2018年09月02日
M-1951イントレンチング・ツール(M-1951 Intrenching Tool)
皆さんこんにちは。
台風21号が接近しつつあり、4日には雨風がとても強くなるとの予報が出ております当地大阪、今朝方は晴れて風もそれほど強くなく、時折ツクツクボウシの鳴き声が響き、至って平穏な晩夏を迎えております。定刻を3時間余り過ぎての投稿です。
さて今回採り上げますのは2回前にお送りしました記事「M-1943イントレンチング・ショベル(M-1943 Intrenching Shovel)」(←過去記事を別ウィンドウで開きます。今回の記事と並べてご覧頂くと相違点が良くお分かりいただけると思います。)の後継モデルとなります「M-1951イントレンチング・ツール(M-1951 Intrenching Tool)」です。土を掘るためのショベルに、固い地面を穿ち掘り起こすための「ピック・ブレード(ツルハシ)」を加えて、より一層塹壕を構築しやすく改良されました。また同時にこのM-1951イントレンチング・ツールは旧式のM-1910ピック・マトックの役割も引き継いで置換されることとなりました。
↓まずはキャリアーに収まっている図からご覧ください。
↓フラップを開けます。
↓上へ引き上げて、
↓はい、引き上げて…と、
↓抜き取りました。柄は木製でショベル・ブレード(匙部)は鋼製で、全体がOD色で塗装されているのはM-1943と同じです。OD色の色調はヘルメットの塗装等と同様WWII時のやや暗いODから、もっと明るいODへと変わりました。このM-1951は、畢竟「M-1943にピック・ブレードを追加したモノ」であると言えます。
↓M-1943と並べてみましょう。上は前回出たM-1943、下が今回登場のM-1951です。塗装の色調の違いがお分かりいただけると思います。また、M-1943はショベル・ブレードが角ばった五角形のホームベース型と言えるのに対し、M-1951は弾丸型と言いますか、角が丸められています。また、その趣旨が分からないのですが、M-1951のブレードの両隅には直径9mm程の孔が空けられました。何のためなのでしょうか?
↓ブレードの長さは全く同じです。上↑の画像では手前側のM-1951のブレードがM-1943よりも長く見えていますが、レンズの所為です。
M-1943では固定ナットが見えますが、M-1951では固定ナットがピック・ブレードに覆われて見えにくいですね。ピック・ブレードそのものが柄と色が同じなので溶け込んで見辛くくなっています。
ブレードとヒンジとはどちらも4つのリベットで結合されています。
↓柄を横から見ました。上で触れたピック・ブレードの位置関係がお分かりいただけます。M-1951の柄の末端には孔が穿ってあり、例えばフックに引っ掛けておける等、少し便利です。また、この画像では分かり辛いですが、柄の形状が、M-1943では太い部分・くびれている部分とも断面は円形なのに対して、M-1951ではくびれている部分は楕円形です。2つ上の画像ではどちらも同じ程度のくびれがありますが、本画像ではM-1951の横から見たくびれが小さいのがお分かりいただけますでしょうか?
↓再びM-1951を。この視点からは柄のくびれが大きいのが分かります。上の画像の角度からだとあまりくびれていないのがお分かりいただけると思います。
本個体はブレード先端に錆はありますが、それ程使い込まれてなかった様です。ブレードのOD塗装の剥げ具合が比較的少なく、柄の塗装もかなり残っています。
↓ショベル・ブレード裏側の拡大です。丸みを帯びた形状は、「イザとなれば白兵戦の武器になる」というのを忘れさせそうです。
↓ブレードの表側です。厚く頑丈なピック・ブレードがショベル・ブレードの反対側にセットされています。
↓ショベル・ブレード隅に施された刻印。
U.S.
H-W
1952
とあり、1952年H-W社製造であることが分かります。と言っておきながら、実はまだ「H-W」についてさっぱり分かっていません。
本個体はM-1951が世に出て間もない1952年製ですが、M-1951自体はその後ヴェトナム戦争後期の1969年に3つ折りの新型イントレンチング・ツールが採用されるまで同一スペックで製造・支給が続けられました。代表的な製造者としてはWWII時代から納入が続く「AMES」社が有名です。
↓ソケット・固定ナット・ワッシャー・ヒンジ部を横から見た図です。
↓まずは固定ナットを...、
↓普通のネジと同様回転して緩め…、
↓はい、緩めて…、
↓ピック・ブレードのみを起こして「片ツルハシ」として使うようにしてみましょうか。
↓この角度まで起こしてナットを…、
↓締めます。
↓はい、「片ツルハシ」になりました。
↓ナットを緩めてピック・ブレードを柄とに一直線になるようにしてナットを締めれば、これ何になったと言えますでしょうか?銛(モリ)?鎗(ヤリ)?ちょっと寸足らずですが銃剣術に使えるような...。
↓ショベル・ブレードも起こして、「ピック・マトック」になりました。
↓ショベル・ブレードのみ起こせば「鍬」になるのはM-1943と同様です。
↓ショベル・ブレードを伸ばして「ショベル・モード」です。
↓ヒンジ部分の拡大です。ショベル・ブレードのヒンジの外側にピック・ブレードのヒンジが被さる形になってます。
↓ピック・ブレードを拡大。先端には35度位で刃が付けられています。
↓反対側から。厚みは6~7mm程あり、朝鮮半島の高地凍土をも穿つのに十分そう?です。
↓M-1943イントレンチング・ショベル・キャリアに代わり、ヴェトナム戦争の勃発前に制式化されたいわゆるM1956装備(M1956 Individual Load-Carrying Equipment)の一構成要素としての、新しいキャリア「M-1956イントレンチング・ツール・キャリア」に収まった図です。
↓ピック・ブレードが付いていないM-1943イントレンチング・ショベルを収めるためのM-1943イントレンチング・ショベル・キャリアに、ピック・ブレードの付いたM-1951が収まるのか試しましたが、このように特に支障なく収まりました。若干パッツンパッツンな気もしないではないですが。
以上見て参りましたが、如何でしたでしょうか?
M-1943の後継・改良と併せ、旧式で重く嵩張る分解式のM-1910ピック・マトックとを統合して1951年に制式化され実際の支給・配備は1952年からとなった今回のM-1951ですが、実は既に1944年の終わり頃には需品部(QM)はM-1943にピックを追加するトライアルに着手しており、そうこうしているうちに大戦が終結してしまったのですが、その後研究が続けられてM-1951へと発展したのでした。
M-1943と同じく、あまり市場では人気がないのか出物は少ないですが、ある程度状態のいいモノが大体5,000円前後で入手可能です。ヴェトナム戦のモノは比較的見つけやすいです。今回の個体のように1950年代製のモノは見る機会が少なくなってきたと思います。
それでは今回はこの辺で失礼いたします。台風の襲来には十分気を付けましょう。さようなら。
台風21号が接近しつつあり、4日には雨風がとても強くなるとの予報が出ております当地大阪、今朝方は晴れて風もそれほど強くなく、時折ツクツクボウシの鳴き声が響き、至って平穏な晩夏を迎えております。定刻を3時間余り過ぎての投稿です。
さて今回採り上げますのは2回前にお送りしました記事「M-1943イントレンチング・ショベル(M-1943 Intrenching Shovel)」(←過去記事を別ウィンドウで開きます。今回の記事と並べてご覧頂くと相違点が良くお分かりいただけると思います。)の後継モデルとなります「M-1951イントレンチング・ツール(M-1951 Intrenching Tool)」です。土を掘るためのショベルに、固い地面を穿ち掘り起こすための「ピック・ブレード(ツルハシ)」を加えて、より一層塹壕を構築しやすく改良されました。また同時にこのM-1951イントレンチング・ツールは旧式のM-1910ピック・マトックの役割も引き継いで置換されることとなりました。
↓まずはキャリアーに収まっている図からご覧ください。
↓フラップを開けます。
↓上へ引き上げて、
↓はい、引き上げて…と、
↓抜き取りました。柄は木製でショベル・ブレード(匙部)は鋼製で、全体がOD色で塗装されているのはM-1943と同じです。OD色の色調はヘルメットの塗装等と同様WWII時のやや暗いODから、もっと明るいODへと変わりました。このM-1951は、畢竟「M-1943にピック・ブレードを追加したモノ」であると言えます。
↓M-1943と並べてみましょう。上は前回出たM-1943、下が今回登場のM-1951です。塗装の色調の違いがお分かりいただけると思います。また、M-1943はショベル・ブレードが角ばった五角形のホームベース型と言えるのに対し、M-1951は弾丸型と言いますか、角が丸められています。また、その趣旨が分からないのですが、M-1951のブレードの両隅には直径9mm程の孔が空けられました。何のためなのでしょうか?
↓ブレードの長さは全く同じです。上↑の画像では手前側のM-1951のブレードがM-1943よりも長く見えていますが、レンズの所為です。
M-1943では固定ナットが見えますが、M-1951では固定ナットがピック・ブレードに覆われて見えにくいですね。ピック・ブレードそのものが柄と色が同じなので溶け込んで見辛くくなっています。
ブレードとヒンジとはどちらも4つのリベットで結合されています。
↓柄を横から見ました。上で触れたピック・ブレードの位置関係がお分かりいただけます。M-1951の柄の末端には孔が穿ってあり、例えばフックに引っ掛けておける等、少し便利です。また、この画像では分かり辛いですが、柄の形状が、M-1943では太い部分・くびれている部分とも断面は円形なのに対して、M-1951ではくびれている部分は楕円形です。2つ上の画像ではどちらも同じ程度のくびれがありますが、本画像ではM-1951の横から見たくびれが小さいのがお分かりいただけますでしょうか?
↓再びM-1951を。この視点からは柄のくびれが大きいのが分かります。上の画像の角度からだとあまりくびれていないのがお分かりいただけると思います。
本個体はブレード先端に錆はありますが、それ程使い込まれてなかった様です。ブレードのOD塗装の剥げ具合が比較的少なく、柄の塗装もかなり残っています。
↓ショベル・ブレード裏側の拡大です。丸みを帯びた形状は、「イザとなれば白兵戦の武器になる」というのを忘れさせそうです。
↓ブレードの表側です。厚く頑丈なピック・ブレードがショベル・ブレードの反対側にセットされています。
↓ショベル・ブレード隅に施された刻印。
U.S.
H-W
1952
とあり、1952年H-W社製造であることが分かります。と言っておきながら、実はまだ「H-W」についてさっぱり分かっていません。
本個体はM-1951が世に出て間もない1952年製ですが、M-1951自体はその後ヴェトナム戦争後期の1969年に3つ折りの新型イントレンチング・ツールが採用されるまで同一スペックで製造・支給が続けられました。代表的な製造者としてはWWII時代から納入が続く「AMES」社が有名です。
↓ソケット・固定ナット・ワッシャー・ヒンジ部を横から見た図です。
↓まずは固定ナットを...、
↓普通のネジと同様回転して緩め…、
↓はい、緩めて…、
↓ピック・ブレードのみを起こして「片ツルハシ」として使うようにしてみましょうか。
↓この角度まで起こしてナットを…、
↓締めます。
↓はい、「片ツルハシ」になりました。
↓ナットを緩めてピック・ブレードを柄とに一直線になるようにしてナットを締めれば、これ何になったと言えますでしょうか?銛(モリ)?鎗(ヤリ)?ちょっと寸足らずですが銃剣術に使えるような...。
↓ショベル・ブレードも起こして、「ピック・マトック」になりました。
↓ショベル・ブレードのみ起こせば「鍬」になるのはM-1943と同様です。
↓ショベル・ブレードを伸ばして「ショベル・モード」です。
↓ヒンジ部分の拡大です。ショベル・ブレードのヒンジの外側にピック・ブレードのヒンジが被さる形になってます。
↓ピック・ブレードを拡大。先端には35度位で刃が付けられています。
↓反対側から。厚みは6~7mm程あり、朝鮮半島の高地凍土をも穿つのに十分そう?です。
↓M-1943イントレンチング・ショベル・キャリアに代わり、ヴェトナム戦争の勃発前に制式化されたいわゆるM1956装備(M1956 Individual Load-Carrying Equipment)の一構成要素としての、新しいキャリア「M-1956イントレンチング・ツール・キャリア」に収まった図です。
↓ピック・ブレードが付いていないM-1943イントレンチング・ショベルを収めるためのM-1943イントレンチング・ショベル・キャリアに、ピック・ブレードの付いたM-1951が収まるのか試しましたが、このように特に支障なく収まりました。若干パッツンパッツンな気もしないではないですが。
以上見て参りましたが、如何でしたでしょうか?
M-1943の後継・改良と併せ、旧式で重く嵩張る分解式のM-1910ピック・マトックとを統合して1951年に制式化され実際の支給・配備は1952年からとなった今回のM-1951ですが、実は既に1944年の終わり頃には需品部(QM)はM-1943にピックを追加するトライアルに着手しており、そうこうしているうちに大戦が終結してしまったのですが、その後研究が続けられてM-1951へと発展したのでした。
M-1943と同じく、あまり市場では人気がないのか出物は少ないですが、ある程度状態のいいモノが大体5,000円前後で入手可能です。ヴェトナム戦のモノは比較的見つけやすいです。今回の個体のように1950年代製のモノは見る機会が少なくなってきたと思います。
それでは今回はこの辺で失礼いたします。台風の襲来には十分気を付けましょう。さようなら。
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