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2020年11月01日

M1956ファーストエイド/コンパス・ケース(M1956 FirstAid Packet/Compass Case)

みなさん、こんにちは。
11月に入りまして朝晩は寒さを覚える季節になりました。お昼間はお日様が出てらしたら20℃前後まで気温が上がって実に過ごしやすいです。ずっとこんなだと良いんですが長くは続きません。
当地大阪は「大阪市をつぶすことになり住民サービスの低下に繋がる」、「二重行政の無駄を省いて効率的な行政が行える」とかで、「都構想」の是非?が問われる住民投票が今日行われます。5年前の前回は僅差で否となりましたが、今回はどうなるのでしょうか。

さて今回お送りするネタモノは、タイトルでは字数制限があって納得のいくものを掲げられなかったのですが、「M1956 ファースト・エイド・パケット or コンパス・ケース(M1956 First Aid Packet or Compass Case)」です。とは言え実はこのモノの「制式名称」は時期によって変遷を遂げまくりなので、一応最大公約数的な表示に致しました。詳細についてはみなさま方におかれましてお調べください。ここではその全てを網羅するのはちょっと不可能です。

↓M1956 ファースト・エイド・パケット/コンパス・ケース(Case, First Aid Packet or Compass, M1956)です。左の相当草臥れている方がいわゆる「初期型」、右のデッド・ストック並みのモノが「後期型」と呼ばれています。「後期型」の方が圧倒的に製造・供用期間が長いので「初期型」は少数です。かと言って、それほど「レア」という印象は持ってません。結構まだ手に入れ易いと思います。名称の中に「or」と入っているのは、ファーストエイド・パケット・ケースでもあり、コンパス・ケースでもある、という事です。

余談ですが、WW2中のM1942ファーストエイド・パケット・パウチが当初は正に「ファースト・エイド・パケット入れ」だったのが、1950年代以降「ファースト・エイド・パケット or コンパス・パウチ」と名称が変わり、コンパス・ケースの役割も持たせられましたが、さらに後には「ファースト・エイド・パケット」の文言が名称から外され、「コンパス・ケース」となりました。
今回お送りするモノも、供用開始当初は本稿のタイトルにもあるように「ファースト・エイド・パケット or コンパス・ケース」という名称でしたが、途中で「ファースト・エイド・パケット」の文言が制式名称から外され、最終的には「コンパス・ケース」となっていきました。あとでまた触れます。

↓初期・後期の差異は、フラップに施されているコットン・テープの縁取りが、「初期型」はフラップのみであるのに対して「後期型」では本体両側にも延び、また、ポケットの上縁にも施されるようになった点、それと…


↓「初期型」の底部には何もありませんが…


↓「後期型」の底部には水抜きのドレイン・ホールがあります。


↓裏面にはどちらのタイプにもスライド・キーパーが一つ設えられています。


↓白い紙片をピストル・ベルトに見立ててスライド・キーパーの仕組みを示しています。ピストル・ベルトのほか通すことのできるモノ全てに着脱できます。スライド・キーパーは、このファースト・エイド・パケット or コンパス・ケースも含めた「M1956装備システム(M1956 Load-Carrying Equipment)」から導入された装備品の連結具で、それまでのM1910装備システムで用いられたダブル・フック・ワイヤー・ハンガーとハトメ穴との組み合わせに比べると脱着面での機能性が格段に向上しました。ハトメ穴を必要としないので例えばピストルベルトのハトメ穴の位置に関係無く、任意の位置に取り付ける事ができます。


↓では個別に見て行きます。左の「初期型」。長期に亘り中に入っていたであろうファーストエイド・パケットの形に沿って布地が擦過損傷しています。


↓フラップの裏側には制式名称や契約内容などのスタンプがありますが、もはや判読不能です。


↓フラップ留め具のスナップ・ボタンのオス側の裏面。彼の著名な「RAU FASTENER CO.」の刻印。あとで見ます「後期型」のモノと同じように、円周左下の一見何も刻印が無い部分にはひょっとしたら「PROV RI(PROVIDENCE, RHODE ISLAND」の略)」とあったけど磨耗で見えなくなったのかも知れません。


↓メス側の裏側。判読が困難ですがこちらにはスペースが少ないのに「RAU F CO PROV RI 」と、社名の一部である「FASTENER」を「F」と略してまで、所在地である「ロードアイランド州のプロヴィデンス(PROVIDENCE, RHODE ISLAND」の略「PROV RI」を入れてます。


↓次に右側の「後期型」のフラップの裏側です。スタンプでは名称が「LENSTATIC COMPASS MAGNETIC」となっています(スペルミス?何ででしょう?調べた限りこんな単語無いです...。まさか粗悪なレプリカ?)。「ファーストエイド・パケット」の語は入っていません。冒頭部分で触れましたが、これはこの個体が既に「ファーストエイド・パケット入れ」としての役割から外された時期以降の製造分だからです。「後期型」が出現してしばらくすると、「コンパス専用ケース」となりました、と言いますか、正しくはこのケースはレンザティック・コンパス本体とワンセットで一つのモノだという事です。コンパス本体の制式名称が「MAGNETIC, LENSATIC COMPASS( DA23-195-AMC-00972(T)、Federal Stock Number:6605-846-7618)」であり、その旨がこのようにケースの方にスタンプされています。もちろんコンパス本体にも同様の記載(刻印)がなされています。最早ケースとして独立したモノではなくなったと言って差し支えないでしょう。


↓さきほど草臥れた初期型で見たのと同じフラップ留め具のオス部品の裏面の刻印。「RAU FASTENER CO. PROV. R.I.」と明確に刻まれています。



以上見て参りました。今でも製造時期を気にしなければ比較的容易に廉価で入手できると思います。国内でも1,500円?程度も出せばいいモノが手に入るでしょう。M1956LCEに忠実にマガジン・ケースの脇に取り付けるも良し、H型サスペンダーの肩のループに逆さに取り付けるも良し。ベトナム戦装備には欠かせないアイテムです。


それでは今回はこの辺で失礼いたします。またお会いしましょう。





  

Posted by Sgt. Saunders at 12:00Comments(0)First AidCompass

2019年08月04日

M-1942ファースト・エイド・パケット・パウチ(M-1942 First aid Packet Pouch)

みなさん、こんにちは。
当地大阪は遅く入って長かった梅雨明け後、最高気温がヒトの体温を超えようかという猛暑に連日襲われています。外に出ただけで頭がクラクラします。だからなるべく外に出ません。これほど暑いとサバゲで熱中症→意識混濁・呼吸困難・救急搬送とならないよう十分気を付けましょう。


さて今回採り上げますのは過去記事「ファーストエイドパケット・パウチ(Pouch, First aid Packet)」でも登場しましたM-1942ファースト・エイド・パケット・パウチの、WWII中の1943年後半以降に導入され始めたodシェード#7版です。と、いうだけでは、過去にも上記の記事中で同じod#7のモノを紹介しておりますので、何でまた今更あらためて?とお感じになられるのも無理はありません。あらためて今回ご面前に晒します理由は、WWIIが終結後7年も経過した朝鮮戦争の最中に製造された個体だからです。つい最近入手する機会を得まして、朝鮮戦争勃発後にもなおM-1942が製造されていたことは意外でした。

↓M-1942ファースト・エイド・パケット・パウチです。WWIIUSG.I.ファンなら知らない人はいないでしょう。コットン・キャンバス製のパウチです。


↓名前の通りファースト・エイド・パケットを収納・携帯するためのモノであるのはごご存じの通りです。上に挙げました過去記事でも紹介しております。


↓少なくとも2人の記名(イニシャルと認識番号下4ケタ)が認められます。抹消表示せずに真上から上書きされているようで何と書いてあったのか判別できません…。


↓Lift-The-Dotのクリンチ・プレート。製造者名などはありません。


↓Lift-The-Dot表側です。こちらも製造者を特定できるモノはありません。黒染めのブロンズ製です。背面のダブル・フック・ワイヤ・ハンガーも黒染めブロンズ製です。WWII中には物資節約のためにブロンズや真鍮の代わりに亜鉛比率の高い亜鉛合金を用いていましたが、朝鮮戦争の頃には潤沢にブロンズを使いまくっていました。


↓裏面に製造者と製造年のスタンプがあります。加えてこの個体には品名「POUCH, FIRST AID PACKET, M-42 」とストック・ナンバー「74-P-260」も記されています。一般的に布製装備品に品名やストック・ナンバーが表記されるのは1946年以降です。


↓JQMD(Jeffersonville Quartermaster Intermediate Depot)での1952年製造。記事冒頭でも申し上げましたが、この1952年製という所に私は着目しました。WWII中・末期にはPTO(太平洋作戦戦域)では大きい箱型のM-2ジャングル・ファーストエイド・パウチ(M-2 Individual Medical Jungle Kit )が採用されて、その流れで朝鮮戦争勃発後の頃にはもうM-1942ファースト・エイド・パケット・パウチはETO(ヨーロッパ作戦戦域)も含めてM-2に取って代わられていったと思っていましたので、1952年に於いてもまだM-1942ファースト・エイド・パケット・パウチの「製造」が続いていたという事はちょっと意外でした。旧モデルの在庫分の「使用」が続くのは他の装備品でも例は沢山ありますが、旧モデルの「製造」も続いていた、というのがあるんですね。まあ、もっともあとで触れますが、ファースト・エイド・パケット・パウチ」の役割に「コンパス・パウチ」としての役割をも課せられることになりますので、納得はできます。

そう言えばベトナム戦争の戦場写真でマイク・フォース要員がこのM-1942をM-1937BARマガジン・ベルトにぶら下げているのを、見たことがあったことを思い出しました。製造はさすがにその頃には終わっていたと思いますが。
あと、先程も触れましたが、このM-1942ファースト・エイド・パケット・パウチはいつの頃かは忘れましたが「ファースト・エイド・パウチ or レンザティック・コンパス・パウチ」と改名され、コンパス入れとしての役目も課せられるようになりましたので、M-2パウチと並行して製造が続けられたんでしょうか。

現在od#3、od#7のどちらもまだまだ入手機会は多いと思います。国内でも2,000円程度もあれば十分良い程度のモノが手に入るようです。


それでは今回はこの辺で失礼いたします。いつもより少しボリュームが小さいですがお許しください。






  

Posted by Sgt. Saunders at 12:03Comments(0)First Aid

2018年06月17日

M-1910ファーストエイド・パケット・パウチ(POUCH, FIRST AID PACKET, M-1910)

みなさんこんにちは。
当地大阪も1週間以上前に梅雨入りし、雨が降ったり晴れたりの繰り返しが続いています。今日は雲の少ない晴天です。
米朝首脳会談が兎にも角にも予定通り行われ、成功だ失敗だと議論されていますが、「歴史的出来事」になったことだけは間違いなく、この後どうなるのかは当事者2人のみならず世界各国がどのように動くかによるのであり、我が国日本も隣国であるという立場からだけでなく各国との関係も見極めながら主体的・能動的に振舞うことが必要です。

さて定刻を1週間と1時間ほど過ぎてお送りする今回の投稿ネタは、大昔大きな括りのネタの中でちょろっとご紹介したことのあるM-1910ファーストエイド・パケット・パウチです。
大きな括りで、と申しましたのはコレ→過去記事「ファーストエイドパケット・パウチ(Pouch, First aid Packet)」です。今回はその中の一つについて詳細に見て行きます。

↓M-1910 ファーストエイド・パケット・パウチです(ストック・ナンバー:74-P-255)。WWⅠ以前にその前身たるM-1907を改良して開発されました。「M-1910」と、物凄く古めかしいかび臭いブツだと思うなかれ、WWⅠ後にもかなりの数のストックがあったため、WWⅡ時にも多用されました。


↓上から「M-1910」、「M-1924」、「M-1942」です。「M-1910」の横幅を少し長くしてフラップを三角にして留め具をスナップ・ボタンからLift-the-Dotに替えて「M-1924」が出来、次いで深さ(丈)を増した「M-1942」へと続きました。

M-1924がM-1910の改善版として新たに開発されたものの、WWI後もM-1910の在庫が多く残っていたため、M-1924の実質的な製造開始はWWⅡ勃発後にパウチの需要が拡大し始める1940年からでした。次いで1942年、パウチに収めるファーストエイド・パケットが缶入りのものから厚紙製の箱入りのものへと移行するのに伴い、容量を大きくしたM-1942が開発・製造されます。但し、1942年にのみJQMD(Jeffersonville Quartermaster Depot)によりM-1910が再び製造されています。何故M-1924あるいはM-1942でなく、既にLimited Standard(限定採用)となっている旧型のM-1910をこの期に製造したのか?色んな資料で調べましたが分かりません。「J.Q.M.D. 1942」のスタンプのあるM-1910というモノが存在するのには、このような背景があります。

↓裏面です。ダブル・フックでピストルベルトやカートリッジ・ベルトのグロメット(ハトメ穴)にぶら下げて装着するのは共通しています。


↓本題のM-1910に戻ります。フラップを開けました。上に置いているのは缶入りのWWⅡバージョンのファーストエイド・パケットです。WWⅠ時は未だ開封用のリングの付いているパケットしか存在しません。


↓製造者「THE M-H CO.」はTHE MILLER-HEXTER Co.の短縮形です。1918年9月製造です。画像右下にも何かスタンプ?


↓良く分かりません。上下ひっくり返すと「P.O.」?「F.C.」?


↓ファーストエイド・パケット缶がすっぽり入ります。


↓中身が入っているとこの様になります。2つのスナップ・ボタン留めです。


↓フラップのメス・スナップ表側を拡大。何の変哲もないボタンです。材質は真鍮です。


↓メス・スナップの裏側です。「CARR'S PAT. '13」とあり、「UNITED CARR社が1913年に取ったパテントだよ。」と表示しています。


↓オス・スナップです。こちらも特に変わった点はありません。

このスナップ・ボタンですが、上記パテントの「新型」スナップが世に出る前は、メス・スナップの表側は同じただのドーム型に見えても、裏側は囲い爪で、オス側が凸ポッチとなっているモノもありました。

↓背面のダブル・フックとパウチ本体へのハンガー部。このクローズアップ画像で触れておきますが、ハンガー部の部材はコットン・ウェブ、パウチ本体は目の細かい織りで、手触りはフワフワでコシはクタクタです。



以上です。WWⅡ時でも1942年以降撮影された写真に写っているM-1910は、WWⅠ以来の在庫分か1942年にJ.Q.M.D.で再製造された分かのどちらかということになります。

私がこれを入手したのは、アフリカ戦線での写真に写っていた米軍兵士がこれを装着しているのを見て「ああ、WWⅠだけでなくWWⅡ時にも使用していた例があるのだ」と分かってからでした。まぁ、WWⅡモノの蒐集がメインでありますけれども、やはりWWⅠモノもWWⅡで使われたケースがあるとあっては集めたくなってくるもので、同じような例は他にも沢山あります。
現在WWⅠ近辺の製造分であれば程度にも依りますがUS$35~50位で入手可能です。1942 JQMDスタンプのモノは希少性からUS$60以上で取引されている例もあります。




それでは今回はこの辺で失礼いたします。



  

Posted by Sgt. Saunders at 13:20Comments(0)First Aid

2017年04月02日

ジャングル・ファーストエイド・パウチ(M-2 Individual Medical Jungle Kit )

こんにちは。
当地大阪は桜の開花が全国各地に比べて遅い部類に入るんですね。やっと2日前?に開花があったようですが、朝晩はまだ冷え込みます。
またまた前回の投稿から1カ月以上も空けての投稿になってしまいました。
仕事絡み、体調絡みで致し方ありません。やる気はあるのですが時間の余裕が少なくて、やっと今日新規投稿です。お許しください。

今回は久しぶりにWWⅡUS装備品モノです。私のメインコレクションはWWⅡUS陸軍歩兵のETO(Europian Theather of Operations:ヨーロッパ作戦戦域)装備品なのですが、PTO(Pacific Theather of Operations:太平洋作戦戦域)装備品にも興味はあり、陸軍、海兵隊のPTO装備品も最低限レベルの蒐集はしたいなぁとの思いの延長線上で、今回のネタモノを入手しました。

↓「Container for M-2 Individual Medical Jungle Kit」です。俗にジャングル・ファースト・エイド・パウチなどと呼ばれます。中身がきっちり完備されて、晴れて「M-2 Individual Medical Jungle Kit」になります。

PTOとCBI(China Burma India Theater:中国ビルマインド作戦戦域)で支給されていたロールアップ式のバンデージ・薬品類入れであるM-1 Individual Medical jungle Kitの後継品として新たに開発されたモノです。ETOでは支給されていません。また色調はODシェード#7のみであり、シェード#3(いわゆるカーキ)のモノはありません。

↓少し上から見ました。背面にはダブル・フック・ワイヤー・ハンガーが備えられているのでピストルベルト、カートリッジベルトにぶら下げることができます。2つのスナップボタンでフラップを留めます。「U.S.」スタンプの書体が、WWⅡ時に製造された装備品にしては珍しくゴシック体(サンセリフ)です。ブリティッシュ・メイドのモノにはゴシック体スタンプが多いのですが、WWⅡ時のUS製のモノにゴシック体の「U.S.」がスタンプされている例は多くありません。WW1以前より大抵のスタンプはフォントで言えば「Georgia」や「Century」のようなセリフ書体でなされるのが一般的です。WW2終戦直前頃からゴシック体でのスタンプが用いられ始め、ヴェトナム戦争中期頃には殆どがゴシック体になります。ただ、兵士が着ける装備品は軍のストックから支給されるのであり、工場製造直送ではありませんから、ゴシック体でないスタンプの装備品をヴェトナムで前線の兵士が着けていても何らおかしくはありません。

本体はコットン・ダック製。フラップとそれに続く本体横側はコットン・ツイル・テープで、下端部はコットン・ウェブ・テープで縁取りされています。
 
↓下端部にはダブル・フック・ワイヤー・ハンガーを吊るせるアイレット(鳩目穴)が設えられています。


↓背面です。中央、ベルト・ループとして、またダブル・フック・ワイヤー・ハンガーの固定を兼ねてコットン・ウェブ・テープが縦に縫い付けられています。

コットン・ウェブ・テープを本体のコットン・ダックに直接縫い付けると強度が不足するので、コットン・ツイル・テープをまずダックに張り付けて補強し(背面上端部分)、そこにコットン・ウェブ・テープが縫い付けられています。

↓この部分がベルト・ループです。トラウザーズ・ベルトだけでなく、ピストル・ベルトのように幅の広いベルトも十分余裕で通ります。


↓一応参考までに、側面の画です。厚みは6cmほどです。


↓フラップを開けました。製造者名と製造年「AVERY 1945」のスタンプがあります。本体の縦のステッチは中の仕切りを縫い付けるためのものですが、斜めのステッチは仕切りの固定には直接は無関係です。縦に縫って、糸を切らずに隣の縦へ行こうと思えば横に移動すればいいものを、わざわざ斜めに無駄なステッチを残しています。何故なのか分かりません。


↓主フラップだけでは中への雨水・砂塵等を防ぎ得ないため両サイドにもフラップが備えられています。


↓内部です。薄手のコットン・ウェブで仕切られています。左側の大きい方の区画にファースト・エイド・パケットと虫除け剤、右側の小さい4つの区画にヨードチンキ、水虫薬、アタブリン(抗マラリア薬)、水浄化剤、本体フラップの内側に絆創膏とスルファジアジン剤(サルファ剤の一つ)を収納するようになっていました。残念ながら私は、現物が完全に揃ったのを見たことはありません。


↓内部の収納仕切りは底から1/4インチほど(6mm)浮いています。水濡れしても乾きやすいように、との理由からだと思います。しかしながら底面に水抜き穴はありません。フラップが2重構造になっているので雨水の侵入は無い、との前提からなのでしょうか。


↓左右のフラップは本体と同じコットン・ダックを二重に重ねられたパーツとして、本体に後付けされる形で縫い付けられています。本体の生地裁ち段階では含まれていません。


↓本体フラップの内側の拡大です。製造者名と製造年のスタンプ。「AVERY」社は布製装備品全般にわたって多くの種類の装備品を製造していました。


↓本体フラップの内側に浅いポケットが設えられています。


↓ポケットの入り口にはコットン・ツイル・テープ製のループが備えられています。私の薄い記憶では、ここに絆創膏を通す形で収納していた…ように思うのですが。違っていたらすみません。



以上縷々見て参りましたがいかがでしょうか?
このパウチの外形形状そのものはその後長く受け継がれていきました。ヴェトナム戦争期中にはナイロン製となり、中身を保護するため仕切りを取っ払う代わりにプラスチック製のケースをパウチの中にセットする形となりと、改良が重ねられていきました。
また、「中身」の希少性は年々高まってきており、当然価格相場も高騰してきています。古い薬瓶にウェザリングを施した複製ラベルを貼って「本物」として売られています。「複製」と明示しているのであれば問題はないと思いますが、コレクターは常に留意したい問題です。


それではまた、なるべく早くにお目にかかりましょう。さようなら。



  

Posted by Sgt. Saunders at 10:00Comments(0)First Aid

2014年02月09日

ファーストエイド・パケット:その2(Packet, First-aid:Part Ⅱ)

首都圏は雪が凄いですね。
雪があまり降ることのない関西の平野部でも、初めは雪だったのが後に霙(みぞれ)・雨へと変わり、それにより積もっていた雪が溶かされるまで半日ぐらいは積雪を楽しむことができました。

今回は以前少し触れた「ファーストエイド・パケット」の続きです。


↑前回は上の画像の左上の「缶入り」バージョンについて紹介しました。
では、今回はまず右上のモノから。


↑「SMALL FIRST-AID DRESSING U.S.ARMY-CARLISLE MODEL Sterilized」。「救急手当て包帯 合衆国陸軍‐カーライルモデル 滅菌済み 小型」と言ったところですか。First-aid "Packet"ではなく、"Dressing(包帯)"です。「赤い色の印が包帯の背面を表し、反対面を傷に当てる」のは缶入りバージョンの表記と同じです。


↑セロファンで覆われてシーリングされています。


↑中身はボール紙の箱で、厚みが缶入りのモノより若干厚めです。

次は1番目の画像の右下のモノ。

↑「Dressing, First Aid, Individual Troop, Camouflaged, Small  DYED STERILIZED DRESSING」。「小型・迷彩・兵個人用救急手当て包帯」と言ったところでしょうか。ボール紙ケースにOD色の迷彩が施されています。


↑「赤い色の印は・・・」の使用法の記述はこれまでと同じです。


↑マッチ箱(今の若いかた、まさか「マッチ箱」って何?なんてことはないでしょうね?)のような構造になっていて、中箱を引き出すと・・・


↑その中から包帯の包みが出てきました。


↑包み本体の表記には「DRESSING, FIRST AID, CAMOUFLAGED, SMALL」とあり、外箱の表記から「Individual Troop」が消えています。
表記の一番上の行のストックナンバー(STOCK NO.)は共に「2-017-455」ですので、モノとしては同じということになります。


↑包みにも使用法が記されてあります。ベージュ色の紙にアルミ(鉛かも)フォイルが内張りされているもので密封パックされています。


↑最後は黒いパックのモノ。「PACKET FIRST-AID FIELD BROWN DRESSING」。フィールド・ブラウンとありますが、包み自体は黒色です。中の包帯自体がフィールド・ブラウンで染められているということです。


↑黒色の布素材にアルミ(否、鉛かも)フォイルが内張りされているもので密封パックされています。

これらのほか、メディック関係モノは個人携帯用に限っても種類がたくさんありすぎて、蒐集はこれ以上は多分しません。
でも、レプリカで出ている「モルヒネ剤」のアンプルだとか三角巾なんかは、イイ値段で売られていれば入手してしまいそうです。
特にeBayでは良心的な値段で出ていますよねぇ。

今回はこの辺で・・・。  

Posted by Sgt. Saunders at 19:00Comments(0)First Aid

2013年12月21日

ファーストエイドパケット

お寒うございます。年の瀬のホッと一息つける貴重な時間においで頂きありがとうございます。
新年を迎えるにあたり、定例の大掃除に向けて少しずつ身辺の整理をしていこうかなと思いましたが、やはりモノに見入ってしまって捗りません。で、ついついこちらに来てしまいました。

さて、前回の記事「ファーストエイドパケット・パウチ(Pouch, First aid Packet)」に続き、今回はパケットそのものについて少しご紹介します。

前回記事「ファーストエイドパケット・パウチ(Pouch, First aid Packet)」の中で紹介しました「缶入りファーストエイドパケット」ですが、どのような構造になっているかがコレ↓で良く分かります。 1943年4月7日版「FM 21-11 First Aid for Soldiers」の中にある写真です。↓

ぐるりの金属テープを取り外すとモナカ構造の缶が上下に分かれ、中には紙で包まれた滅菌済みガーゼ包帯と、細菌感染予防のための粉末サルファ剤の入った小さな包みが入っています。

↑真ん中辺が凹んでいるのにはご勘弁下さい。「FIRST AID PACKET, U.S. GOV'T CARLISLE MODEL」がこのパケットの制式名称です。
CARLISLE MODEL(カーライル式(型))という名称は、これが1920年代にペンシルベニア州カーライル駐屯地の米陸軍衛生科装備研究所で開発されたことに由来します。
「テープを引っ張って開ける」
「赤色の印は包帯の背面を示す」
「反対側を傷に当てる」
との使用法が缶に凸モールドで記されています。

↓他のパケットとの集合写真。左上は今見てきた「缶入り版」。時計回りに、「ボール紙箱入り版(セロファンで包装されてます)」、カーライル式(型)とは別モノである「カモフラ救急包帯」、「黒色フォイル包装版」です。

↑缶入り版以外については、またの機会にもう少し詳しくご紹介します。今回はとても短いですが、それではまた・・・。  

Posted by Sgt. Saunders at 22:40Comments(0)First Aid

2013年12月14日

ファーストエイドパケット・パウチ(Pouch, First aid Packet)

お久しぶりです。このひと月あまり、公私ともかなり忙しくて、テーマは用意していましたが更新できませんでした。
今回はWWⅡ米軍の「ファーストエイドパケット・パウチ(Pouch, First aid Packet)」についてです。

まずこちら↓ 前回の記事でも出しました1943年8月発行の「Quartermaster Supply Catalog 」のSection 1 - Enlisted Men's Clothing and Equipment -から、当該「Pouch, First aid Packet」の部分を抜粋。

曰く「イラストのPouch, First aid PacketはM-1942である。これより前のM-1910やM-1924も使われてはいるが、旧型の少しばかり寸法の短いパケットを収めるようにデザインされたものである……」。つまり、M-1910とM-1924はM-1942よりも小さいということが判ります。

↓まずは上記イラストでも紹介されているM-1942のカーキ色(正しくは「ODシェードNo.3」)バージョン。


↓続いてOD色(正しくは「ODシェードNo.7」)バージョン。


↓2つまとめて、


↓裏側。

色目は違えども、同じメーカー(Dubuque Awning & Tent Co. )で同じ1945年製です。

↓左がM-1942、右がM-1924。幅はほぼ同じですが、丈(深さ)が½インチほど違います。上のカタログの説明文にある通り、中に収めるパケットの大きさ変更に対応したものです。

↑左のM-1942にパケットを収納した図がこれ↓


↓ただ単にコロンと入っているだけです。


↓OD塗装の缶入りファーストエイドパケット。中にはガーゼ付きの包帯と細菌感染予防のための粉末サルファ剤の包みが入っています。



↑裏面には「結晶サルファニラミド剤入り」との表示。


↑缶は上下合わせのモナカ型。合わせ目を缶と同じ材質の金属(銅)テープでぐるっと一回りしてシーリングされています。使用時はこのテープを取り除いて缶を開き中身を取り出します。因みに缶の素材については銅→真鍮→鉄→プラスティックと変わり、遂には缶でなくなり、蝋塗りの紙箱&鉛箔にとって代わられます。このパケットについては、また項を改めて詳しく紹介するつもりです。


↑左がM-1910。フラップの留め具は2つのスナップ。右がM-1924で留め具はおなじみの「Lift-the-dot」。サイズは同じ。

↓裏面。

M-1910については製造時期により幾つかのバリエーションがありますが、また別の機会に紹介します。WWⅠ時以前に制定されたものですが、WWⅡ時においてもかなりの数が使用されていたようです。と言いますのは、WWI時の余剰分が再利用された事に加え、WWⅡの最中に何とM-1910が再生産された事にも由来します。またの機会にその辺についてお伝えしたいと思います。

↓左は「ブリティッシュメイドM-1942」。右はオリジナルUS製M-1942。前に取り上げたM-1928ハバーザックのブリティッシュメイドと同様、生地素材や留め具の形状などに違いはあるものの、基本的構造は同じです。当たり前と言えば当たり前ですが・・・。


留め具以外の縫製はほぼ同じ作りです。

↓フラップを開けたところ。1944年製です。生地はUSのモノよりもやや粗めのウェブです。



↑↓フラップ留め具の拡大。


↓スナップボタン表側。艶消しの黒色塗装が施されています。


実は私がWWⅡUS歩兵装備品で一番最初に手に入れた実物が、ブリティッシュメイドのM-1942ファーストエイドパケット・パウチなのです。
TV映画「COMBAT!」のサンダース軍曹の姿を見て、そして可処分資産(小遣い銭)の範囲で何か買えないかとコンバットマガジンの通販広告を隈なく調べた結果、沖縄アメリカ屋さんの広告にブリティッシュメイドのファーストエイドパケットパウチ(新品)を見つけて購入したのでした(当時の価格:確か1,000円だったと記憶しています)。
「良品」のUSオリジナルのM-1942ファーストエイドパケット・パウチも800円で販売されていましたが、まだその頃は「何でも新品の方がイイ」と考えていたからです(その後この分野のコレクションをしていくことになるとは未だ思っていませんでした)。
まだコレクションとしてではなく、サバゲの装備品として使うことが出来、且つWWⅡ装備で価格のお安いもの、という基準で買ったのでした。
沖縄アメリカ屋さん。懐かしい響きです。1984年頃のお話です。


  

Posted by Sgt. Saunders at 19:22Comments(0)First Aid