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2018年07月08日

M-1910 カートリッジ・ベルト(M-1910 Dismounted Cal..30 Cartridge Belt)

みなさん、こんにちは。
当地大阪で去る6月18日朝に最大震度6弱を観測する地震がありましたのはみなさんもうご存知の通りです。
不幸なことに震央近くでは防ぎ得たかもしれないブロック塀の崩壊で小学生が亡くなり、また他にも4名の方が亡くなり、残念です。
大阪で観測が始まって以来最大震度の地震だということですが、ガス・水道の供給が一部で止まったほかは、阪神淡路大震災の時の電車や自動車道の高架崩壊などといった大きなインフラ破壊は無かったのは幸いでした。「でした。」と言い切れていてよかったと後々思えるであろうことを願って止みません。
と、書いておりますところに今度は九州から近畿地方にかけての(沖縄や北海道でも台風に伴う大雨がありましたが)猛烈極まる雨で、鉄道は運休、道路は寸断され、また土砂崩れ・河川の氾濫で死者・行方不明者が出ています。当方の近くでも自治体から避難指示が出たり、「えらい難儀」な状態です。

さて今回お送りするモノは、前々々回お送りした「M-1923 カートリッジ・ベルト(M-1923 Dismounted Cal..30 Cartridge Belt)」の続きのような感じになります「M-1910 カートリッジ・ベルト(M-1910 Dismounted Cal..30 Cartridge Belt)」です。

↓上は参考としてのM-1923、下が今回見ていくM-1910です。外観はほぼ同じように見えますが、細かく見ますと違いが沢山あります。

なお、最初にお断りしておかないといけませんが、一口に「M-1910」と申しましても制式化当初時からWWⅠ(と言うか1917年のアメリカ参戦時)を経て、次の「M-1917」が開発されるまでの間に、いろんな特徴を持つバリエーションが数多く認められますので注意が必要です。
追い追いまた申しますが、「バリエーション分け」の大まかな着目点としては
①フラップの留め具、
②カートリッジ保持ストラップの有無、
③ハトメの形状                の3つがあります。
①のフラップの留め具は当初が「リム無しイーグル・スナップ・ボタン」、次いで1914年頃から「リム有りイーグル・スナップ・ボタン」、最終形の1917年3月頃からの「Lift-the-Dot」と遷移していきます。②のカートリッジ保持ストラップの有無ですが、WWⅠ中アメリカが1917年4月に参戦した後、同年後半には省略されるようになりました。③のハトメの形状ですが、これは左側ポケット部に限っての特徴で、左側ポケット部下辺のダブル・フック・ワイヤ装備を吊り下げるためのハトメ(グロメット)の形状が当初は「円型」ではなくて「横長円型」となっていて、これもWWⅠ中アメリカ参戦時の1917年中には廃止され、右側ポケット部と同様「円型」ハトメへと改められました。
で、今回ご覧頂く「M-1910」は、「『Lift-the-Dot留め』・『カート保持ストラップ有り』・『横長円形ハトメ』」バージョンということになります。
M-1910の次モデルであるM-1917は、ポケット下部にフリルの無い点以外はM-1910の最終形態(Lift-the-Dot、カート保持ストラップ無し、円型ハトメ)と同じ特徴を持っています。

↓裏側です。こちら側は左右のポケットを繋ぐ連結ベルトの「繋ぎ方」が大きく変化している様子が一目で分かります。連結ベルトの上辺のハトメ穴は、ハバーサックのフックを通すためのモノですが、一個で十分なのにM-1910の方に3つもある理由がつい最近分かりました。ハバーサックではなくM1907X型サスペンダーに吊るして使用する際にこの3つの穴のうち両端の2つのハトメ穴にサスペンダーの金具を引っ掛けるのです。


↓こうすると表裏面の違いが一目で分かりますね。細かく差異を見ていくことにしましょう。


↓M-1923のポケット部は、「台地」のウェブに別の「ポケット用ウェブ」を重ねてボックス型プリーツを作りながらポケットを作り出して縫製して出来ておりますが…、


↓このM-1910では「台地」と「ポケット」は2枚のウェブ生地の縫製ではなく、一挙に織り上げて出来ています。この個体の製造者Russell社と、少し製法が異なりますが、Mills社も同様の「一挙織り上げ」製法技術を持っていました。M-1910はこの2社のみが製造しました。このように細かいフリルを寄せつつ…


↓この通り表と裏とが1つの織物として出来上がっています。


↓M-1923ではこのように2枚のウェブ生地合わせです。WWⅠ末期に開発されたM-1917も同様です。


↓左側のポケット部です。フラップの留め具はLift-the-Dotです。カートリッジ保持ストラップがあり、下辺ハトメは横長円型となっています。先ほど触れました時期による特徴と照らすと大体1917年前半頃の製造かなと察しがつきます。


↓フロント・バックルに一番近いフラップの裏面のスタンプ。「楕円の中にRUSSELL」のRussell社の商標と、その上下に「JUNE」「1917」。1917年6月製造です。上で予想した製造時期と合致しました。


↓こちらはフロント・バックルから一番遠い方のポケットのフラップ裏面のスタンプです。「5」とありますが、何の意味か?多分単なるロット表示か何かだと思いますが分かりません。


↓左側のポケットの下辺ハトメですが、このように「横長円」になってます。同時期の衛生兵用のベルト(Belt, Medical Corpsman's, M-1910)の装備ぶら下げ用ハトメは全部が横長円でして、なるべくたくさんぶら下げられるようにと考えられたのでしたが、それに倣った...としても何故左側のポケットだけなのかという疑問は消えません。


↓もう少し拡大してみました。一つのハトメ穴にダブル・フック・ワイヤ・ハンガーを2本通すことが出来ますから、ぶら下げられる装備品を単純に増やせることに繋がりますが、左側だけにそんなに沢山装備をぶら下げなければならなかったような事は無いような...。しかもダブル・フック・ワイヤ・ハンガーを一つの横長円ハトメ穴に2つ通したとしても、装備品自体の横幅がありますから互いに干渉してしまって使い易いようには思えません。グチャグチャになりそうです。


↓右側のポケット全景です。こちら側の下辺のハトメ穴は見慣れた「円型」です。


↓こちら側もフロント・バックルに一番近いフラップの裏面に「楕円の中にRUSSELL」のRussell社の商標スタンプと、その上下に「JUNE」「1917」のスタンプがあります。Lift-the-Dotの右下の部分にステイプラー(いわゆるホッチキス)の針が留まって錆びついています。


↓フロント・バックルから一番遠い方のポケットのフラップ裏面のスタンプです。「57」とありまして、やはり多分ロット表示の類かと思います。


↓フラップ全てを開いた全景です。


↓右側ポケット部の一番後ろの下辺ハトメ穴のグロメットが脱落した跡です。この頃のハトメ穴は上辺のモノも下辺のモノも同じモノが用いられ、特に下辺ハトメ穴は酷使されるために、このように脱落している例が上辺ハトメ穴の場合より多いです。M-1923では容易に脱落しないように大型化されます。あと、この画像で触れておきますが、左右ポケットの連結ベルトを通すバックルがポケット部へ縫い付けられている場所ですが、のちのM-1910の最終形態やM-1923ではポケット部背面ですが、本個体以前のモノはこの画像のようにポケット部表側後端に貼り付ける形となっています。


↓裏側から見ました。注意して見ないとここにハトメ穴があったことを見落としてしまいます。


↓左右のポケットを繋ぐ連結ベルトとその連結具合が分かる画像です。画像の左に写っているバックルを通ってきた連結ベルトの先端に2つある鉤フックを、ポケット部裏側に2列で並ぶ小さいハトメ穴の何処に引っ掛けて繋いだらベルト全体が丁度良い長さになるか見当をつけてまず引っ掛けて、バックルとの間のタワミ・引きつれが無いように調整します。


↓ベルト借用者の記名「P6805」。「認識番号○○○・・・6805で、Pで始まる名前の人のモノ」の表示です。


↓連結ベルトのここにも。


↓右側ポケット部のこの部分にも。


↓左がM-1910、右はM-1923です。両方ともカートリッジ保持ストラップを有していますが、その長さがかなり違います。


↓用法に従ってストラップの前後に1つづつカートを収納してスナップ・ボタンを留めてみました。外見は両者とも差異がなく同じように見えます。


↓スナップ・ボタンを外しても見かけは同じですが…


↓左のM-1910は、ストラップを上に引き上げると手前のカート(人体側から見れば外側)が上へせり上がります。右のM-1923はストラップを引き上げることは出来ません。カートはそのままです。


↓外側のカートを抜き取りました。


↓M-1910もM-1923も、両方ともポケット1つにカート・クリップが2個収納できるようになっています。仮にこのストラップが無いと、フラップを開いてカート・クリップを1つ取り出そうとした時に、もう1つが不意に飛び出したりしてしまう恐れがあります。それを防止するため、フラップが開いた状態であっても、前後に収納したカート・クリップのうち前側(人体側から見れば外側)のカート・クリップを固定しておけるようにカートリッジ保持ストラップが備えられたのです。その目的のほか、M-1910の方の長いストラップには、もう一つ目的があったのです。↓ポケットを横から見た断面模式図で説明します。

模式図の右方向が人体側です。茶色の線はポケット、オレンジの線はカート保持ストラップです。
左のM-1910のカートリッジ保持ストラップはポケットの下から1インチほど上の部分(図の●印)が付け根で、そのストラップを上から踏ん付けるようにして前側のカート・クリップが収められ、ストラップは下から上へ、そして前へと廻ってポケット外側でスナップ・ボタン留めされます。ストラップの後ろ側にもう1つカート・クリップを収納して完了です(左図)。フラップを開けただけの状態では前側のカート・クリップはしっかり保持・固定されます。つまり実用上フラップを開けたら、まず後ろ側のカートから使用し、次にスナップ・ボタンを外してストラップを上へ引っ張り上げると、赤矢印の分だけ前側のカート・クリップがせり上げられ、容易に摘み取ることが出来ます(中図)。これが先程申し上げました「もう一つの目的」です。一方右図のM-1923では、カートリッジ保持ストラップの付け根がポケット底部の●印部分ですから引っ張り上げることは出来ません。単に前側のカート・クリップを保持・固定するためだけの役割しかありません。(注)M-1910では前側のカート・クリップは弾頭を上にして収める、とする資料もあります。

↓M-1910のポケット内部です。少し見難いですがストラップの付け根がポケットのLift-the-dotのオス(スタッド)の下1cm程のところにあります。


↓M-1923では底の縫い合わせ部分に付け根があります。


↓ストラップのメス・スナップ・ボタンの内側です。「CARR'S PAT. '13」と、UNITED CARR社の1913年特許表示があります。新型のスナップ・ボタンです。


↓ポケット側のオス・スナップ・ボタンの裏側です。緩い凸ドーム型です。


↓最後に参考資料を一つ。RUSSELL社と別のもう一つのM-1910製造者であったMILLS社の製品カタログの1ページです。一番下にM-1910(フラップの留め具が「イーグル・スナップ・ボタン(リムの有無は分かりません)」)が掲載されています。



今回のネタM-1910は私のメインのコレクションからは若干外れていますが、M-1923と並んでM-1917がWWⅡで使用されていて、そのまた前世代のM-1910ですから興味はありましたところに、これが比較的求めやすい値段で売りに出されていまして、「WWⅠ軍装も最低限一式揃えてみようかな」という浮気心が湧いてきてしまい、思い切って買ってしまいました。その後WWⅠ軍装最低限揃え作戦は頓挫してしまい今に至ります。
M-1917はWWⅡでも多用されましたが、さすがにM-1910はWWⅡの戦時写真では見たことがまだありません。WWⅡリエナクト用には向いていないかもしれません。

特徴によるバリエーションにより大きく価格は変わりますし、程度にも依りますが、中程度のモノならリム無しスナップ・ボタンのM-1910ならばUS$170辺り、リム有りスナップ・ボタンのM-1910なら若干それより廉価で、Lift-he-DotならUS$120程で十分入手可能です。


それではまた次回お会いしましょう。さようなら。



  

Posted by Sgt. Saunders at 12:00Comments(0)Ammo belts, Cartridge belts

2018年05月13日

M-1923 カートリッジ・ベルト(M-1923 Dismounted Cal..30 Cartridge Belt)

皆さんこんにちは。
ゴールデンウィークの後半4連休中は風邪を患いまして、連休が明けても3日間はまるでインフルのように全身が重ダルく頭痛も併発した状態でした。昨年末の重症肉離れといい、今般の風邪連休といい、世間がお休みだーと言っている最中家の中で静かに過ごさねばならない事が続いております。厄払いが必要でしょうか。
当地大阪は昨日はよいお天気でしたが今朝方からは雨です。庭の花壇の手入れ・草抜きをサボる理由が出来てしまいました。

さて、今回お届けいたしますのは、私のコレクションの中心をなすWWⅡUS陸軍一般兵の基本中の基本装備たる「Belt, Cartridge, Cal..30, M-1923, Dismounted」、いわゆるM-1923カートリッジ・ベルトについて少しだけ触れたいと思います。そういえばまだ一度もご紹介したことが無いことに気付きました。今更ながら自分でも驚いております。

↓WWⅡ時にライフルで武装する一般歩兵が用いた弾薬ベルトである「Belt, Cartridge, Cal..30, M-1923, Dismounted」、直訳すれば「徒歩部隊用M-1923 30口径カートリッジ・ベルト」となりましょうが、一般的には「M-1923カートリッジ・ベルト」と呼ばれることが多いです。もっと単純に「ガーランド・ベルト」などと呼ばれることもあります。M1ガーランド小銃だけでなく、先代のM1903スプリングフィールド小銃からの装備品なのにです。更に言えばM1917エンフィールド小銃手もこのベルトを使っていました。左右片側に5つずつ、全部で10個のポケットがあります。


↓裏側です。左右の5ポケット部とそれらを連結するベルトの3ピース構造になっています。ポケット部の上辺にはサスペンダーやハヴァーサック等の連結クリップを通すハトメ穴(grommet)がポケットの間隔に合わせて設えられています。
連結ベルトの上辺の真ん中にも一つだけハトメ穴がありますが、これはM-1910ハヴァーサックの背面に1本だけあるベルト連結用ストラップのスナップ・フックに吊るすためのモノです。
WWⅡにおいてもWWⅠ時代のM-1910ハヴァーサックを使っているケースが多くありましたので、ちゃんと連結できるようにとWWⅡ時製造分のカートリッジ・ベルトにも設えられていました。背面側のベルト連結用ストラップを2本持つM-1923ハヴァーサックであればこのハトメを連結に使う必要はありません。
下辺にも水筒やファースト・エイド・パウチなどをぶら下げるための少し大きめのハトメ穴が、やはりポケットの間隔で設えられています。なお下辺のハトメ穴は、上辺のハトメ穴と違い、バックルに一番近い箇所にはありません。


↓毎度おなじみ、QM 3-1 Quartermaster Supply Catalog (May 1946)での掲載ページです。ストックナンバーは74-B-160。

このカタログの画像でも分かりますが、装着した時に右側に来る方の、バックルに一番近いポケット下部に「U.S.」のスタンプが押されています。海兵隊用のモノにはこのスタンプは無く、代わりに装着時に左側になる方のポケット部内側の、バックルに一番近い部分に「U.S.M.C.」とスタンプが押されています。

↓この個体では、上のカタログ画像のような「U.S.」スタンプがほとんど残っていません。まるで最初から無かったかのようです。上で触れたような、左側になる方のポケット部内側(この画像では右下のバックルのすぐ左にあるスペース)に「U.S.M.C.」スタンプがある訳でもなく、海兵隊用のものでもないようです。


↓装着した時に右側に来る方の内側の、バックルに近いこの部分にメーカー名と製造年のスタンプがあるのが一般的です。スタンプが薄くなって見辛いですね。


↓スタンプが見やすいようにストロボを焚いて写してみました。少しは見やすくなったでしょうか。先頭部分が鉄錆で少し覆われていますが、おそらくBURLINGTON MILLS Inc.〈改行〉1943 とのスタンプだと思われます。


↓左右のポケットを繋つなぐ連結ベルトとの連結の仕組みがお分かりいただけると思います。連結ベルトを着用者のウェスト周りに合わせて長さを調節してバックルで固定します。
長さを調節して余分なベルトはブラブラしないよう、左側のポケット部でお分かりのようにポケット裏側のループに通して収めておきます。



↓画像の右のバックルに連結ベルトを通して長さを調節します。ポケット部左側末端に設えられた隙間の空いた縦長リングにも連結ベルトを通してカートリッジの重量を支えさせます。



↓フロント・バックルと先ほど見た長さ調節バックルと隙間空き縦長リングは黒染めの亜鉛合金製です。金具については製造時期によって亜鉛合金であったり真鍮であったり、鋼であったりとバリエーションがあるのは他の装備品の例に於けると同じです。


↓フロント・バックルは黒染めの亜鉛合金製ですが、ハトメ穴とLift-the-Dotは黒染めの真鍮製です。


↓フラップを開けました。あれ? 何これ?


↓ナニコレ?とお思いの方おられますか?


↓ストラップはポケットの底から伸びてきています。


↓これは元々M1903スプリングフィールド小銃が米陸軍の制式小銃であった時代にこのM-1923カートリッジ・ベルトが開発されたものですから、その5発クリップを各ポケットに2つ収めるために、このストラップがあります。画像手前がスプリングフィールド用の5発クリップをこのストラップの前後に入れて収めている状態です。ポケットのLift-the-Dotの付いたフラップを開けた状態では、このストラップで押さえられていない奥側のクリップからまず初めに取り出すことが出来、手前側のクリップはストラップで押さえられているため、不意に飛び出す心配がありません。


↓ストラップのスナップを外すと手前側のクリップを取り出せます。一つ向こうのポケットにはガーランド用の8発クリップを収めています。


↓ガーランド用クリップはポケットに1つしか入りません。制式小銃がボルト手動式のスプリングフィールドからオートマチックのガーランドに替わって火力が向上したのに、カートリッジ・ベルトはそのままでしたから、携行弾数が100発(2x5x10ポケ)から80(8x10ポケ)発に減ったという皮肉なことになってしまいました。

スプリングフィールド小銃はガーランド小銃が制式化された後WWⅡ突入後も使用され続けられたため、このストラップは1943年頃に装備の色目がod #3(カーキ)からod #7(いわゆるOD色)に替わった後もしばらくは付けられ続けました。最初からストラップ無しで製造されたガーランド専用ともいうべきM-1923カートリッジ・ベルトも当然あります。ストック・ナンバーはそのままで、スペック・ナンバーが変更されています。

↓ガーランド用クリップを収める場合はストラップの長さは足りず、スナップに留めることは出来ません。元々ガーランド用のクリップを固定するように出来ていないからです。ですから兵士の中には「こんなモン邪魔じゃ」と切り去ってしまう者もありました。


↓ストラップのスナップボタンのメス部品の内部の拡大。おなじみRAU FASTENER社の「RAU FASTN. CO. PROV.」刻印が見えます。「PROV.」というのはRAU社の所在地・ロードアイランド州のプロヴィデンスの意。


↓オス部品の裏側の拡大です。こちらにはスペースが多いのでフルに「RAU FASTENER CO. PROV. R.I.」と刻印されています。


↓別の会社製のオス部品です。UNITED CARR社の刻印です。因みにUNITED CARR社は「Dot」というブランドでLift-the-Dotを開発したLift-the-Dotの生みの親です。



以上縷々見て参りました。カートリッジ固定ストラップについては、実はまだもっと触れたい部分があるのですが(もっと長~いストラップが付いているカートリッジ・ベルト、「M-1910」の話など)、またの機会に致します(←後日記事にしました。こちら→「M-1910 カートリッジ・ベルト(M-1910 Dismounted Cal..30 Cartridge Belt)」をご覧下さい)。


私のコレクション遍歴の発端・中心はWWⅡアメリカ陸軍の一般歩兵装備にあるのですが、言わばその中でも最も基本的な位置にあるであろうこのベルトの入手は、実はコレクション開始からは結構時間が経ってからでした。
と申しますのも、コレクションを始めた頃は、まだM1ガーランド銃はエアーガンであるとモデルガンであるとを問わず遊戯銃としてモデル化されておりませんで、ちょうどその頃M1カービンがマルシンからカート式エアガンとしてモデル化されまして、軍装コレクションとほぼ同時にサバゲにも興味が湧いていたものですから、まずはM1カービンの入手が先決だ!とM1カービンを入手したのがその最大の理由です。すなわちM1カービンのマガジンはM1カービン用のマガジン・パウチに収めるのが当たり前ですから、M1カービンで「武装」していた私にはM1923カートリッジ・ベルトは必要ではなかったからです。

ではM1ガーランドやM1903スプリングフィールドの遊戯銃を手にしてからの入手かと言えばそうではなく、やはり基本中の基本たる本ベルトは渇望しておりまして、しかしながらカーキのM-1923はお値段が高かったので、まずはOD色の、ストラップ無しのガーランド専用M-1923を今は亡き沖縄アメリカ屋さんの通販で手に入れたのが最初でした。当時「良品」で2,000円という、今では破格の値段でした。その後しばらくしたのち、これもまた今は亡き渋谷のアルバンで1万ちょっと位で出ていたカーキ色版を手に入れました。今回の画像のモノがそれです。当時アルバンが「軍装資料」として刊行しておられたカタログ的な小冊子に掲載されていた写真の被写体の現品が送られてきたものですから少し驚きました。もし今でも当時のアルバンの米軍資料冊子をお持ちの方がおられましたら見比べて見て下さい。鉄錆の付いた形やウェブのホツレ具合が一致するものを見つけられると思います。

今日オリジナル(実物)の流通量はまだ比較的多いように思われます。価格は年々少しずつ上昇しているようですが、入手機会はまだ多いのではないかという印象を持ってます。
リエナクト用に多くの業者が本ベルトのリプロを製造販売していますが、中でも近年特にその品質が突出していると思いますのがAT THE FRONTさんのモノで、可能な限り当時のスペックを追求しておられます。その執着度合いは同社のHPを見ればヒシヒシと伝わって来ます。ウェザリングすればなかなかオリジナルと見分けるのは困難なレベルにまで達しておられます。長年オリジナルに接していれば見分けは付きますが、あまりオリジナルに接したことのない方には見分けは難しいかもしれません。AT THE FRONTさんはハッキリと勝手にでっち上げたメーカー名をスタンプされておられるので好感が持てます。スタンプのインクの乗りも、知ってか知らずか、オリジナルとは異なる『タッチ』ですし。



それでは今回はこの辺で失礼いたします。









  

Posted by Sgt. Saunders at 12:00Comments(0)Ammo belts, Cartridge belts

2015年06月28日

WWⅠ BAR用マガジン・ベルト(BAR Magazine Belt)

こんにちは。
安保関連法案についての国会での論戦のレベルや百田尚樹氏にはゲンナリさせられます。

さて、前回WWⅡ直前に制式化されたM-1937 BAR用マガジン・ベルト(Belt, Magazine for B A R, M-1937)をお届けしましたが、今回はそれ以前WWⅠ終了直前に制式化されたBAR用マガジン・ベルトについて少し触れてみたいと思います。


①はBAR 射手用ベルト(Automatic Rifleman's Belt または Gunner's Belt)、
②はWWⅡ時に①を「M-1937」型に改造したマガジン・ベルト、
③もWWⅠ時のBAR 補助者用ベルト(Second Assistant Automatic Rifleman's Belt)をWWⅡ時に「M-1937」型に改造したマガジン・ベルトです。


裏面です。

以下、本記事では「人体に装着した時の『右』『左』」に則って記述します。画像上の右左ではありませんのでご注意ください。
また、「BAR(Browning Automatic Rifle)」という名称は、WWⅠ時は「Browning Machine Rifle」もしくは「Light Browning」と呼ばれていたそうです。


①を人体に装着したときの状態にしました。BARで「suppressive fire(制圧射撃)」を行う際に、肩へスリングを掛けて両腕で保持しますが、画像に写っている右腰側の黒い鋼製カップにBARのストックを入れて、BARの荷重を腰でも支えようというモノです。しかしまぁ、このベルトもサスペンダーで肩からぶら下げるのですから、結局はやっぱり肩に荷重が及びますが、ベルトと腰が接する部分で腰骨にも荷重が分散されますので、かなり楽にはなります。
なお、この鋼製カップのアイディアは、BARが採用される前のM1918 もしくは M1915 Chauchat Automatic Rifle(ショウシャー自動小銃)用の射手用ベルトからの遺産です。


↑黒いのが鋼製カップ。BAR射手はサイド・アームとしてM1911自動拳銃(ガバメント)を装備しますので、その予備マガジン入れがこの様にBARマガジン・ベルトにあらかじめ組み込まれていました。形状はM1918 Pistol Magazine Pocketがそのままくっついたようになってます。(拙稿「ガバメント用マガジン・ポケット(パウチ)あれこれ(Pistol Magazine Pocket)」の③をご覧ください。)


↑鋼製カップは厚い革を土台にして設えられています。ガバメント予備マガジンポケット部のフラップを開けました。フロント・バックルの丈の長さにご注意ください。ガバメントのマガジンの長さよりも長いです。


↑左右のポケットを連結するベルト。左右ポケット後端のバックルを使ってマガジン・ベルト全体の長さを装着者の体格に合うよう調節し、余った部分は左右のポケットの背面のハトメ穴にフックで引っ掛けてブラブラしないようにします。右側ポケットはハトメ穴が1個で、左側ポケットはハトメ穴は上下2個。なんでこうなっているのか、分かりません。


↑連結ベルトの拡大。ベルト上辺の3つのハトメ穴は、M1910 Haversack(背嚢)の背面に1本ある各種ベルト連結用ストラップの先端のフックと連結するためのモノなのですが、なぜ3つもあるのか?1個で十分な筈なんですが。と、考え、いろいろ調べましたら、3つのうち両端の2つはM1907サスペンダーを用いる時用のためで、真ん中の1つがM1910 Haversack用のモノだという事です。後継のM1937 BAR用マガジン・ベルトでは、もうその頃にはM1907サスペンダーはさすがに使われていないので、でもまだM1910 Haversackは依然として使われていたので、1個になっています(前回記事をご参照ください)。四角のメーカー・スタンプ。「R. H. LONG」社 1918年6月製。


↑左側ポケット裏面上部。「LONG 6-18」の表記(ピンボケで済みません)。


↑右側ポケット裏面上部。上と同じく「LONG 6-18」の表記。


↑少し引いて見ました。ガバメント・マガジン・ポケットの縫製と、鋼製カップ部の上下のリベット留め・革の縫製が分かります。


↑さて、今見てきたBAR 射手用ベルト(①)と、それを「M-1937」型に改造して作られたマガジン・ベルト②との対比です。右ポケットの鋼製カップとガバメント・マガジン・ポケットを取り外してBAR用のマガジン・ポケットを縫い付けてあります。また、①で見た臍の位置で合わせる本体のフロント・バックルも、丈の長過ぎるのを嫌ってM-1937 BARマガジン・ベルトと同じサイズのバックルに換装されています。但し位置が変わりました。


裏側を見てみましょう。↑革の縫製とリベット(緑色)は②↓では取り除かれ、で示したように跡が残っています。

↓上部のリベットの取り外された跡もこの様に残っています。




↑上で見た右側ポケットでは触れませんでしたが、この左側ポケットの裏面とも同様、左右ポケット部を繋ぐ連結ベルトのためのバックルは取り除かれ(画像で親指と人差し指の間)、代わりにM1937 BARベルトと同じスタイルの「土台ベルト」が新たに設えられ、バックルがその後端に縫い付けられています。また、さきほど触れた本体の丈の長いフロント・バックルもポケット部前端から外されて、M-1937 BARマガジン・ベルトと同じサイズのバックルが「土台ベルト」の前端に付けられました。
「AVERY 1942」のスタンプがあります。AVERY社で1942年に改修されたということです。
↓元々はLONG社の1918年5月製であることが分かります。


↓もう一度この画像でご説明します。①の左右連結ベルト・バックルは(人差し指の先)、②では取り外され(親指の先の解れている部分)、「土台ベルト」に移植されています。



↑②では①のようにポケット部背面のハトメ穴を使わずに「土台ベルト」のループに通して収められるので先端のフックは不要で邪魔なので、このように削り落されています。


↑左側も同様に落とされています。

続いて③のベルトについて。もう一度冒頭の画像をご覧下さい。↓

③は、BAR射手に対して弾薬を補給し空マガジンを回収する「補助者」が装備するベルト、BAR 補助者用ベルト(Second Assistant Automatic Rifleman's Belt)が、「M-1937」型に改修されたモノです。元々はこのベルト、下の画像のように、BAR用のマガジン・ポケットが左右に2つずつ計4つ、自身が装備する小銃(M1903小銃(スプリングフィールド)もしくはM1907小銃(エンフィールド))用の弾薬クリップ・ポケットが臍の両側に2つずつ計4つ配されています。(eBayより画像引用)


↓③の右側ポケットの裏側です。「旧縫製跡」は上の画像と照らしてお分かり頂けると思いますが、小銃用弾薬クリップ・ポケットの縫製跡です。このポケットを取り除いてBARマガジン用のポケットを新たに縫い付けた跡が「新縫製」です。


↓表側です。元々の小銃用弾薬クリップ・ポケットの臍側の「縫製位置(指示)マーク」が見えます。

小銃用クリップ・ポケットが外され、手で持っているBARマガジン・ポケットが付けられました。また、②と同様の方法で丈の長いフロント・バックルが短いモノに換装されています。

↓同じく脇腹側の「縫製位置(指示)マーク」です。


↓ポケットの中にも「縫製位置(指示)マーク」が見えます。


↓左右のポケットの連結は、②で見たのと同じ要領で、元々の連結ベルトのポケット裏面のハトメ穴差し込みフックを削り落とした上で、「M-1937」型に改修されています。

↓左側も同様。

射手用ベルトの連結ベルトは①で見ましたように右側はフック1つハトメ穴1つで、左側は各2つずつなのに、この補助者用ベルトのそれはどちら側も2つずつになっています。どんな理由によるものなのでしょうか?

↓連結ベルトのスタンプ。「P.B.& CO.(「PLANT BROTHERS & CO)」、「JULY 1918」とあります。


↓左側のポケットもBAR 補助者用ベルトが「M-1937」型に改修されたモノかというと、本個体では違っています。画像のスタンプと、BARマガジン・ポケットの縫製のみしか見えないことからお分かりのように、こちらの左側ポケットは①のBAR 射手用ベルトの左側部分が連結ベルト部分のみ改修されたモノです。「L.C.C.& CO.」「1918年9月製」。


以上拙い説明でお分かりにくかったかもしれませんが、WWⅠ時以降のBARベルトと、その後に施された「M-1937」型への改修についてお送りしました。改修はOQMG(Office of The Quartermaster General)により組織的に行われたもので、決して部隊レベルなどでの改修ではありません。


それでは、また・・・。

↓次回予告画像です。

  

2015年06月14日

M1937 BAR用マガジン・ベルト(BELT, MAGAZINE FOR B A R, M-1937)

こんにちは。
少し前の記事でERDL迷彩のブーニー・ハットを採り上げました際に「そういえば衣服関連ネタがまだ無い」ということに気づいたと記しました。

私の蒐集対象のメインはWWⅡ米陸軍一般歩兵ですので、例えばいわゆるM1941フィールド・ジャケット(Jacket, Field, od)とかHBTジャケット(Jacket, Herringbone Twill)なんかがネタとして登場するのが「普通」なのかもしれません。
では、なぜそうなっていないのか? それは多分それらのモノが「メジャー過ぎて平凡な存在」になっているからではないかと思います。しかも今挙げたような、一般歩兵が一般的に広く使っていたジャケット類やトラウザース類・ヘルメットなどのヘッドギア等なんかは、もう本当に広くいろんなかたがたによって紹介されていますので、私なんかが今さらしたり顔で蘊蓄を傾けてダラダラ述べることもないという思いもあります。だからと言ってそれらのメジャーなアイテムに今後全く触れないという積もりではありません。気が向いたら、まさに徒然、ネタに取り上げることもあろうかと思います。

なにぶん当ブログは体系的な百科事典的なモノを目指している訳ではなく、蒐(あつ)めて来たモノについて多少は蘊蓄も含ませつつも、好きなように書き連ねさせて頂くという姿勢でやっておりますので、「コレをちょっと皆さんに見て頂こう」とか、特に思い入れのあるモノをふと思い出して「ちょっと聞いて頂こう」という気が起こって、ネタが決定されます。あとは他のかたのブログやHPなどを見た際に「あ、次のネタはこれにしよう」とインスパイアされることもあります。つまり、何がネタになるかは全くの気まぐれです。

前置きが長くなりまして申しわけありません。
今回のネタは、やっぱり衣服系ではなく、「装備品系」です。
古くはTV映画「コンバット!」のWilliam G. Kirby(カービー)一等兵が担い、映画「saving private ryan」ではReiben(ライベン)一等兵が担っていたブローニング・オートマチック・ライフル(B.A.R.(Browning Automatic Rifle))用の20連マガジンを収めるマガジン・ベルト、M1937 BARマガジン・ベルト(Belt, Magazine for BAR, M-1937)です。ただ、BARはWWⅡに初めて採用されたのではなくWWⅠ中に採用されたものですから、WWⅠ時中に今回のM-1937の前身たるマガジン・ベルトが既に採用されていることにご注意ください。追って別途ご紹介・ご説明すると思います。


↑本個体はODシェード#3の、いわゆるカーキ色です。とは言え、良く見ると分かりますが、画像で右から2、3つ目のポケットのフラップの色目が他とは違い、ODシェード#3以前の、WW1時の「カーキ」もしくは「タン」、シェード#9に近いです。同じ製造者でも若干の違いが出ている典型例です。


↑拡大。これで良く分かります。


↑「U.S.」スタンプは装着した時に右側に来る方の一番臍寄りのポケットのフラップに施されています。ガーランド用のM-1923カートリッジ・ベルトでも「U.S.」スタンプは、フラップではなくポケットの部分にですが、やはり臍の右側です。M-1936ピストル・オア・リボルバー・ベルトでは「U.S.」は臍の左側ですが、何故でしょうか?


↑裏側です。左右のポケットは連結バックルを介して連結ベルトで繋がれています。連結ベルトの上部に一つだけあるハトメは、M-1910ハヴァーサックの背面に1本だけあるベルト連結用ストラップのフックを通すためのモノです。WWⅡでもWWⅠ時代のM-1910ハヴァーサックを使っているケースも多くありましたので、ちゃんと連結できるようにと設えられていました。ベルト連結用ストラップを2本持つM-1923ハヴァーサックであればこのハトメを連結に使うことはありません。


↑右ポケット部の裏面のスタンプ。製造者はBOYT社。1942年製です。


↑左ポケットの裏にも同じスタンプ。


↑左右のポケットは連結ベルトを左右のポケットの連結バックルを通すことにより連結されていますが、その連結バックルはポケットに直接縫い付けられているのではなく、このようにポケットの上辺に縫い付けられた「土台ベルト」とでも言うべきウェブ・ベルトに縫い付けられています。


↑ポケットを下から。各ポケットの底には水抜き用のハトメ穴。ポケットの下にはダブル・フック・ワイヤー連結用のやや大きめのハトメ。等間隔に6つではなく、ダブル・フック・ワイヤー連結が3組詰まった配列で設えられています。


↑各ポケットにはBAR用20連マガジンが2個づつ収納出来ます。因みに画像のマガジンは手前のモノが電動ガンBARのもの。奥が実物のBAR用マガジンです。かなりパーカライズ処理膜が剥げていますが…。


↑ポケットの内側。


↑装着バックルを留めたの図。

ガーランド小銃(M1ライフル)を持つ一般歩兵は、30-06弾が8発1セットになったエン・ブロック・クリップを10個、合計80発をM-1923カートリッジ・ベルトに収めています。一方今回のBAR射手の場合は30-06弾が20発入ったマガジンを、このM-1937マガジン・ベルトのポケット1つあたり2個づつ合計12個、弾数にして20発×2本×6ポケット=240発を携行していたことになります。BAR射手の腰にはガーランド小銃(M1ライフル)装備者の3倍以上の重みが掛かっていたのですね。腰だけではとても支えきれません。X型サスペンダー必須ですね。ただBAR用のお手入れグッズ・ボックスをこの6つのポケットのうちの1つに入れて携行するようマニュアルで定められていたので、公式には5ポケ×2個でマガジン10個、弾数にして200発が本マガジン・ベルトに収める弾数になります。

以上M-1937 BARマガジン・ベルトを見て参りました。WWⅡ後も朝鮮戦争はもちろんヴェトナム戦争時にも使われました。ヴェトナム戦争では、M16ライフル用の20連マガジンが一つのポケットに3本入るので、ベルト全体で合計360発もの弾薬が携行でき、結構重宝がられたそうです。

現在このBARマガジン・ベルト、現存数が少ないのか結構な価格になっていますね。1万円台半ばくらい?
私が蒐集を始めた1980年代半ば頃は沖縄のアメリカ屋さんでシェード#3のいわゆるカーキ色のモノが極上品で3,000円、シェード#7のいわゆるOD色のモノが同じく極上品で2,500円位で売られていました。

次回は今回のM-1937より前の、WWⅠ最末期にBARが採用されるのに合わせて作られた「第1世代」マガジン・ベルトについて見ていく予定です。

それでは、また…。