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2015年06月28日

WWⅠ BAR用マガジン・ベルト(BAR Magazine Belt)

こんにちは。
安保関連法案についての国会での論戦のレベルや百田尚樹氏にはゲンナリさせられます。

さて、前回WWⅡ直前に制式化されたM-1937 BAR用マガジン・ベルト(Belt, Magazine for B A R, M-1937)をお届けしましたが、今回はそれ以前WWⅠ終了直前に制式化されたBAR用マガジン・ベルトについて少し触れてみたいと思います。


①はBAR 射手用ベルト(Automatic Rifleman's Belt または Gunner's Belt)、
②はWWⅡ時に①を「M-1937」型に改造したマガジン・ベルト、
③もWWⅠ時のBAR 補助者用ベルト(Second Assistant Automatic Rifleman's Belt)をWWⅡ時に「M-1937」型に改造したマガジン・ベルトです。


裏面です。

以下、本記事では「人体に装着した時の『右』『左』」に則って記述します。画像上の右左ではありませんのでご注意ください。
また、「BAR(Browning Automatic Rifle)」という名称は、WWⅠ時は「Browning Machine Rifle」もしくは「Light Browning」と呼ばれていたそうです。


①を人体に装着したときの状態にしました。BARで「suppressive fire(制圧射撃)」を行う際に、肩へスリングを掛けて両腕で保持しますが、画像に写っている右腰側の黒い鋼製カップにBARのストックを入れて、BARの荷重を腰でも支えようというモノです。しかしまぁ、このベルトもサスペンダーで肩からぶら下げるのですから、結局はやっぱり肩に荷重が及びますが、ベルトと腰が接する部分で腰骨にも荷重が分散されますので、かなり楽にはなります。
なお、この鋼製カップのアイディアは、BARが採用される前のM1918 もしくは M1915 Chauchat Automatic Rifle(ショウシャー自動小銃)用の射手用ベルトからの遺産です。


↑黒いのが鋼製カップ。BAR射手はサイド・アームとしてM1911自動拳銃(ガバメント)を装備しますので、その予備マガジン入れがこの様にBARマガジン・ベルトにあらかじめ組み込まれていました。形状はM1918 Pistol Magazine Pocketがそのままくっついたようになってます。(拙稿「ガバメント用マガジン・ポケット(パウチ)あれこれ(Pistol Magazine Pocket)」の③をご覧ください。)


↑鋼製カップは厚い革を土台にして設えられています。ガバメント予備マガジンポケット部のフラップを開けました。フロント・バックルの丈の長さにご注意ください。ガバメントのマガジンの長さよりも長いです。


↑左右のポケットを連結するベルト。左右ポケット後端のバックルを使ってマガジン・ベルト全体の長さを装着者の体格に合うよう調節し、余った部分は左右のポケットの背面のハトメ穴にフックで引っ掛けてブラブラしないようにします。右側ポケットはハトメ穴が1個で、左側ポケットはハトメ穴は上下2個。なんでこうなっているのか、分かりません。


↑連結ベルトの拡大。ベルト上辺の3つのハトメ穴は、M1910 Haversack(背嚢)の背面に1本ある各種ベルト連結用ストラップの先端のフックと連結するためのモノなのですが、なぜ3つもあるのか?1個で十分な筈なんですが。と、考え、いろいろ調べましたら、3つのうち両端の2つはM1907サスペンダーを用いる時用のためで、真ん中の1つがM1910 Haversack用のモノだという事です。後継のM1937 BAR用マガジン・ベルトでは、もうその頃にはM1907サスペンダーはさすがに使われていないので、でもまだM1910 Haversackは依然として使われていたので、1個になっています(前回記事をご参照ください)。四角のメーカー・スタンプ。「R. H. LONG」社 1918年6月製。


↑左側ポケット裏面上部。「LONG 6-18」の表記(ピンボケで済みません)。


↑右側ポケット裏面上部。上と同じく「LONG 6-18」の表記。


↑少し引いて見ました。ガバメント・マガジン・ポケットの縫製と、鋼製カップ部の上下のリベット留め・革の縫製が分かります。


↑さて、今見てきたBAR 射手用ベルト(①)と、それを「M-1937」型に改造して作られたマガジン・ベルト②との対比です。右ポケットの鋼製カップとガバメント・マガジン・ポケットを取り外してBAR用のマガジン・ポケットを縫い付けてあります。また、①で見た臍の位置で合わせる本体のフロント・バックルも、丈の長過ぎるのを嫌ってM-1937 BARマガジン・ベルトと同じサイズのバックルに換装されています。但し位置が変わりました。


裏側を見てみましょう。↑革の縫製とリベット(緑色)は②↓では取り除かれ、で示したように跡が残っています。

↓上部のリベットの取り外された跡もこの様に残っています。




↑上で見た右側ポケットでは触れませんでしたが、この左側ポケットの裏面とも同様、左右ポケット部を繋ぐ連結ベルトのためのバックルは取り除かれ(画像で親指と人差し指の間)、代わりにM1937 BARベルトと同じスタイルの「土台ベルト」が新たに設えられ、バックルがその後端に縫い付けられています。また、さきほど触れた本体の丈の長いフロント・バックルもポケット部前端から外されて、M-1937 BARマガジン・ベルトと同じサイズのバックルが「土台ベルト」の前端に付けられました。
「AVERY 1942」のスタンプがあります。AVERY社で1942年に改修されたということです。
↓元々はLONG社の1918年5月製であることが分かります。


↓もう一度この画像でご説明します。①の左右連結ベルト・バックルは(人差し指の先)、②では取り外され(親指の先の解れている部分)、「土台ベルト」に移植されています。



↑②では①のようにポケット部背面のハトメ穴を使わずに「土台ベルト」のループに通して収められるので先端のフックは不要で邪魔なので、このように削り落されています。


↑左側も同様に落とされています。

続いて③のベルトについて。もう一度冒頭の画像をご覧下さい。↓

③は、BAR射手に対して弾薬を補給し空マガジンを回収する「補助者」が装備するベルト、BAR 補助者用ベルト(Second Assistant Automatic Rifleman's Belt)が、「M-1937」型に改修されたモノです。元々はこのベルト、下の画像のように、BAR用のマガジン・ポケットが左右に2つずつ計4つ、自身が装備する小銃(M1903小銃(スプリングフィールド)もしくはM1907小銃(エンフィールド))用の弾薬クリップ・ポケットが臍の両側に2つずつ計4つ配されています。(eBayより画像引用)


↓③の右側ポケットの裏側です。「旧縫製跡」は上の画像と照らしてお分かり頂けると思いますが、小銃用弾薬クリップ・ポケットの縫製跡です。このポケットを取り除いてBARマガジン用のポケットを新たに縫い付けた跡が「新縫製」です。


↓表側です。元々の小銃用弾薬クリップ・ポケットの臍側の「縫製位置(指示)マーク」が見えます。

小銃用クリップ・ポケットが外され、手で持っているBARマガジン・ポケットが付けられました。また、②と同様の方法で丈の長いフロント・バックルが短いモノに換装されています。

↓同じく脇腹側の「縫製位置(指示)マーク」です。


↓ポケットの中にも「縫製位置(指示)マーク」が見えます。


↓左右のポケットの連結は、②で見たのと同じ要領で、元々の連結ベルトのポケット裏面のハトメ穴差し込みフックを削り落とした上で、「M-1937」型に改修されています。

↓左側も同様。

射手用ベルトの連結ベルトは①で見ましたように右側はフック1つハトメ穴1つで、左側は各2つずつなのに、この補助者用ベルトのそれはどちら側も2つずつになっています。どんな理由によるものなのでしょうか?

↓連結ベルトのスタンプ。「P.B.& CO.(「PLANT BROTHERS & CO)」、「JULY 1918」とあります。


↓左側のポケットもBAR 補助者用ベルトが「M-1937」型に改修されたモノかというと、本個体では違っています。画像のスタンプと、BARマガジン・ポケットの縫製のみしか見えないことからお分かりのように、こちらの左側ポケットは①のBAR 射手用ベルトの左側部分が連結ベルト部分のみ改修されたモノです。「L.C.C.& CO.」「1918年9月製」。


以上拙い説明でお分かりにくかったかもしれませんが、WWⅠ時以降のBARベルトと、その後に施された「M-1937」型への改修についてお送りしました。改修はOQMG(Office of The Quartermaster General)により組織的に行われたもので、決して部隊レベルなどでの改修ではありません。


それでは、また・・・。

↓次回予告画像です。

  

2015年06月14日

M1937 BAR用マガジン・ベルト(BELT, MAGAZINE FOR B A R, M-1937)

こんにちは。
少し前の記事でERDL迷彩のブーニー・ハットを採り上げました際に「そういえば衣服関連ネタがまだ無い」ということに気づいたと記しました。

私の蒐集対象のメインはWWⅡ米陸軍一般歩兵ですので、例えばいわゆるM1941フィールド・ジャケット(Jacket, Field, od)とかHBTジャケット(Jacket, Herringbone Twill)なんかがネタとして登場するのが「普通」なのかもしれません。
では、なぜそうなっていないのか? それは多分それらのモノが「メジャー過ぎて平凡な存在」になっているからではないかと思います。しかも今挙げたような、一般歩兵が一般的に広く使っていたジャケット類やトラウザース類・ヘルメットなどのヘッドギア等なんかは、もう本当に広くいろんなかたがたによって紹介されていますので、私なんかが今さらしたり顔で蘊蓄を傾けてダラダラ述べることもないという思いもあります。だからと言ってそれらのメジャーなアイテムに今後全く触れないという積もりではありません。気が向いたら、まさに徒然、ネタに取り上げることもあろうかと思います。

なにぶん当ブログは体系的な百科事典的なモノを目指している訳ではなく、蒐(あつ)めて来たモノについて多少は蘊蓄も含ませつつも、好きなように書き連ねさせて頂くという姿勢でやっておりますので、「コレをちょっと皆さんに見て頂こう」とか、特に思い入れのあるモノをふと思い出して「ちょっと聞いて頂こう」という気が起こって、ネタが決定されます。あとは他のかたのブログやHPなどを見た際に「あ、次のネタはこれにしよう」とインスパイアされることもあります。つまり、何がネタになるかは全くの気まぐれです。

前置きが長くなりまして申しわけありません。
今回のネタは、やっぱり衣服系ではなく、「装備品系」です。
古くはTV映画「コンバット!」のWilliam G. Kirby(カービー)一等兵が担い、映画「saving private ryan」ではReiben(ライベン)一等兵が担っていたブローニング・オートマチック・ライフル(B.A.R.(Browning Automatic Rifle))用の20連マガジンを収めるマガジン・ベルト、M1937 BARマガジン・ベルト(Belt, Magazine for BAR, M-1937)です。ただ、BARはWWⅡに初めて採用されたのではなくWWⅠ中に採用されたものですから、WWⅠ時中に今回のM-1937の前身たるマガジン・ベルトが既に採用されていることにご注意ください。追って別途ご紹介・ご説明すると思います。


↑本個体はODシェード#3の、いわゆるカーキ色です。とは言え、良く見ると分かりますが、画像で右から2、3つ目のポケットのフラップの色目が他とは違い、ODシェード#3以前の、WW1時の「カーキ」もしくは「タン」、シェード#9に近いです。同じ製造者でも若干の違いが出ている典型例です。


↑拡大。これで良く分かります。


↑「U.S.」スタンプは装着した時に右側に来る方の一番臍寄りのポケットのフラップに施されています。ガーランド用のM-1923カートリッジ・ベルトでも「U.S.」スタンプは、フラップではなくポケットの部分にですが、やはり臍の右側です。M-1936ピストル・オア・リボルバー・ベルトでは「U.S.」は臍の左側ですが、何故でしょうか?


↑裏側です。左右のポケットは連結バックルを介して連結ベルトで繋がれています。連結ベルトの上部に一つだけあるハトメは、M-1910ハヴァーサックの背面に1本だけあるベルト連結用ストラップのフックを通すためのモノです。WWⅡでもWWⅠ時代のM-1910ハヴァーサックを使っているケースも多くありましたので、ちゃんと連結できるようにと設えられていました。ベルト連結用ストラップを2本持つM-1923ハヴァーサックであればこのハトメを連結に使うことはありません。


↑右ポケット部の裏面のスタンプ。製造者はBOYT社。1942年製です。


↑左ポケットの裏にも同じスタンプ。


↑左右のポケットは連結ベルトを左右のポケットの連結バックルを通すことにより連結されていますが、その連結バックルはポケットに直接縫い付けられているのではなく、このようにポケットの上辺に縫い付けられた「土台ベルト」とでも言うべきウェブ・ベルトに縫い付けられています。


↑ポケットを下から。各ポケットの底には水抜き用のハトメ穴。ポケットの下にはダブル・フック・ワイヤー連結用のやや大きめのハトメ。等間隔に6つではなく、ダブル・フック・ワイヤー連結が3組詰まった配列で設えられています。


↑各ポケットにはBAR用20連マガジンが2個づつ収納出来ます。因みに画像のマガジンは手前のモノが電動ガンBARのもの。奥が実物のBAR用マガジンです。かなりパーカライズ処理膜が剥げていますが…。


↑ポケットの内側。


↑装着バックルを留めたの図。

ガーランド小銃(M1ライフル)を持つ一般歩兵は、30-06弾が8発1セットになったエン・ブロック・クリップを10個、合計80発をM-1923カートリッジ・ベルトに収めています。一方今回のBAR射手の場合は30-06弾が20発入ったマガジンを、このM-1937マガジン・ベルトのポケット1つあたり2個づつ合計12個、弾数にして20発×2本×6ポケット=240発を携行していたことになります。BAR射手の腰にはガーランド小銃(M1ライフル)装備者の3倍以上の重みが掛かっていたのですね。腰だけではとても支えきれません。X型サスペンダー必須ですね。ただBAR用のお手入れグッズ・ボックスをこの6つのポケットのうちの1つに入れて携行するようマニュアルで定められていたので、公式には5ポケ×2個でマガジン10個、弾数にして200発が本マガジン・ベルトに収める弾数になります。

以上M-1937 BARマガジン・ベルトを見て参りました。WWⅡ後も朝鮮戦争はもちろんヴェトナム戦争時にも使われました。ヴェトナム戦争では、M16ライフル用の20連マガジンが一つのポケットに3本入るので、ベルト全体で合計360発もの弾薬が携行でき、結構重宝がられたそうです。

現在このBARマガジン・ベルト、現存数が少ないのか結構な価格になっていますね。1万円台半ばくらい?
私が蒐集を始めた1980年代半ば頃は沖縄のアメリカ屋さんでシェード#3のいわゆるカーキ色のモノが極上品で3,000円、シェード#7のいわゆるOD色のモノが同じく極上品で2,500円位で売られていました。

次回は今回のM-1937より前の、WWⅠ最末期にBARが採用されるのに合わせて作られた「第1世代」マガジン・ベルトについて見ていく予定です。

それでは、また…。