきたいと思います。

今年もご覧いただきありがとうございました。
また来年もコツコツ地味~に投稿していきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。それではみなさん、よいお年を!


  

Posted by Sgt. Saunders at 23:57Comments(0)武器関連-Waffen & Related items

2016年06月05日

ドイツ軍08式ピストル弾 (Pistolenpatrone 08)

こんにちは。お久しぶりです。

梅雨前なのに気温が30度近くまでになったと思ったら、ここ数日は朝晩ちょっと涼しすぎる当地大阪から、原則大体隔週刊という自主目標を安易にかなぐり捨て、「原則があれば例外あり」と、半ば開き直って約1か月ぶりに投稿いたします。昨日大阪も梅雨入りしたんだそうです。

かなぐり捨てる、と言えば、かの総理大臣。必ず消費税増税をおこなって・・・プライマリーバランスを云々・・・とおっしゃっていたのに、「新しい判断」とやらで、要するに公約に違背して、事実をごまかし(ごまかすことが出来たと思っているところがまた彼の凄い所であります)公約不実行を高らかに謳い、開き直っています。


さて今回は久しぶりにドイツ軍モノ、銃器関連モノをお送りします。
今では考えられませんが、10年ほど前くらいは海外からダミーカート(端からダミーとして作られたモノだけでなく、撃発後の撃ち殻薬莢に弾頭を付けたモノも含めて)を購入・輸入するのは特に難しいコトではありませんでした。
米軍の30-06弾の撃ち殻ダミーを輸入した時に「弾薬類に当たるから輸入許可証を見せよ」と税関(外郵出張所)から言われたことがありましたが、「撃ち殻に弾頭を付けただけのモノであり、胴体には穿孔されており、もはや再生不可能ですから云々・・・」と説明したら通してくれました。薬莢への穿孔が無くても通してくれました。輸入割当についても何も仰いませんでした。もう15年以上も前のことです。
今回取り上げますカートもそんな頃に輸入したモノなのですが、今でしたら恐らく輸入不可能でしょう。大事にしたいと思います。

現在多くの国(と言うか多くのサブマシンガン、ハンドガン)で使用されている9mmパラべラム(9x19mm)の元祖である、ドイツで開発されWWⅠ以前から使用された「Pistolenpatronen 08(08式ピストル弾)」です。
P-08(ルガー拳銃)やP-38(ワルサー拳銃)、MP-38/40(いわゆる『シュマイザー』短機関銃)で使用されました。開発経緯など概説についてはWikipedia(←クリックすると別ウィンドウが開きます)でご覧ください。私なんかが今更したり顔で説明するには及びません。ここでは省略いたします。

↓1941年製のドイツ軍ピストル弾「Pistolenpatrone 08」の最小梱包です。

↑16発が1つの紙箱に入っています。1箱でP-08拳銃・P-38拳銃のマガジン2個分の弾薬が賄えることになります。MP-38/40のマガジンなら2箱必要です。


↑私の持っているこれら2箱は、箱の糊付けされた部分を封印するような形でラベルが貼られています。書籍やウェブ上では、ラベルが箱の側面に張られているモノの方が多いような気がします。時期によって違うのでしょうか?製造会社による違いなのでしょうか?まだ解明できていません・・・。


↑仕方が無いのでラベルを部分的に切り取る形で見てみましょう。まずラベルの左半分です。


↑右半分です。ラベルは切手や収入印紙のように目打ちされたモノが切り離されて貼付されているのが分かります。上述の、箱の側面に張られているタイプのラベルは縁がストレートにカットされているんですけどね。

↓やっぱり少し見にくいので立てて撮りました。


↑曰く、

16 Pistolenpatr. 08 m.E.(t.)
dou. 133. L. 41
Nz. Stb. P. n/A. (0,8・0,8) rdf 1940 L. 6
Patrh.:dou. 101 L. 41 Gesch.:dou. 8 L. 41(t)
Znh.08:dou. 70. L. 41

↑黒文字は印刷、赤文字スタンプによる表記です。

1行目の「16 Pistolenpatr. 08 m.E.(t.)」は弾薬の種類、タイトルです。
「16」は言わずもがな「16発入り」の意。「Pistolenpatr.」はPistolenpatronen(ピストル弾)の略です。「m.E」 は「mit Eisenkern(鉄芯弾頭)」の略。
最後の「(t.)」は、実は今のところ確証を得てないのですが、8mmモーゼル弾にもある「Tropen」の例に於けると同じで「tropen(熱帯用)」ではないかなと考えております(間違っていたら済みません)。チェコ製(ドイツ語で「tschechische」)である、という意味だそうです。(2021年4月10日加筆訂正。以下本文を若干改訂しています。)
即ち本個体の名称は「16発入り 08式ピストル弾・鉄芯弾頭・(チェコ製)」です。

2行目の「dou. 133. L. 41」は製造者とロット番号および製造年です。
「dou.」は製造者「Waffenwerke Brünn A.G., Werk Povaszka Bystrica」の製造者コードです。チェコのブルノ兵器工業の、チェコとの国境に近いスロバキアの都市Povaszka Bystrica(ポヴァスカー・ビストリツァ)の工場の製造者コードです。「133」はロット番号、「L.41」は1941年製の意です。

3行目の「Nz. Stb. P. n/A. (0,8・0,8) rdf 1940 L. 6」は装薬種類と製造者、ロット番号、製造年です。
「Nz. Stb. P. n/A.」は「Nitrozellulose Stäbchen Pulver neuer Art(ニトロセルロース桿状体火薬・新型)」の略です。「桿状」というのは「棒状」と同じ意味です。「(0,8・0,8)」は、この桿状体火薬の寸法「直径0.8mm・長さ0.8mm」を表わします。「rdf」は、製造者「Westfälisch-Anhaltische Sprengstoff A.G. (WASAG)」の、ザクセンにあるラインスドルフ工場の製造者コードです。その後ろ「1940 L.6」は、普通に読めば「ロット番号1940、1936年製造」なのですが、「ロット番号が6で製造が1940年の間違いでは?」と思ってしまいます。

4行目の「Patrh.:dou. 101 L. 41 Gesch.:dou. 8 L. 41(t)」は薬莢と弾丸の製造者、ロット番号、製造年についての表記です。
「Patrh.」は「Patronenhülse(薬莢)」の略、つづく「dou.」は2行目と同じで製造者「Waffenwerke Brünn A.G.,Werk Povaszka Bystrica」の コードです。以下ロット番号が101、1941年製です。その次の「Gesch.」は「Geschoß(弾丸)」の略。「dou. 8 L. 41(t)」は、やはり上記と同じく製造者「Waffenwerke Brünn A.G.,Werk Povaszka Bystrica」のコードと、ロット番号が8、1941年製です。最後の(t)は、1行目と同じく「チェコ製」の意。

5行目の「Znh.08:dou. 70. L. 41」は 雷管の製造者、ロット番号、製造年についての表記です。
「Znh.」は「Zündhütchen(雷管)」の略。「Zündhütchen 08」は即ち「08式雷管」の意です。「dou. 70. L. 41」は、やはり上記と同じく製造者「Waffenwerke Brünn A.G.,Werk Povaszka Bystrica」のコードと、ロット番号が70、1941年製の意です。

↓封印を破ってフタを開けると…、(嘘です。既に開封されていました。撃発済みのカートが入っているのですからね。)


↓16発のカートが紙で仕切られて入っています。弾頭が上になっているのと下になっているのが交互になっていますが、これは前オーナーから譲り受けた時にこうなっていたのを再現しただけで、本来は全て弾頭が下を向いていたと思われます。なぜそう思うのかは後述。

↓カートを全部取り出すとこのような紙製の仕切りがあります。

↓仕切りを取り出しました(右下)。仕切りはクネクネとS字型に連続して曲げられたものの真ん中に一本真っ直ぐな帯を通した造りです。箱の底面に弾頭が擦れて出来た黒ずみがあるのが、先ほど本来は全て弾頭が下を向ける形でカートが収まっていたと思われる根拠です。


↓箱の底面2辺にはブリキ?製の小さな補強具があります。何て言う名称なんでしょうか?上梓直前に未撮影であることに気づき急遽スマホで撮りましたので、サイズ違いですみません。


↓これも撮影を忘れていて急遽スマホで。箱そのものへの刻印・エンボスは、この「41」のみ確認できます。「1941年製」の意です。私の持っている2箱のうち傷みの酷い方にだけにあり、今まで見て参りました傷みの少ない方にはありません。ラベルに隠れてしまっているのでしょうか。

ネットで調べると、年代のほか製造者のロゴの刻印がある例も多くあります。

↓カートを取り出す前の状態へ戻ります。薬莢底面の刻印と弾頭が見えます。

真ん中の雷管(プライマー)の凹みは撃発痕ですよ。発火済みの証です。もちろん薬莢の中には火薬はありません。撃ち殻薬莢に弾頭をもう一度取り付けたダミー・カートです。くれぐれも誤解なさらないで下さいね。

↓底面の刻印です。先ほど上で見ましたラベル表記の4行目の薬莢についての部分と同じ情報が込められています。

↑12時の位置の「dou.」は製造者「Waffenwerke Brünn A.G.,Werk Povaszka Bystrica」の コード、3時の位置の*印は薬莢の材質が銅含有率72%の真鍮であることを表すマークです。6時の位置の「101」はロット番号が101であることを示しています。9時の位置の「41」は製造年が1941年であることを示しています。また雷管の周りが群青色で塗られていますが、これはモーゼル弾などと同じくこのカートが「鉄芯弾(m.E)」であることを示しています。

↓鉄芯弾です。


↓当時のオフィシャルな仕様書です。芯であるFlußstahl(軟鋼)の少し細い下半分がWeichblei(軟鉛)で覆われ、さらにそれをFlußstahl tombak pl.(トンバックでコーティングされた軟鋼)で覆っている構造です。底面は覆われていません。軟鉛が剥き出しです。


↓弾頭のみを接写。トンバック・コーティングされているという事なんですが、色目は黒いです。黒色加工された鉄芯弾もあったそうです。


↓最後に45口径ACP(右)と比較してみました。45口径すなわち11.43mmとの差は2.43mm。弾丸の大きさで2.43mmの違いはやっぱり大きいですね。

これだけを見て考えると、前線に出るときにP-38かM1911A1(ガバメント)のどっちを持って行く?と尋ねられたら、M1911A1を選びそうな気がします。45口径を見慣れているので、9mmはどうしても華奢に見え、頼りなさそうに感じます。実際はそうではないんでしょうけれども。


いかがでしたでしょうか?
実弾撃ち殻ダミー・カートは、近時製造された「端からダミー」とはやはり趣が違います。もう今後入手するのは難しいと思いますので大事に保存したいと思います。
「実銃はダメだから、せめてアクセサリーを・・・」コレクションの中からのネタでした。

それではまた次回お会いしましょう!




  

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2014年08月17日

MP38/40マガジンの解剖【2】(The anatomy of the mag for M.P.38/40〈2〉)

みなさんこんにちは。
先週初めからずっと夏風邪で、あまりぱっとしない夏休みです。

さて今回は半年以上前に投稿した「MP38/40 マガジンの解剖(The anatomy of the magazine for M.P.38 u.40)」 の「続き」です。WWⅡドイツ軍のサブマシンガン「MP38/40」のマガジンです。

前回上の画像の左の個体について解剖しました。今回は右の個体を解剖します。どちらも側面のリブが後付けされた、いわゆる「タイプA」です。


↑マガジン背面上部。前回の左の個体とほぼ同じ刻印。一つ違うのは・・・、


↑左の個体には「WaA815」の刻印が3つあるのに対して、右側の個体には4つ施されていることです。
因みに「WaA815」「98E」はオーストリア、グラーツのシュタイヤー‐ダイムラー‐プフ株式会社・グラーツ工場製であることを示します(Steyr-Daimler-Puch A.G., Werk Graz)。「41」は1941年製であることを示します。


↑背面下部。円い穴と「32」。この穴からカートリッジが見えれば32発装弾されていることを表します。


↑左側面下部には「M.P.38 u.40」の刻印。「u.」はドイツ語の「und(英語の「and」)」の略です。「MP38および40」という意味です。


↑マガジンリップとフォロワー。
↓別の方向から。



↑マガジン・プレート。分解しようと指で板バネを上へ押し上げます。


↑前方へずらして・・・、


↑後ろ側から見るとこのようになってます。


↑さらに前方へずらすと、スプリングに押し上げられてビヨヨーンと飛び出してきます。


↑マガジン・スプリングは4巻き半ほどがはみ出ます。


↑フォロワーです。


↑フォロワー背面の縦の凹リブはマガジン本体背面の凹リブに噛み合わさるようになっているのが分かります。


↑フォロワーの構造が分かります。


↑フォロワー前面に「WaAB37」。フランクシェ鉄工業株式会社(Frank'sche Eisenwerke A.G.)製です。


↑マガジン・プレートの裏側の刻印。上下2つありますが、下の方はやや薄いですが上と同じです。


↑見にくいので更に拡大。マガジン本体と同じ「WaA815」。しかし、鷲には「脚」が無く、また英数字部分の「WaA815」は鷲の直ぐ下に水平に配置されています。これは本体背面の刻印↓の、4つあるWaA刻印のうち、左上のWaAと同一刻印ですが、左下および右上・右下の刻印の英数字部分が鷲の下に円弧を描くように配置されているのとは異なっています。



以上でMP38/40のマガジンの解剖は終わります。最近はマガジンに限らず銃のアクセサリーは入手が困難ですね。
銃本体はモデルガンなどで代用して我慢しますが、せめてアクセサリーだけは自由に輸入させて欲しいものです。

それでは、また…。


  

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2014年07月06日

ドイツ軍機関銃用弾薬ベルトリンク(Munitiongurt für Maschinengewehr)

こんにちは。
当地大阪は梅雨入りしてから雨が降ることはありましたが、「梅雨時の雨」ではなく「夕立ち」や「普通の雨」しか降ってないような気がします。
本日は曇り空で、湿気で蒸し暑さを覚えます。
「日曜の正午には投稿完了」を目指しています当ブログ、今回も遅刻となりました。

さて今回は前回に続いて銃器関係モノを。
WWⅡドイツ軍が使用したMG34・MG42機関銃用の弾薬ベルトリンク(Munitiongurt für Maschinengewehr)です。正式には「Zwischenstück für 50 Patronen」と呼ばれます(connecting link for 50 cartridgesの意)。


↑ベルト・リンクは50発分が1本になっています。上側面と下側面とで見かけが異なります。

↓もう少し拡大してみました。上側面はベルト・リンクの黒い部分が多く見えるのに対し、下側面は黒い部分が目立ちません。


↓更に拡大。



↑カートリッジの胴の周りの、その外周360度のうち240度位を挟んでホールドしているような恰好です。

↓横から。カートリッジ後方へ伸びた爪の先がカートリッジのリム部に噛んでカートリッジの前後位置を固定します。とは言え、カートリッジの胴部分で、かなりしっかり固定されていますので、爪が折れたりしていても、カートリッジをセットする時に前後位置を合わせておけば前後にずれるようなことはありません。


↓リンクはコイル状のワイヤで連結されています。


↓カートを抜いて裏側を。


↓ベルト・リンクを連結する要領。


↓連結用のタブ(画像左側)を右側のリンク末端のスリットへ・・・、


↓入りますか?


↓入りましたね。


↓タブに設けられた凸ポチをスリットのあるリンクのD型の小窓から外側へ出るようにして・・・、


↓裏側から見るとこんな感じ。



↑タブのRとスリットの方のRが合ったところで・・・、

↓カートを挿し込むことにより連結されます。



↓裏側から見ると、どこで連結しているかは容易には判りません。

このように一本50発のベルト・リンクですが理論上何本も連結できます。実際は5本250連がひと纏まりで弾薬箱に収められます。ドラム・マガジンには50発(ベルト・リンク1本)が収められます。

ところで、今連結した2つのベルト・リンクですが、微妙に違いがあることにお気づきですか?
↓この左右のベルト・リンクに違いがあります。どこでしょう?


答えは・・・





そうです。この補強リブです。リブの無い方(左)はM34、リブの有る方(右)はM41と呼ばれています。リブを加えることにより強度を向上させたのです。リンクの「背骨」のようにカートのリムに噛みこむ爪の先まで真ん中に一本長く施してあるのと、爪の先の方に更にその両側に短く一本ずつ施してあります。モノによってはこの短いリブが無いモノもあります(今回のブログの一番最初の画像のモノがそうです。3番目の画像をご覧ください)。単なる「バージョン違い」なのか制式名の異なる別モノなのかは、実は未だ確認できておりません。すみません。

↓連結タブに製造者・製造年月を示す刻印があります。

「ST」「4.40」とあり、「Stoco社1940年4月製造」であることが判ります。WaA刻印もあるようですが薄くて判然としません。

↓この個体の刻印は「cvo」だけですが、やはり「Stocko」社です。製造年はこの「cvo」の「コードがStocko社のコードとして用いられた間」であるとしか言えません。


↓この個体には「11.41」と「WaA279」の刻印。「1941年11月 チューリンゲンのG.J. Ensink-u. Co.の『軍装備品特別工場』製造」と判断できます。(但し「WaA279」は年代によっては他のメーカーを示します。WaAスタンプについてはまた別の機会に採り上げます。)

角度を変えてもう一枚↓


今回はここまで。「その2」に続きます。(いつになるかは未定ですけれども・・・・・・。)

それでは、また・・・。




  

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2014年06月29日

8mmモーゼル弾:再び (Patronen schweres Spitzgeschoß:Reprise)

こんにちは。
雨は本日未明には止み、今朝方からのそこそこの晴天で蒸し暑さを覚える当地大阪からお送りします。

ネタになるモノ探りとコレクションの梅雨時の手入れをしようかなと思いまして保管スペースへ入りましたら、やっぱりまた小一時間ほどと思っていたのに半日グダグダしてしまいました。

で、今回は以前お送りしたことのある、WWⅡでドイツ軍が使用した「8mmモーゼル弾(7.92x57 IS(Patronen schweres Spitzgeschoß))」の、別の個体のご紹介です。

↓まず箱から出して見ました。

15発が1箱に納められています。これが最小梱包単位です。

↓箱のラベル。

前回の記事でも記しましたが、非常に多くの情報がこのラベルに記載してあります。略称表記が多く、初めは解読がとてもしんどかったです。ドイツ語辞書と格闘した記憶がよみがえります。

1行目は弾薬の種類です。「Patronen」は弾薬、「s.S.」は「schweres Spitzgeschoß」の省略表記で、schweresは「重たい」、spitzは「尖った」、geschoßは「弾丸」、つまり「重量尖頭弾薬」の意です。
2行目の「P635」は製造者コードで、現オーストリアの・ニーダードナウ、ヒルテンベルグにあった「Gustloff-Werke, Otto Eberhardt-Patronenfabrik(オットー=エーベルハルト弾薬工業 グストロフ工場)」製であることを示します。つづく「35.L.39」は「ロット番号35で1939年製」の意。
3行目は装薬種類です。「Nz.Gew.Bl.P.」は「Nitrozellulose Gewehr Blättchen Pulver(ニトロセルロース弾薬用小葉体火薬)」の略。「2・2・0,45」は、火薬粒子が2mm x 2mm x 0.45mmであることを示します(ドイツでは小数点は「.」ではなく「,」で表します)。
後ろの「Rdf.」は「Westfälisch-Anhaltische Sprengstoff A.G.社」の製造者コード、「32.L.39」はロットナンバー32で1939年に搬出されたことが判ります。
4行目「Patrh.:S*.P635.40.L.39」は「Patronenhülse(薬莢)」についての標記。「S*」は「銅の含有率が72%の真鍮製」を意味します。「P635」は上記と同じ「Gustloff-Werke, Otto Eberhardt-Patronenfabrik(オットー=エーベルハルト弾薬工業 グストロフ工場)」製で、ロットナンバー「40」1939年製造」となります。 つづく「Gesch.: P.635.15.L.39」は「Geschoß(弾丸)」についての標記。「P635」は上記と同じ「Gustloff-Werke, Otto Eberhardt-Patronenfabrik(オットー=エーベルハルト弾薬工業 グストロフ工場)」製で、1939年製ロットナンバー「15」であることを示します。
5行目「Zdh」は「Zündhütchen(雷管)」の略。「S.K D」は「Selve Kronbiegel Dornheim A.G.社」の製造者コード。ロットナンバー「871」で、その後の「L.39.」ですが、これは1939年を示します。

↓蓋を開けたの図。


↓拡大。

薬莢底の刻印(ヘッド・スタンプ)でも、上で見た「薬莢」についての情報(ラベルの4行目と同じ。上記の緑色で示してます。)が判ります。
また、プライマー(雷管)の周りの円いシーリング部分は、「弾薬の種類」を色で示すようになっており、この個体では緑色の輪なので、「s.S.(重量尖頭弾)」であることが判ります。外に、SmE(鉄芯尖頭弾)系なら青、SmK(鋼芯尖頭弾)系なら赤といった具合にたくさんあります。


以上見てまいりましたが、米軍のモノと比べると情報量が格段に多いですね。
また、ラベルについてはラテン文字で書かれたモノ、フラクトゥール(亀甲文字とも)で書かれたモノ、それらが混在しているモノ等々いろいろあり、興味が尽きません。今回取り上げた個体のように1939年において既に全て普通のラテン文字で記してあり、「この時期国威宣揚の意味でもフラクトゥールが盛んに使われた筈なのに・・・」と思うのですが、色々あるのですね。

それでは、また・・・。  

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2014年03月16日

マイナー(?)軍用弾:8mm M.30 scharfe S-Patronen その2

こんにちは。三寒四温とはよく言ったもので、暖かくなったなぁと思うとまた冬の寒さ。毎年同じ事言ってるんですけどね。

さて今回は前回の続きで「軍用弾:8mm M.30 scharfe S-Patronen(8 x 56R Mannlicher)」について見ていきたいと思います。


↑前回カートリッジの紙箱を開けるとこまで見ました。

↓クリップ2つを取り出すと、箱の中はこんなです。2つのクリップを隔てるS字型のディバイダーは固定されていません。


↓S字のディバイダーと蓋部分のほかは、1枚のボール紙からの切り出し加工製法です。





↑全分解図。

↓カートリッジです。米軍のM1ガーランドと同じ、いわゆる「en bloc」タイプのクリップで保持されます。

クリップ上部のフィンガー・グルーブは、単なる滑り止めのためだけでなく、暗闇でも間違って逆さまに込めないよう、クリップの上下が判るようにつけられたんだとか。M1ガーランドのen-blocクリップは上下不問ですからこんなのはありませんね。

↓不可動実銃を持ってないのでWikipediaから画像を引用。クリップごと固定マガジンに押し込んで装填します。クリップは最終弾を撃った後マガジン下部から滑り落ちる仕組み。


↓後方から。


↓ドイツ軍の鷲のプルーフ刻印。


↓クリップ下側。


↓8mm M.30(左)と8mmモーゼル弾(7.92x57 IS)(右)との比較。


↓8mm M.30(左)はリムド。右の8mmモーゼル弾はリムレス。



この辺で、今回のこのマイナー(?)軍用弾については筆を置きます。今後もっとじっくり調べていきたいと思います。
ご高覧ありがとうございました。では、また。


  

Posted by Sgt. Saunders at 13:31Comments(0)武器関連-Waffen & Related items

2014年03月09日

マイナー(?)軍用弾:8mm M.30 scharfe S-Patronen

こんにちは。今朝9時の当地大阪の気温は3℃と、朝の冷え込みはまだ厳しいですが、日中は10℃に達しましたでしょうか。とても良く晴れて青空が広がっていました。
さて、前回に続いてまた弾薬ですが、今回は少しマイナー(?)な軍用弾について触れたいと思います。

↓まずはこの画像を。

弾頭を取り去っていますが、5発で1個のクリップに収まっています。これは何でしょうか・・・?


ドイツがオーストリア併合後、警察や第二線で使用した「シュタイヤー=マンリッヒャーM1895短小銃」用の弾薬です。

10 Stück                10発入り
8mm M.30 scharfe         8ミリ口径 M30 鋭い 
S-Patronen             尖った弾丸弾薬
Rottw. ←のちほど触れます
VIII XII  1938  ←印刷してあるXIIを■で消すと同時にその左側にVIIIとスタン
                     プされています。1938年12月8月製造の意?

ドイツ語「scharfe」は英語の「sharp」、S-Patronenの「S」はドイツ語「Spitzgeschoß(Spitz(英語pointed)+geschoß(英語bullet)」の略です。素直に英訳すると「sharp pointed bullet - cartridge」、さらに和訳して「鋭く尖った弾丸弾薬」となります。当時はまだライフル弾でもラウンドノーズのものがかなりありましたし、尖頭弾の中でも、より尖っていたんでしょうか。
ラベルの下から2行目の「Rottw.」はRottweilのRWS社(Rheinisch-Westfälischen Sprengstoff-Fabriken:ライン・ヴェストファーレン爆薬製造会社)によって製造された火薬のタイプを示します。
左下隅の「P635」は製造者コード。Gustloff-Werke, Otto Eberhardt-Patronenfabrik(オットー=エーベルハルト弾薬工業 グストロフ工場)製であることを示します。

↓これがその「鋭く尖った弾丸」。

記事を書く時、弾丸の撮影を忘れていたことに気づき急遽パソコンの上で撮影。
ラベルの左端の弾丸のシルエットと同じです(当たり前)。

↓では、まず箱を見ていきましょう。

右側の黒いのは箱を支えているM1カービン用のマガジン(友情出演)。


↓クリップに収まった弾薬の形そのままの形の箱。右は大きさ比較用のU.S. M1911A1 ピストルのストック。


↓ボール紙製の箱。周りに封紙が巻かれています。封紙に物品・製造データが印刷されていたんですね。


↓上蓋を上へ抜き取ると・・・


↓中身が少し見えました。


↓クリップが2つ並んでいます。


クリップ、カート本体など、このまま行くとちょっと長くなりますので、一旦ここで失礼します。続きは次回へ・・・。  

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2014年03月02日

8mmモーゼル弾 続き:7.92x57 IS(Patronen schweres Spitzgeschoß)#2

こんにちは。弥生三月、少しは暖かくなりましたか。
今回は前回の続きにお付き合いください。

↓ドイツ軍の採用していた「7.92x57mmモーゼル弾」の最小梱包紙箱のラベルの拡大です。


          Patr. s. S.
          P. 22. L. 35
 Nz.Gew.Bl.P.(2・2・0,45):Rdf.14.L.35
Patrh.: P.*55.L.35 - Gesch.: P.308.L.35
    Zdh.: S. K D. 154. c. L. G.

何を意味しているのでしょうか?浅学の私が現在までに知り得た範囲で申しますと以下の通りです。

1行目は弾薬の種類です。「Patronen schweres Spitzgeschoß」の省略表記で、「重量尖頭弾」の意です。schweresは「重たい」、spitzは「尖った」、geschoßは「弾丸」です。
弾種は他にも「s.S. trop(schweres Spitzgeschoß tropen):熱帯用重量尖頭弾」、「SmE(Spitzgeschoß mit Eisenkern):鉄芯尖頭弾」、「SmK(Spitzgeschoß mit Kern:鋼芯尖頭弾・いわゆる徹甲弾)」など、観測弾・工具弾なども含めると40種ほどもあります。

2行目は製造者コードとロットナンバーおよび製造年です。画像の例では「Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.社(コード:P)、ロット22番、1935年製造」となります。

3行目は装薬種類です。「Nz.Gew.Bl.P.」は「Nitrozellulose Gewehr Blättchen Pulver(ニトロセルロース弾薬用小葉体火薬)」の略。「2・2・0,45」は、火薬粒子が2mm x 2mm x 0.45mmであることを示します(ドイツでは小数点は「.」ではなく「,」で表します)。
後ろの「Rdf.」は「Westfälisch-Anhaltische Sprengstoff A.G.社」の製造者コード、1935年にロットナンバー14番で積出しされたことが判ります。

4行目「Patrh.:P.*55.L.35」は「Patronenhülse(薬莢)」についての標記。「Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.社(コード:P)、ロット55番、1935年製造」となります。ロットナンバーの前の「*」が、実は何を意味するのかがまだ分かりません。今後調べていきたいと思います。ただ、あとで出てきますが、薬莢底部のいわゆるヘッドスタンプには材質を示す記号として「S*」という刻印が用いられていますので、ひょっとしたら「銅含有率72%の真鍮」を意味する「*」かも知れません。課題です。
つづく「Gesch.: P.308.L.35」は「Geschoß(弾丸)」についての標記。「Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.社(コード:P)ロット308番、1935年製造」となります。

5行目「Zdh」は「Zündhütchen(雷管)」の略。「S.K D」は「Selve Kronbiegel Dornheim A.G.社」の製造者コード。ロットナンバー「154.c」で、その後の「L.G.」ですが、これについても「G」が1935年を示すのだとする資料がありますが、確信には至っておりません。もしご存知の方がいらっしゃいましたらお教え頂きたく存じます。
さて、この紙箱についてもう少し見てみます。

↓全景。


↓ラベルの反対側の面。

「Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.社」の「1935年製」を示すロゴの型押し。

↓ラベルの貼ってある方には指欠きがありまして・・・


↓開けると・・・


↓中蓋が・・・


↓それを開けて・・・


↓左右にベロガあって・・・


↓やっと中身が見えました。


↓15発が3段に互い違いに並んで入ってます。もちろんプライマーは発火済み。プライマーの周りのシーリング部には、これがs.S.(重量尖頭弾)であることを示す「緑色」のマーキングが施されています(黒色の場合もある)。

ほか、SmE(鉄芯尖頭弾)系なら青、SmK(鋼芯尖頭弾)系なら赤といった具合です。(また機会がありましたら詳しくやります。)

↓1発取り出してヘッドスタンプを接写。


12時のPは「Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.社」のコードの「P」、3時のS*は先程ラベルの説明でも触れましたが「S」が「真鍮」の意で「*」はその内の銅の含有量が72%の意。6時の55は「ロット55番」の「55」、9時の35は1935年製造の「35」。ラベル標記の4行目の薬莢についての情報がここでも示されています。プライマーの周りのシーリングの色と併せて、ヘッドマーク(薬莢底部)を見ただけでさまざまなことが判ります。箱のラベルの標記と中身が一致しているモノを手に入れられたのはとてもラッキーで嬉しいことです。

↓中身を取り出して全部拡げた、の図。1枚の紙から切り出して作られています。「中蓋」はラベル面の反対側から箱の内側を通ってラベル面に出てきます。


↓ひっくり返した、の図。


今回ご覧いただいたのは10数年以上前にコレクションしたモノのうちの一つですが、近年はオリジナルのカートの入手が難しくなってきていますねぇ。大事にしていきたいと思います。
紙箱の方は精巧なレプリカがたくさん出ておりますけれども、「レプリカ」が「偽物」となることの無いよう皆で気をつけたいものです。

それでは、また・・・。  

Posted by Sgt. Saunders at 11:43Comments(0)武器関連-Waffen & Related items

2014年02月23日

8mmモーゼル弾:7.92x57 IS(Patronen schweres Spitzgeschoß)

当地では今日の最高気温が10℃と、日向では春の兆しを感じる暖かさでした。
暖かくなり、また身の周りの小片付けをおこないまして、ネタに使えそうなモノを見つけましたので
ご覧下さい。

ドイツ軍の採用していた「7.92x57mmモーゼル弾」です。


実は今回のタイトルをどうしようかと考える際、「7.92x57mmモーゼル弾」か「7.92x57 IS弾」か「Patr. s. S. (Patronen schweres Spitzgeschoß)」など、どうしようかと迷いましたが、一番広く認識されるようにと「8mmモーゼル弾:7.92x57 IS(Patronen schweres Spitzgeschoß)」などととても長くなってしまいました・・・。

上の画像は、この弾薬の最小梱包単位である「15発紙箱」を開け、弾薬を並べたものです。薬莢・弾丸とも少し磨けばよかったかなと思いますが。

↓開ける前の箱。


↓ラベル拡大。

↑一部がドイツ文字(Fraktur:フラクトゥール)で記されています。現在では装飾につかわれる以外あまり一般的ではありません。
ドイツ軍モノに接する際には、しかし、これを読めるようにしないといけません。マニュアルなんかはほぼ全てこのフォントです。

            Patr. s. S.
          P. 22. L. 35
 Nz.Gew.Bl.P.(2・2・0,45):Rdf.14.L.35
Patrh.: P.*55.L.35 - Gesch.: P.308.L.35
    Zdh.: S. K D. 154. c. L. G.

どういう意味でしょう。続きは次回(時間がありませんでした・・・)。  

Posted by Sgt. Saunders at 23:22Comments(0)武器関連-Waffen & Related items

2013年12月24日

MP38/40 マガジンの解剖(The anatomy of the magazine for M.P.38 u.40)

MP38/40 マガジンの解剖(The anatomy of the magazine for M.P.38 u.40)

相変わらずお寒うございます。
片付けながらのコレクション弄(いじ)り、今回はドイツ軍サブマシンガン「MP38/40」用マガジンです。

ここで「MP38/40」についての講釈は不必要かと思いますが、軍装品のブログをやってみようかなと思う人間にとっては「そんなの常識だよ」というものでも、まだこの世界に足を踏み入れたばかりの方々にとっては新たな発見・知識の習得に資するかと考え、少しだけ・・・、と思いましたが、やっぱりWikipediaを見て頂くことにします。Wikipediaの中には時々「?」と思うものがありますが、MP38/40の項に関してはそれほど「?」と思うところが無かったので、そちらを参照して頂き、ここでは割愛することにします。Wikiでは記載されていない事だけ所々に散りばめます。

MP38/40(Maschinenpistole 38/40)、原語に忠実に訳せば「38/40式機関拳銃」となります。

さて、MP38/40についてはマルシン製の金属モデルガンを持ってますので、不可動実銃(「無可動」ではありません。こだわってますよー)を買おうかとは考えてません。もちろん資力の問題が大きいためですが。マルシン製の金属モデルガンもいろいろ酷評されますが私自身はまぁそこそこの出来だと思っています。

で、それではせめてアクセサリーなどは実物を、といういつもの流れで今から20年以上前に入手したのがこのマガジンです。↓


↑こうして見ると結構凹みや錆が目立ちますね。側面に補強リブのあるごく一般的なタイプです。

↓マガジン下部にある「M.P.38 u. 40」の刻印。「u.」はドイツ語の「und(英語の「and」)」の略です。「MP38および40用」という意味です。


↓マガジン背面。銃本体に装着した時にマガジンハウジングに隠れるか隠れないかの部分です。製造者のヴァッフェン・アムト(WaffenAmt:陸軍兵器局)・コードと製造年の下2けた等。


さらに拡大↓

「WaA815」と「98E」は共にオーストリア、グラーツのシュタイヤー‐ダイムラー‐プフ株式会社・グラーツ工場製であることを示します。「41」は1941年製であることを示します。


↑マガジン背面下部の穴と「32」の数字の刻印。この穴からカートリッジが見えたら32発入っているよ、というインジケーターのためのモノです。

↓いよいよ解剖。マガジン底部の板バネストッパーを・・・


↓上へ押し上げ・・・


↓拡大。



↓前方へずらしますと・・・


↓マガジン・スプリングが・・・


飛び出してきます・・・

↓バラしました。


↓フォロワー


↓フォロワー前側。WaAは・・・


「280」です。チューリンゲンのErma社(エルフルト機械工業ベルトホルト=ガイペル有限会社)製です。

↓マガジン底部のプレート裏面。「WaAB37」すなわちフランクシェ鉄工業株式会社(Frank'sche Eisenwerke A.G.)製です。



打ち損じだからか、上下に2つ刻印があります。下のモノは右端が薄いです。

マガジンを構成する部品がいろんなところで造られ、組み立てられたのが判ります。

もう一本の方は、また気が向いたらやります。
ではまた。  

Posted by Sgt. Saunders at 01:03Comments(0)武器関連-Waffen & Related items

2013年10月06日

またまたK98k用スリングTrageriemen(スリング・負革)続き

前回・前々回に続き、私の「寄り道コレクション」から、またまた別のドイツ軍の歩兵用主力小銃K98k用スリング(Trageriemen・負革)を。



実はこの個体は、既に私の手を離れております。3、4年前にオークションに出品して落として頂きました。資料として画像を撮っておいたものなのです。
長さ調節用のバックル部分の革が一部めくれていました。
因みに前回、前々回の個体の画像も同じ時期に撮影したものですが、個体自体は今でも大事に保存しています。


ストック固定器具の刻印。「KROYMANN & CO 1938(9?)HUMBURG」。
メーカーの刻印は、初めは「メーカー名そのもの」だったのが、防諜上の理由から「英数字2~3文字(/を伴って5文字となる例も)、「WaA」、「RBナンバー」となっていきました。時期によっては混在している例もあります。
個人的にはWaAよりも「メーカー名そのもの」の方が、なんとなく嬉しい(変?)です。






  

2013年09月28日

K98k用スリングTrageriemen(スリング・負革)続き

前回に続き、私の「寄り道コレクション」からまた別のドイツ軍の歩兵用主力小銃K98k用スリング(Trageriemen・負革)を。













一番下の画像の刻印からこの個体が「ベルリンのA. Wunderlich Nachf., Fabrik für Heeresausrüstung(A. ヴンダーリッヒ軍装備研究製造所)による1939年製のモノ」であることが分かります。
しかしながら、その上の画像にある「WaA」の刻印の番号100(?)(108にも400にも700にも見えますが)が解せません。今挙げたどのWaA番号も、この製造者にあてがわれたとする資料が見つからないのです。
現在までに解明されているWaA番号の中に、まだ未解明分として残っているのであれば、それはそれで珍しくて良しとしますが…(「WaffenAmt」や「WaA」等で検索すれば多くのデータベースがあがってきますが、それらのいずれに於いてもこの製造者とWaA番号が一致するものがありません)。今後の研究課題です。

ある研究サイト(THE RIFLE SLING HOME PAGE)で同じモノを「WINDERLICH NACH  BERLIN 1939」と紹介していますが、スペルを読み取り違えていますので(「NACH」の後に絶対に一文字ありますし、Wの後ろの文字も「I」よりもむしろ「U」に思えます)鵜呑みにはできません。(ちなみにその個体画像提供者は、米国の軍装品研究者・コレクターのHayes Otoupalik氏です。何も異論を差し挟んでらっしゃらないようですが…?)






長さ調節用のバックル部分には、まだ革がしっかり張りついていて、金具本体に、例えば「L&F」等の刻印があるかどうか等確認できませんので、製造者が誰かは分かりません。

革の表面に幾つか割れが生じていますが、比較的きれいな部類に入ると思います。
乱暴に扱わなければ十分使えます。
  

2013年09月16日

K98k用スリングTrageriemen(スリング・負革)

今回は寄り道コレクションからドイツ軍の歩兵用主力小銃K98k用スリング(Trageriemen・負革)を。
実銃は所持が禁じられているので、せめてアクセサリーぐらいは実物を…ということで
私のメイン・コレクション対象であるWWⅡ米陸軍歩兵用の各種銃器用のモノのほか、
ドイツ軍歩兵の良き伴侶であるK98kのスリングも、WWⅡ軍用銃ファンとしてコレクションしなければならないのだという強迫観念にとらわれ(?)入手した経緯があります。




遠目には黒革のように見えますが、経年と脂で表側の茶色が黒ずんで見えます。




この固定器具によりストックのスリットからスリングが抜けないようにします。





固定器具の表と裏。この個体には製造者を特定する刻印が認められません。裏側の中央部分にWaAの鷲のマーキングかなと思えるような「跡」のように見えるものがありますが確証が持てません。WaA#や、年代によっては西暦4ケタや製造者の固有名詞等が刻まれている例があります。





長さ調節用のバックルの表と裏。このバックル個体は「L&F」の刻印があります。Linden & Funke KG(Linden & Funke合資会社)製であることがわかります。




スリング本体の裏側に施された製造者名の刻印。
Otto Köberstein
LANDSBERG a. W.(a.W←「an der Warthe」の略)
Landsbergの馬具製造業者オットー=ケーベルシュタインによる製造。
↓こうすると見やすいでしょうか?



今後もメインではない「寄り道コレクション」をちょくちょくご紹介していきます。