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2017年07月23日

US X型サスペンダー(2)(Suspenders, Pack, Field, Cargo-and-Combat(2))

何かよく分からないうちに梅雨明け宣言されていた大阪からお送りします。
各地で集中豪雨による土砂災害・浸水被害が出ているのをテレビ等で見ますが、自然現象によるものとは言え、あまりの凄さに言葉を失います。
被災者の方へお見舞い申し上げます。

前回記事の「US X型サスペンダー(Suspenders, Pack, Field, Cargo-and-Combat)」において、「朝鮮戦争前頃位から肩に当たる部分にクッションになるようなパッドが縫い付けられるようになりました」と記しましたが、今回実物をご覧いただきながら比較対照してみます。

↓まず全容です。左と右の色合いがかなり違ってます。一口に「od shade #7」と言っても、染められる側の生地により、或いは製造者間での色調の微妙な差、褪色・色落ち度合いによってこの様に映ります。


↓裏返しました。このように肩の部分にクッション・パッドが付けられるようになったのは上述のとおり大体朝鮮戦争勃発前頃だとされています。同一個体内でも部材により色落ち具合が異なっているのが良く分かります。


↓パッドは結構肉厚です。でも水濡れしたらなかなか乾かなさそうです。


↓装着したときに人体右側に来る方のハーネスには「U.S.」のスタンプ。「US」ではなく、省略の「.」があります。


↓一方反対側のハーネスには「U.S.」ではなく、なにやらウジャウジャしたスタンプがあります。


↓フェード・アウトしていて殆ど読み取れませんが、制式名称「SUSPENDERS, PACK, FIELD, CARGO-AND-COMBAT」とストック・ナンバー「74-S-392-300」、「MIL-P-3392 」と、あとは「製造者名」と「QM(Quartermaster)の契約番号と日附」、それにいづれかの需品部調達庁(Quartermaster Procurement Agency)がスタンプされていた筈です。最後の需品部調達庁名ですが、私はこれまで「NYQMPA(New York Quartermaster Procurement Agency)しか見たことがありません。


↓背中の交差部分のすぐ上の、パックの背面上端部を横方向に走るクロス・ストラップを通して連結させるための3段ループの縫製パターンは2種類あります。後述します。


↓前回記事で紹介しました肩クッション・パッドの付く前のモノ(左)とパッド付のモノ(右)を並べました。


↓先ほど申しました「パックの背面上端部を横方向に走るクロス・ストラップを通して連結させるための3段ループの縫製パターン」、お分かりいただけますか?左はループの部品が鉛直方向に沿ってハーネスとは角度をつけて縫われ、3段に分けている縫い目はループ部品と直角をなしています。一方、右はハーネスの方向と平行に中央で縫われており、3段に分けている縫い目がループ部品と角度をなしています。実はこの差異は肩パッドの有無の時期とは関係無く、どちらのモノにも見られます。


↓もう一つの差異は、肩パッドの無いモノと有るモノとでの構造的差異に起因するものです。お分かりいただけますか?


↓パックをサスペンダーと連結する時、連結用サスペンション・ストラップをサスペンダーの肩のバックルに通して固定し、前側へ垂れて余る連結用サスペンション・ストラップを通しておいてバタつかないようにするための胸部分のループ(画像の「このループ」と注記)の取り付け位置が、肩パッド無しのモノと有りのモノとで異なっています。右の肩パッド有りのモノでは、そのパッドを縫い付けるための縫いしろスペースが必要で(白の丸印)、ループが背面側へずらされています。



いかがでしたでしょうか?
1948年頃にはもう肩パッド付きで製造されていたようで、肩パッド無しのモノの方が製造時期が圧倒的に短かったためか現在流通しているのも肩パッド付きのモノの方が多いですね。
この肩パッド付きのモノ、後継のM-1956 H型サスペンダーが世に出る頃にもまだ大量に在庫があったようで、「廃棄するのは勿体無い」と、前内側のストラップを取り払い、胸に四角い金属リンクを付けるなどしてM-1956 H型と同様に使えるように改修されたモノが多くみられます。またあらためて紹介したいと思います。

それでは今回はこの辺で失礼します。(今回の投稿が記念すべき(?)100回目になる、ということに気付いたのは今、9月18日です。)
  

Posted by Sgt. Saunders at 21:10Comments(0)米軍(U.S.)Suspenders

2017年07月17日

US X型サスペンダー(Suspenders, Pack, Field, Cargo-and-Combat)

近所の公園からは朝の6時を待たずしてシャンシャンシャンシャンと蝉の声が大音量で聞こえてきます。
梅雨明け前の猛暑と熱帯夜に辟易とさせられる大阪から、久々に前回の投稿から1か月と間を置かずにお送りいたします。

今回は米陸軍がWWⅡ時に使用していたX型サスペンダーのうち、末期ギリギリに供用の始まったカーゴ・アンド・コンバット・フィールド・パック・サスペンダー(Suspenders, Pack, Field, Cargo-and-Combat (ストック・ナンバー:74-S-392-300))を採り上げます。

WWⅡ時に米陸軍が使用したいわゆるX型サスペンダーには大別して「M-1936(Suspenders, Belt, M-1936、ストック・ナンバー:74-S-389 )」とその改修版である処のいわゆる「M-1943」或いは「M-1944」と呼ばれているモノ、それに今回のカーゴ・アンド・コンバット・フィールド・パック・サスペンダーがあります。

今回採り上げますカーゴ・アンド・コンバット・フィールド・パック・サスペンダーの事を指して「M-1943」或いは「M-1944」と称しておられる方もありますが(Kenneth Lewis氏は「M-1944」と紹介("DOUGHBOY TO GI"、P.184))、元来「M-1943」や「M-1944」という制式名称は無く、コレクターが差異を区別して呼ぶために勝手に(便宜的に)造った俗称です。
上で述べました「(M-1936の)改修版である処のいわゆる『M-1943』或いは『M-1944』」とはどんなモノかと申しますと、M-1936の肩部分にクッションとなるパッドを縫い付けたモノや、M-1936の胸部分の金属パーツやリベットを廃し、同じく肩部分にクッション・パッドを縫い付けたようなモノ等の派生版モノに対してコレクターが独自に与えた名称です。今回の記事とは直接関係が無いのでこれ以上の言及は省きますが、いずれまた別の機会に採り上げたいと思います。

↓カーゴ&コンバット・フィールド・パック・サスペンダー(Suspenders, Pack, Field, Cargo-and-Combat)です。M-1936と同じく前側(画像では下側)の左右2本のストラップのうち内側のものは臍に近い位置でベルトに連結し、外側1本ずつは画像の状態よりもうちょっと伸ばして背嚢へ連結するようになってます。背嚢を背負わない場合は画像の状態の長さくらいにして両腰真横あたりでベルトに連結しました。

このサスペンダーがそれまでのM-1936及びその派生版と大きく異なるのは、重いカートリッジ・ベルトやピストル・ベルトを肩で支えるという単純な役目だけでなく、背嚢との連結をより高度な仕組みにした点にあります。
M-1936にもM-1936 od フィールド・キャンバス・バッグ(通称ミュゼット・バッグ)を背負うために左右の胸部分にDリンクが設えられていて、バッグの上端に設えられたストラップの先端のクリップを背中から肩を越して連結させる仕組みでしたが、そのM-1936 od フィールド・キャンバス・バッグと、旧式のM-1928ハバーサックとを発展的に統合した後継の「コンバット・フィールド・パック(Pack, Field, Combat)」が、それを背負うための当サスペンダーと一体で開発されました。新しい背嚢(コンバット・フィールド・パック(Pack, Field, Combat))は、その直下にカーゴ・フィールド・パック(Pack, Field, Cargo)を連結してフル・パックを構成できるようになっており、それらを背負うための当サスペンダーなので、名称もそれに合わせて「Suspenders, Pack, Field, Cargo-and-Combat 」となった訳です。

↓両肩辺りの金属バックルとそのすぐ下のスロット(上中下3つあります)を使って、コンバット・フィールド・パックをサスペンダーに連結します。


↓背景が汚くてすみません。これは連結しようとしているコンバット・フィールド・パックの背面です。パック背面上部を横に走っているクロス・ストラップをサスペンダーのスロットに通し、パック背面左端のバックルを使ってしっかり締め付けて固定します。体格により3つのスロットのどれにクロス・ストラップを通すかを選べます。さらにパック背面上端左右に設えられている薄手のサスペンション・ストラップをサスペンダーの肩部分のバックルに通すことにより、パックがサスペンダーに吊り下がる(サスペンド)ように固定します。



↓このバックルにパックのサスペンション・ストラップをくぐらせて前へ通します。通したあと余分なストラップは…


↓サスペンダー左右にあるループの下に潜らせてブラつかせないようにします。このループは手榴弾を引っ掛けたりするのにも使われました。


↓パック内側にあるラベルのイラストです。こんな感じにサスペンダーとパックが連結されます。(但しこれはM-1945カーゴ・フィールド・パックのラベルです)


↓USスタンプと製造者「HOOSIER」および製造年「1944」。色はOD#7です。が、ずっと見てきました画像でお気づきだと思いますがウェブかダック(ズック)かHBT生地かによって染まり加減・褪色具合が異なってます。ですから一口に「OD#7」とか言っても実に色んな見え方がします。


↓前部ストラップに付いている連結クリップは普通のモノです。長さ調節用のバックルも「目」型のごく普通のモノで、亜鉛合金製の鋳造タイプです。大戦以前からは青銅や真鍮の鋳造タイプがありましたし、その後大戦勃発以降スチール製のプレス製造タイプが出て、続いて亜鉛合金製の鋳造タイプが出てきます。連結クリップも同様に素材については青銅製、真鍮製、スチール製、亜鉛合金製がありました(もちろんバネ部分は除きます)。


↓後部ストラップは前部と同じく連結クリップは普通のモノ。但しM-1936では長さ調節のためには、ストラップ上をスライドさせて任意の位置で留めることのできるセルフ・ロッキング・バックルがストラップ末端に設けられていたのに対し、当サスペンダーでは前部ストラップと同じ「目」型バックルが用いられています。間違いなく部品種類削減・製造工程省略のためでしょう。


↓裏返してみました。のちに朝鮮戦争が勃発する前頃あたりには肩に当たる部分にクッションになるようなパッドが縫い付けられるようになります。冒頭で出てきましたいわゆる「M-1943」や「M-1944」と呼ばれているサスペンダーと同様のモノです。


↓ここでオフィシャルなマニュアルを見てみます。当ブログでたびたび登場するQM3-1 Quartermaster Supply Catalog (May 1946)から当サスペンダーの項を抜き出してみました。少々ピンボケなのはお許しください。


↓同じカタログにM-1936サスペンダーも載っていますが、「BELTS AND SUSPENDERS」のページに掲載されているのに対し、当サスペンダーは「INDIVIDUAL EQUIPMENT」のページに載っています。
上述してきました通り、背嚢との一体装備として当サスペンダーが詳解されています。この解説文を読めば、サスペンダーについて巷間言われている処の「M-1943」、「M-1944」呼称が本当は「俗称」であることが分かると思います(コレクターが便宜的に呼称するのを否定する訳ではありませんが、あくまでも便宜的な呼称である事に注意する必要があると思います。)。


↓曰く
コンバット・フィールド・パックはサスペンダーを伴って背嚢を形成するのに使用出来、あるいは、フル・パックを形成するためにクイック・リリース・ストラップを用いてカーゴ・フィールド・パックを装着することも出来る。コンバット・パックには塹壕堀りショベルや銃剣を保持するためのタブとストラップが設えられている。ホースシュー・ロールを保持するためのストラップが設えられている。カーゴ・フィールド・パックは単体で休暇鞄として使える。サスペンダーは単体でカートリッジ・ベルトを吊り上げるのに使える 。
カーゴ・フィールド・パックとコンバット・フィールド・パックは、非常に酷似しているM-1945カーゴ・フィールド・パックとM-1945コンバット・フィールド・パックにとって替えられた。しかしながら、カーゴ・パックとコンバット・パックとを結合させるためのクイック・リリース・バックルのあった部分には、M-1945カーゴ・フィールド・パックとM-1945コンバット・フィールド・パックではダブル・バー・バックルが使われているため、それらは互換出来ない。

(筆者注:下2つの画像でも分かりますが、「M-1944カーゴ・フィールド・パック」や「M-1944コンバット・フィールド・パック」というモノはありません。ただ「M-1945カーゴ・フィールド・パック」と「M-1945コンバット・フィールド・パック」と対比する上で「M-1944」と俗称で呼ばれている事が、このキャプションからもお分かりいただけると思います。)

↓上の記述にありますように、(極めて短時間のうちに)カーゴ・フィールド・パックは世に出てから間もなくM-1945カーゴ・フィールド・パックにとって替えられ、限定採用扱い(Limited Standard)にされてしまっています。


↓コンバット・フィールド・パックも同様にM-1945コンバット・フィールド・パックにとって替えられてしまいます。同じく限定採用扱いにされています。1年余りの極めて短命に終わったカーゴ・パックとコンバット・パックです。その代わり後継のM-1945は後のM-1956コンバット・フィールド・パックの採用まで使用されますが、容量不足である点、パック単体では背負えない点であまり兵士からの評判は芳しくなかったようです。

これら「M-1945」の付かないカーゴ・フィールド・パックとコンバット・フィールド・パックのことを「M-1944」と呼称するコレクターやショップがあるのは前述のとおりですが、上の詳解にもあったように、クイック・リリース・バーが付いていればいわゆる「M-1944」、ダブル・バー・バックルが付いていれば「M-1945」であると判別することができます。
今回の記事の主役はサスペンダーなのに背嚢の方に話が逸れてしまいました。済みません。


↓ここでレア(?)なモノを。上で見て来ましたモノとは前(下)4本のストラップの縫製が異なってます。メイン・ストラップの上からあと付けされる、本来臍の方を向いているはずのストラップが外側に向かって付いています。

製造ミスなのでしょうか、バージョン違いの極レア物なのか?


実は…
通常のサスペンダーをこのように交差部分で…

くぐらせて…

もう一方の方もくぐらせると…

まともに交差したように見えて…

↓このようになるのです。もう一度同じようにすると元にに戻りますよ。持ってらっしゃる方はお試しを。



いかがでしたか?
本記事の個体は状態から見て恐らく未使用のデッド・ストックだと思われます。私がWWⅡUS陸軍装備に興味を持ちだした1985年前後の頃、沖縄のアメリカ屋さんで肩パッドの付いていない大戦時製造モノの中古良品が2,500円でした。現在では肩パッド無しの大戦時製造モノの出品は滅多に見ることはありませんね。朝鮮戦争前頃以降製造の肩パッド付バージョンならば程度の良いものが結構出回っていますが、値段は下は2,000円位から上は6,000円位と、かなりバラつきがあります。金具に緑青が吹き出まくっていてもです。肩パッド無しのモノの出品があれば程度にもよりますが押さえておこうかなと思います。

それでは今回はこの辺で失礼します。ありがとうございました。



  

Posted by Sgt. Saunders at 10:18Comments(0)米軍(U.S.)Suspenders

2017年07月02日

ジャングル・ファティーグ 2ndモデル(Tropical combat man's coat, 2nd pattern)

みなさまお久しぶりです。東京都議選、どうなるのでしょうか?
前回の記事投稿以来、公私ともにバタバタしておりまして、新しい記事の投稿・更新をしたい気は山々でしたが全然できませんでした。

この度ちょっと時間が取れましたので本日頑張ってお送りしますのは、米軍がヴェトナム戦争時に使用していたトロピカル・コンバット・マンズ・コート(Tropical combat man's coat)、所謂ジャングル・ファティーグのコレクションから2ndモデルを採り上げます。
元々はスペシャル・フォース要員用にと開発がすすめられたこのジャングル・ファティーグですが、歩兵一般へ支給され、のち幾つかの改修を経ることによる特徴を基にコレクター諸氏あるいは研究家によって区別・分類されています。

↓まず全景です。ちょっと言い訳...。画像の左側が明るく白っぽいのは太陽光が画像の左側の方に強く差し込んできているからです。簡易ベッドルーム・スタジオでの撮影なのでお許しください。

ポケット・フラップのボタンはすべてフラップの内側についている「ボタン留め用フラップ」で留められ、フラップの表に露出していません。ガス・フラップがあり、ハンガー・ループがあり、ペン・ポケットが両胸のポケットに設えられています。所謂セカンド・モデルの特徴を有しています。

↓上述の、「改修を経ることによる特徴」と他の研究者の方々の研究成果を基に作成した「5モデル大別表」です。過去記事「ERDL迷彩・USMC・ジャングル・ファティーグ(ERDL Tropical Coat)」でも掲げていますが、コレクター諸氏の中には、もっと細かく分類される方もおられますけれども、最大公約数的な分類の仕方としては大体下記のようになるのではと思います。但しセカンド・モデルのうちエポレットは廃止したもののウェストの調整タブとガス・フラップは残されたタイプのモノも認められます。


↓両肩のエポレットはこのセカンド・モデルを最後に廃止されます。ハンガー・ループのすぐ下にあったはずのサイズ・FSN表示ラベルは残念ながら取れてしまっています。ガス・フラップが覗いて見えます。


↓両胸のポケットにペン・ポケットが設えられています。またポケットの下部にドレイン・ホール(水抜き穴)が穿ってあります。両ポケットの上にあったはずのネーム・テープは取り去られています。左(画像では右側)のポケットには何らかのパッチ(フラッシュ?)が貼ってあった形跡が見られます。どんなモノだったのか興味があります。


↓右胸ポケットの中です。3rdモデルまではペン・ポケットが右胸にもあります。


↓フロントのガス・フラップは上下2個のボタンで留めるようになってました。また、1stモデルでは身頃のボタンは一番上のボタンを含んで6つなのに対して、この2ndモデル以降は5つに減らされました。



↓袖先部分もタイプを判別する要素です。4thモデルまではこのようにスリーブ・ガセット(襠(まち)布)があります。


↓背面です。ヨーク(切り替え)はありません。両腰にウェスト周りの寸法を詰めるためのタブが設えられています。



↓右身頃の内側下部にもラベルがあります。ここにラベルが付いているのを見たのはこの個体が初めてでした。


↓拡大。こんなところに制式名称とDSAナンバーがあったんですね。

曰く「COAT, MAN'S, COTTON WIND RESISTANT POPLIN O.G. ARMY SHADE 107」「DSA 100-1398」。O.G.はオリーブ・グリーンの意です。シェード#107のO.G.が用いられているということです。

↓右身頃裏側、腰ポケットの裏側のラベルには「使用上の注意」が記されています。


↓拡大。こちらのラベルには「COAT, MAN'S, COMBAT, TROPICAL」と記されてあります。

訳は必要ですか?
1.熱帯地域でアウターとして着用すること。2.トラウザースの外に出して着用すること。3.内側のフラップがまっすぐ正しくボタン留めされているのを確かめて前面をボタン留めすること。4.横の調整タブでウェスト・サイズを合わせること。5.袖は捲り上げておけるよう調整できる袖口が設えてある。6.各ポケットの下部には水を排出できるようにドレーン・ホールが設えてある。7.コートは手洗いできる。石鹸は確実にすすぎ流すこと。8.LCE(Load Carrying Equipment;荷物運搬用装備)がポケットを塞がないようコートは通常より長めに作られている。 っていうところです。


如何でしたでしょうか?
何年か前にヴェトナム戦争時軍装を蒐集し始めた当初このジャングル・ファティーグを贖いました。パッチやネーム・テープは既に外されていましたが、その頃既に1st、2nd、3rdモデルは高騰し始めていたので、割と低廉な価格で売りに出されていたこの個体を即購入しようと決めた思い出があります。程度もソコソコでしたしサイズも合致していましたので。サイズ・ラベルは無くなっていますが、大体ミディアム・レギュラー位で、着用も可能でしたので、それも購入を決めた要因の一つでした。
また、画像はありませんが、左肩に師団パッチの貼り付け跡が残ってまして、それが縦長のホーム・ベース型なので、介入当初から数多くの作戦に当たった、あの"Big Red One"、即ち第1歩兵師団かなー?と思いを巡らせていたものです。

それでは今回はこの辺で失礼します。次回記事投稿はいつになりますやら...。





  

Posted by Sgt. Saunders at 07:30Comments(0)米軍(U.S.)Field Jackets, Utilities