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2013年09月28日

K98k用スリングTrageriemen(スリング・負革)続き

前回に続き、私の「寄り道コレクション」からまた別のドイツ軍の歩兵用主力小銃K98k用スリング(Trageriemen・負革)を。













一番下の画像の刻印からこの個体が「ベルリンのA. Wunderlich Nachf., Fabrik für Heeresausrüstung(A. ヴンダーリッヒ軍装備研究製造所)による1939年製のモノ」であることが分かります。
しかしながら、その上の画像にある「WaA」の刻印の番号100(?)(108にも400にも700にも見えますが)が解せません。今挙げたどのWaA番号も、この製造者にあてがわれたとする資料が見つからないのです。
現在までに解明されているWaA番号の中に、まだ未解明分として残っているのであれば、それはそれで珍しくて良しとしますが…(「WaffenAmt」や「WaA」等で検索すれば多くのデータベースがあがってきますが、それらのいずれに於いてもこの製造者とWaA番号が一致するものがありません)。今後の研究課題です。

ある研究サイト(THE RIFLE SLING HOME PAGE)で同じモノを「WINDERLICH NACH  BERLIN 1939」と紹介していますが、スペルを読み取り違えていますので(「NACH」の後に絶対に一文字ありますし、Wの後ろの文字も「I」よりもむしろ「U」に思えます)鵜呑みにはできません。(ちなみにその個体画像提供者は、米国の軍装品研究者・コレクターのHayes Otoupalik氏です。何も異論を差し挟んでらっしゃらないようですが…?)






長さ調節用のバックル部分には、まだ革がしっかり張りついていて、金具本体に、例えば「L&F」等の刻印があるかどうか等確認できませんので、製造者が誰かは分かりません。

革の表面に幾つか割れが生じていますが、比較的きれいな部類に入ると思います。
乱暴に扱わなければ十分使えます。
  

2013年09月16日

K98k用スリングTrageriemen(スリング・負革)

今回は寄り道コレクションからドイツ軍の歩兵用主力小銃K98k用スリング(Trageriemen・負革)を。
実銃は所持が禁じられているので、せめてアクセサリーぐらいは実物を…ということで
私のメイン・コレクション対象であるWWⅡ米陸軍歩兵用の各種銃器用のモノのほか、
ドイツ軍歩兵の良き伴侶であるK98kのスリングも、WWⅡ軍用銃ファンとしてコレクションしなければならないのだという強迫観念にとらわれ(?)入手した経緯があります。




遠目には黒革のように見えますが、経年と脂で表側の茶色が黒ずんで見えます。




この固定器具によりストックのスリットからスリングが抜けないようにします。





固定器具の表と裏。この個体には製造者を特定する刻印が認められません。裏側の中央部分にWaAの鷲のマーキングかなと思えるような「跡」のように見えるものがありますが確証が持てません。WaA#や、年代によっては西暦4ケタや製造者の固有名詞等が刻まれている例があります。





長さ調節用のバックルの表と裏。このバックル個体は「L&F」の刻印があります。Linden & Funke KG(Linden & Funke合資会社)製であることがわかります。




スリング本体の裏側に施された製造者名の刻印。
Otto Köberstein
LANDSBERG a. W.(a.W←「an der Warthe」の略)
Landsbergの馬具製造業者オットー=ケーベルシュタインによる製造。
↓こうすると見やすいでしょうか?



今後もメインではない「寄り道コレクション」をちょくちょくご紹介していきます。  

2013年09月08日

短くなるのは良いこと。(Bayonet, M1 - It's good to be shortened.)

M1ライフル(ガーランド)が正式採用されたのは1936年ですが、その生産ペースは遅く、WWⅡ開戦時ほとんどの部隊ではM1903ライフル(スプリングフィールド)が主力小銃となっていました。

M1903ライフル用として採用されていたM1905バイヨネット(銃剣)とM3スキャバード(鞘)ですが、M1ライフルが正式採用されてもそのままその銃剣・鞘として使われました。

M1903ライフルが採用されたWWⅠ当時とWWⅡとではその用兵・戦術は大きく変わり、M1905バイヨネットのその16インチ(約40.6cm)に及ぶ刀身長はメリットをデメリットが上回ることとなり(重い、座った時につっかえて不快、長すぎて扱いにくい、等)、試しに刀身を10インチ(25.4cm)にしてM1905E1として試作してみるとその評判がよく、1943年3月にM1バイヨネットとして制式化されました。

これにより使用中及び在庫のM1905バイヨネットは廃棄されたわけではなく、試作されたM1905E1と同じ長さになるように刀身を先端から6インチのところで切断し、切先の形状を整えて、実質的にM1バイヨネットと同様のものとして使われました(「M1905改M1バイヨネット」といったところ)。
初めから10インチのM1バイヨネットか、M1905バイヨネットの先端を6インチだけカットして出来た「M1905改M1バイヨネット」かを見分ける方法は簡単。刀身に走っているフュラー(ブラッド・グルーブ(血溝)とも)が刀身先端の手前(先端から7㎝位)で終わっていれば生粋のM1、刀身先端まで走っていれば「「M1905改M1」です。長いM1905の刀身を途中でカットするのですからフュラーもそこまで走っているのは当然ですね。

また、切先の整形も2通りあり、切先の先端が峰にあり、日本刀のように峰から刃へ向かって「片刃」形状になっているものと(海外ではknife pointとかchisel(のみ、たがね)pointとかbeak(くちばし)pointなどと呼ばれています)、もう一つは生粋のM1バイヨネット同様に切先の先端が刀身中央にあって切先が「両刃」のようになっているもの(海外ではspear(鑓) pointと呼ばれています)がありました。

一方同時にスキャバード(鞘)も、銃剣の長さに合わせたM7スキャバード(当初はM3A1が制式名でありましたが混乱を避けるため程無く改称)が制式化されましたが、こちらもバイヨネットと同じく、使用中及び在庫のM3スキャバードも全長を6インチ短くして使ってやらねば勿体ないと、マウスピース部分から鞘本体を一旦分離させ、上から6インチで切断し、もう一度マウスピースに差し込んで固定して、これまた実質的にM7(「M3改M7」と言うべきところ)と同様のものとして使われました。

1865
↑上からM1905バイヨネット&M3スキャバード、
M7(M3A1)スキャバード、
「M3改M7」スキャバード。
長さの差は6インチ(約15.2cm)。


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↑上の画像のものの裏返し。


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↑左からM3、「M3改M7」、生粋のM7の各スキャバード。


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↑上の画像の拡大。真ん中の「M3改M7」スキャバードのマウスピース部の左右の下端部分が、隣にあるM3あるいは生粋のM7スキャバードのそれらと違うのがお分かりになりますか?


1869
↑上の画像のさらに拡大。左がM3、右が「M3改M7」。
左のM3は、鞘本体の切り欠き部分にマウスピースの小さい爪が噛み込んで固定されています。右の「M3改M7」は鞘本体に切り欠きが無く、マウスピースの下端を絞り込み、挟み込ませるようにして本体に固定されています。

M3をM7化するプロセスは、次の通り。
まず鞘本体と結合されているマウスピースの爪の部分を開いて鞘本体を引き抜き、鞘本体の上部は6インチ分カットされます。開かれた爪部分は金属疲労で脆いため取り外され、逆に上方向へ5mmほど切込みを入れられます。カットされた鞘本体は切り欠きを入れられないままマウスピースへ再び差込まれます。差し込まれた鞘本体を、マウスピースの切込みを入れられた部分で挟み込むようにして固定し完了です。
つまり、マウスピースの下端が直角になって爪が鞘本体の切り欠きに引っ掛かっていれば「生粋のM7」であり、鞘本体に切り欠きがなく、マウスピースの下端が斜めになって鞘本体を包み込むようになっていれば「M3改M7」であるという事になります。


1870
↑M3スキャバードのマウスピースを裏下側から見る。「B 1/5 N」の刻印。製造者Beckwith Manufacturing社の品質管理用の記番号。


1871
↑「M3改M7」を同じアングルから。「B /3 N」。画像下側には「REP」とありますが、これについては様々な文献等を調べましたが、今のところまだ確認できていません…。


1872
↑M7を。「vP /5」のvPはBeckwithの子会社のVictory Plastics 社です。この「vP」のロゴはすぐ下にバッチナンバーの数字を伴って鞘本体の裏側にも凸モールドで表示されています。この画像の左の方にも、ぼやけて見にくいですが「29」という数字の上に「vP」の凸モールドがあります。

M3スキャバードやM1905バイヨネットが改造されずに16インチのまま残っている例は当然あります。まだまだ価格面でもコレクションはしやすい方だと思いますが、鞘はともかく、銃剣の方は日本では銃刀法により刀身が無残にも切断されていないとコレクションに入れることが出来ないのが、とても残念な事です。
  

Posted by Sgt. Saunders at 21:31Comments(2)米軍(U.S.)Bayonets, Knives

2013年09月02日

M1A2グレネード・アダプターとM11A4練習用対戦車ライフル・グレネード(Rifle grenades)

一般歩兵が手榴弾をより遠くへ投げ込む(撃ち込む、というべきか)、あるいは戦車相手に一矢報いる時に使われたのは…

ライフルグレネード(小銃擲弾)です。



と言っても、実は私、この分野は未開拓(開拓中)でして、まだこの2つしかコレクションできていません。しかも上の画像にあるのはどちらもWWⅡ時モノではなく、その後継型です。左がMk Ⅱ系破片手榴弾を装着している状態のM1A2グレネード・プロジェクション・アダプター、右はM11A4練習用対戦車ライフル・グレネード。本当はWWIIモノたるM1グレネード・プロジェクション・アダプターと、M11A1練習用対戦車ライフル・グレネードが欲しいのです。(2020年3月22日追記:念願が叶ってM1グレネード・プロジェクション・アダプターを入手出来ました。同日付けの記事「M1グレネード・プロジェクション・アダプター(←クリックで別ウィンドウで記事が開きます)」で取り上げておりますので是非ご覧下さい。)



どちらにも飛翔安定のためのフィンが付いてます。




左のM1A2グレネード・プロジェクション・アダプターの名称表記部の拡大。
             ADAPTER GRENADE
             PROJECTION M1A2
              LOT UOD-500-12
              1945 MOD 3-69
1969年3月製です。WWⅡ時のM1は手榴弾を掴んでいるツメが4本であるのに対しその後継M1A1と上の画像のM1A2は3本でした。ただ、ここで一つ疑問があります。「M1A1」も「M1A2」も3本爪でありまして、その違いはと言えば、後端部の飛翔安定フィンがソリッドなのが「M1A1」で、フィンにスロットがあるのが「M1A2」なのですが、この個体のフィンにはスロットが無くソリッドであるのに、今見ました名称表記ステンシルではハッキリ「M1A2」とあります。単なる混乱でしょうか。
ツメの1本には手榴弾の安全レバーを固定するクリップが付いていて、手榴弾の安全レバーがそのクリップに通るようにして手榴弾を「掴ませ」て、手榴弾のピンを抜いてグレネード発射、発射されるとクリップが慣性でずれて安全レバーを解放して時限信管を作動させ、弾道上あるいは対象物に到達する頃に爆発という寸法。


右のM11A4練習用対戦車ライフル・グレネードの名称表記



                GRENADE, RIFLE
               AT, PRACTICE, M11A4
               A* LOT CFQI-18 7-52
               (↑Aのあとの一文字はつぶれて読めません)

これは練習用でありまして、形が同じの「本番用」の「M9」,「M9A1」対戦車グレネードがありました。
まともに命中させれば、3~4インチの装甲を撃ち破ることができたのだとか。



このように容器を開けることができます。小物入れにも使えます。

では、また…。  

Posted by Sgt. Saunders at 23:23Comments(0)米軍(U.S.)Fire arms