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2021年04月11日

8mmモーゼル弾(5):7.92x57 IS(Patronen schweres Spitzgeschoß)(#5)

みなさんこんにちは。
さあ第4波が来たようです。当地大阪が東京を抜いて一日あたりの感染者数がトップになりました。こんな状況なのに非常事態宣言よりも格下の「まん防」を実施?何が何やら分かりません。兎に角自己防衛を徹底するしかありません。

さて桜もピークを過ぎ若葉の萌え出づる候今回お送りするのは「実銃は持てないから、せめてアクセサリーぐらいは…」コレクションの中のダミー・カートリッジ・コレクションの中からドイツ軍の主力歩兵小銃K98k用弾薬「7.92x57 IS(Patronen schweres Spitzgeschoß)」を採り上げます。このシリーズ、もう5回目ですが、以前のモノとはまた別のロット(個体)ですのでどうかお許しください。

↓過去記事で私が所持しているのはここに写っている13箱が全部です。以前の記事で12箱と申しておりましたが、整理していましたら何処からか1箱出て来ました。近時新たな入手は殆ど不可能なので大事にしようと思います。汚い背景にはどうぞお目をお瞑り下さい…。


↓その中から本日はこの個体をご覧いただきます。最小梱包単位であるこの小さなボール紙製の箱に15発収められています。


↓ラベルの拡大です。記されている内容は下記の通りです。一部がドイツ文字(Fraktur:フラクトゥール)で記されています。現在では装飾につかわれる以外あまり一般的ではありませんが、ドイツ軍モノに触れる機会の多い方は普通のローマ字との変換がパパッとできるようになっていきます。

(1行目)Patronen s. S.
(2行目)P 131. 4. L 39
(3行目)Nz. Gew. Bl. P. (2. 2. 0,45) : Wlsr. 1938/36
(4行目)Patrh : S* P131 4. L. 39 - Gesch. : P 131 2. L 39
(5行目)Zdh. : 88 DWM. 939. L. 38

(1行目)は弾種です。「Patronen schweres Spitzgeschoß」の省略表記で、「重量尖頭弾」の意です。「Patronen」は「弾薬」、schweresは「重たい」、spitzは「尖った」、geschoßは「弾丸」です。
(2行目)は製造者コードとロットナンバーおよび製造年を示します。「P 131」は「Deutsche Waffen- und Munitionsfabrik AG(『ドイツ兵器弾薬製造株式会社』といったとこです)の製造者コード、ロット番号は4、1939年製造です。
(3行目)は装薬種類です。「Nz.Gew.Bl.P.」は「Nitrozellulose Gewehr Blättchen Pulver(ニトロセルロース弾薬用小葉体火薬)」の略。「2・2・0,45」は、火薬粒子が2mm x 2mm x 0.45mmであることを示します(ドイツでは小数点は「.」ではなく「,」で表します)。
後ろの「Wlsr.」は「Walsrode」の略でヴァルスローデ工場製の意、「1938/36」は「1938年にロットナンバー36番で製造された」という意味です。
(4行目)「Patrh : S* P131 4. L.39」は「Patronenhülse(薬莢)」についての表記。「S*」は薬莢が72%の銅を含む真鍮製であることの意で、「P131」は先ほどと同様「Deutsche Waffen- und Munitionsfabrik AGの製造者コード、ロット番号4で1939年製造、「Gesch.: P 131 2. L.39」は「Geschoß(弾丸)」についての表記。「P131」はやはり同じく「Deutsche Waffen- und Munitionsfabrik AG」の製造者コード、ロット番号2で1939年製造」となります。
(5行目)「Zdh」は「Zündhütchen(雷管)」の略。「88」は「1888年式雷管」の意。 「DWM.」は再三出てきてます「P131」が意味する製造者「Deutsche Waffen- und Munitionsfabrik AG」の略記です。「939.」はロット番号、「 L. 38」は1938年製の意味です。でも何故「P131」とコードで秘匿する一方で、このように「DWM」と容易に何処の施設か分かるような記載をするんでしょうか?謎です。

↓箱を開きましょう。箱の下の方に5カ所ボール紙の表面が擦過の痕で白く見えています。箱を重ねた時に中に収まっているカートの腹部分に負荷が掛かるためです。


↓指掛けがあります。


↓まだ中身は見えません。


↓上下2行で何やら型押しされていますが、上の方は何と書かれてあるか分かりません。「JO??」。下は「1938」だと思います。


↓もう一つ蓋があり…


↓この様に開きますと…


↓まだ左右にベロがあります。


↓やっと中身が見えました。


↓はい、15発のカートが薬莢のテーパーに配慮して5発ずつ3段上下の向きを変えて収められています。


↓ヘッドスタンプを接写しました。ヘッドスタンプは先ほど見ました箱のラベルの4行目の薬莢(Patronenhülse)についての情報と同じです。「P131」は「Deutsche Waffen- und Munitionsfabrik AGの製造者コード。右回りに「S*」は薬莢が72%の銅を含む真鍮製であることの意、「4」は「ロット番号4、「39」は1939年製造の意味です。箱のラベルと中のカートが一致していると嬉しいものです。雷管周りの緑色の輪は通常弾であることを意味します。


↓特にキャプションは無い画像です。



大戦中・後期の、例えば鉄製薬莢のカートとか徹甲弾とか曳光弾とかの通常弾とは違うモノも蒐めたいなと思っても近時は税関で止められてしまいます。
また昔はebay(アメリカの)で今回お見せしたWW2時の撃ち殻ダミーカートは出品も全くフリーで買うのもまったくフリーでしたが、もう5、6年も前になりますか、銃器関係の出品が禁じられるようになってからは出品出来ません。「箱だけ」とかギリギリ「装弾クリップ」なんかはOKのようですが。私にとっての「良い供給元」が無くなってしまいました。
私のコレクションは殆どがebay経由でしたので、日本の取り締まり当局が厳しくなってきたのと相俟ってダミーカートの新たな入手がとても困難な状況です。もう国内での売買でしか入手できなくなりました。


それでは今回はこの辺で失礼いたします。またお会いしましょう。さようなら。

  

2021年03月28日

原点「コンバット・マガジン」("COMBAT!";inspired me to collect.)

みなさんこんにちは。
当地大阪でも記録史上最速で桜の開花宣言が出たんだそうで、これもいわゆる温暖化の影響なのでしょうか。近所の桜は5分咲きくらいになりました。
首都圏1都3県に発令していた「非常事態宣言」が「もうみんな慣れてしまってて最早宣言したままにする実質的意味が無い」だとか「自粛疲れしているのを何とかしたい」など、解除理由としては釈然としないことを根拠に去る21日に解除され、一挙にまた感染が拡大しそうな気がします。「まん防」というまた新しいワードを持ち出して何やら世論を煙に巻くように画策しているような...。医療崩壊のリスクを考えると、私のような素人は「ホンマに大丈夫かいな?」と疑問を持ちます。

そんなこんなで本日定刻を1週間過ぎてシトシトと春の雨が降る当地大阪郊外都市からお送りいたします今回のネタは私の蒐集歴の始まるキッカケとなった古い「コンバット・マガジン」をご覧いただきます。と言ってもコレクションに関わる部分だけでして、記事全般を見るわけではありません。どうかご了承ください。

↓コンバット・マガジン1985年6月号の表紙です。「エッ!もう36年も前?!」色んな意味で愕然とします。

これまでの記事の中でも時々触れていますが、この雑誌をたまたま書店で見たのが今に至るミリタリー、ミリタリーコレクション趣味の原点でした。田宮模型のミリタリーミニチュア・シリーズや戦艦・戦闘機のプラモデルなんかをそれまでに作ったりしてたので、ミリタリー関係そのもの自体に対する興味は少なからずありましたが、あくまでも「歴史上の出来事の再現・イメージ」にとどまっておりました。ほかには少年ジャンプなどに載っていた通販会社のモデルガンの広告を見て「これ欲しいなー」と思う程度でした。刑事ドラマや映画のヒーローが拳銃をぶっ放して悪を倒すカッコよさからの興味です。この頃はノッペリとした外観のオートマチックよりもS&Wなどののリボルバーの方が好きでした。
コンバット・マガジンの銃器やそれに関連するミリタリー記事・トイガン記事が毎月楽しみで、程なくライバル誌である「Gun」誌もほぼ毎月購読するようになりました。そんな中で一番の驚きは「軍隊の使っている・使っていたモノを売っている」広告が沢山載っている事でした。軍隊の使っていたモノは博物館に鎮座しているか、若しくはごく限られたホンの一部の人間だけが色んなコネクションでやっとこさ入手できるモノだと思ってたからです。米軍基地が多く存在し、「払い下げ店」の存在が身近である地域の人からすれば「何をそんなに驚くの?」という感じでしょうか。大阪の長閑な郊外都市に住む者にとっては「払い下げ店」の存在は遠かったのです。もちろん知ってる人は知ってたのでしょうけれども。

↓東京ファントムの広告です。ネットの無い頃はこのような雑誌広告だけが私にとっては数少ないミリタリーモノの入手情報源でした。


↓ボールペンで丸印を付けてました。「M1カービンマガジンポーチ」が良品600円、新品1,000円です。この「M-1 カービン/小銃30口径カートリッジ・ポケット」は製造年さえ気にしなければ現在でもデッド・ストックが一つ1,500円程度で入手できますね。国内でも良心的なところでは程度に応じて安価で販売されてます。中には何故かせいぜい「極上品」なのに「3,000円!」なんていう価格設定のお店があったりして、広ーくショップを見渡さないと掴まされる事もあるようです。ほかにもこの画像の中には「この値段だったらこの時に買っておけばよかったなー」と思うモノが幾つもあります。


↓真ん中の「USフィールドパック(名刺カバン)」(M1961コンバット・フィールドパック)の良品が1,800円‼これも当時に買っていればよかったです。現在なら良品であれば3,000円はくだらないでしょう。「名刺カバン」の語がいいですね。


↓「US鉄カブト(M2)一式」良品8,500円。「M2」とありますが、WW2の空挺隊用のM2ヘルメットではありません。この頃は一般的に「M1ヘルメット」とはWW2を通して使われ、その後に重心が低くなるよう高さを低く改良される前のモデルを指し、対して「M2」は、改良後の高さの低くなったM1の事を指して言っていました。ミリタリー業界全体で高さが低くなったM1の改良型を「M2ヘルメット」という別の新しいヘルメットとして認識していた感じです。WW2は「M1」、ベトナム以降は「M2」という概念だったと言ってもいいでしょう。現在だとライナーヘルメットがどの時期のモデルかによっても変わりますが、ミッチェルパターン・カモ・カバーとゴムバンドが付いた「ヴェトナム戦中バージョン」なら国内では8,500円での入手はまず困難でしょう。最低でも15,000円位はするのではないでしょうか。


↓ハイデンの関西ネタ記事です。関西のミリタリーショップの特集です。私の好きだった「ナニワ・ガラクター」も載ってます。まだアメリカ村ではなく島之内にあった時代です。MASHさんはこの頃はアメリカ村にありました。後に火災に遭われたあと浪速区に移転なさいます。この頃はサバゲがジワジワと広がり始めていった時期でした。「サバゲフィールド」などいう今では普通の概念も、この頃にはまだありませんで、河川敷や広い公園、山林に分け入って人目を忍んでお巡りさんや面倒な人に見つからないようにやるのが通常でしたねぇ。もちろん私有地の所有者にしっかり承諾を得てやってたかたもいらっしゃったと思いますが。今より多少はおおらかな感じでしたが、話の分からんお巡りさんに目を付けられたら結構面倒臭いことになってたようです。マナーの悪い集団もあったようです。私は面倒臭い経験はありませんでしたが。


↓サムズ・ミリタリ屋さん。昔から実物だと高価な物をモデル品で提供して下さってます。


↓右上のハヴァーサックが上下逆さまなのはご愛嬌?左のTボーンスコップは欲しかったですが、コレクションしていく優先順位で言えばまだ劣後でしたので後回しでした。右下のレギンスの極上品を注文したら海兵隊用のデッドストックが頂けました。


↓大御所アルバンさん。切手でカタログを請求しましたねぇ。カタログが単なる物品の羅列に止まらず、解説書のようになってまして軍装品についての知識習得に役立ちました。


↓アルバンの広告に赤線で印が付いてますが、高嶺の花でした。


↓ここにも赤印が。でもやっぱり先ずベルトとか弾薬パウチの方が先でした。サバゲ用のヘルメットは中田商店さんで中古のM1(先ほども申しましたが当時で言う所のM2(高さが低くなったM1))ヘルメットの外帽とレプリカの内帽を買って「M1ヘルメット」にしてました。


↓沖縄のアメリカ屋さんです。東京にも支店を展開なさってました。払下げのメッカとも言うべき沖縄から、その価格の低廉さ・品揃えの豊富さで他の払下げ店の追随を許さないような勢いを感じました。私も大変お世話になりました。ただこの頃は私はWW2US装備しか眼中に無く、ヴェトナム戦装備には露ほども興味が無かったのでメリットを享受することは多くは無かったです。今は「もっとこの値段でヴェトナム戦装備品を買っていたらなー」と思います。


↓左上⑯のD「旧型綿ピストルベルト」とは「M1961」ピストルベルトですね。良品が2,000円で買えてたんですね...右の⑱のA「X型サスペンダー」2,000円は買いました。WW2装備で格安でしたから。


↓⑲のA「M2コンバットヘルメットセット」8,000円!(ここでも「M2」となってます。WW2の空挺隊用のM2ではありません。いわゆるヴェトナム戦以降によく使われた「M1低重心改良モデル」です。)ミッチェル・カモ・カバーではなくERDL迷彩カバー付きです。ミッチェル・カモ・カバーは良品がL「リーフヘルメットカバー800円」として売られています。800円ですよ。800円。今ならまあ3,000円は下らないと思います。


↓左側はWW2ファンにとっては今では夢のような価格です。Bの「WW2 6ポケカーキーベルト(BAR用ベルト)」が3,000円!Cの「WW2 10ポケガーランドベルトカーキー又はOD」が良品で2,000円!Hの「WW2コンパスポーチ(写真ではブリティッシュメードですが)」の新品が1,000円、良品が600円です。私は新品を買いました。右側もFの「M16 20連マガジンポーチ」が新品で2,000円!現在ではまあ5,000円は下らないです。Gの「M14マガジンポーチ」が新品800円、良品が600円!これも今なら新品なら4,000円前後はしますよね。


↓右㉔のI 「M16の20連マガジン極上品」が1,200円!今なら4,000円は下りません。


↓ボディーアーマーは現在とあまり変わりありませんね。


↓ナニワガラクターさんも有難いお店でした。今この価格なら凄いんですけれど、この当時でも比較的廉価で提供して下さってました。


↓まだ島之内にお店があった時です。


↓⑥と⑦を買ってサンダース軍曹行軍シーンを再現しましたよ。当時でも2つで5,500円というのは破格でした。アルバンさんなんかでしたらもうちょっとしてました。


↓文:菊月俊之・イラスト:川越のりとのコンビでの連載記事「ミリタリー入門」は初学者の私にとって色んな知識を授けて下さいました。


↓WWIUSユニフォームにも興味をそそられました。菊月先生はWWIUSユニフォーム・装備への思い入れが一入でらっしゃるのがよく分かりました。左ページ下の「アドルフ」さん、今はどうなさっているのでしょうか。ドイツ軍・日本軍・米軍など幅広い品揃えでお値段も比較的廉価で提供して下さっていました。右ページ下の「襤褸」さんは、私の弟が日本軍ファンなのでもう少し後になってからチョコチョコお世話になっていたようです。


↓WWIUS装備にも興味を抱き、蒐集対象にし掛かりましたが、何分現存数が少なくてお値段も私には辛いものでしたので已む無く断念しましたねぇ...。


↓現存数も少なく、あっても保存程度が良いモノが少ないので精巧なレプリカを制作しているショップが海外には沢山ありますが、やはりどうしても私は実物を求めてしまいます。サバゲでなら汚してもいいレプリカですが、フィールドで普通にボルトアクションのスプリングフィールド小銃を携えて戦ってもキワモノ扱いされそうです。


↓巻末に折り込みになってた約B4サイズのポスターの裏面は中田商店さんの広告になっていました。時々このように商品広告ではなく代表者である中田忠雄氏の所蔵する資料が掲載されることがありました。天然資源の乏しい日本が大戦中に本来の原材料ではなく、その「代用物」で作らざるを得なかった「竹製ヘルメット」や「陶製手榴弾」などが掲載されておりまして、私はこれらの掲載は、世間に対する氏の反戦メッセージだと感じました。


↓中田商店さんの広告です。左のE-1403はM1956Hサスペンダーで、1,200円は安かったのではと思います。私はこの頃はまだヴェトナム戦装備に関心が無かったので買いませんでしたが。中田商店さん(中田忠雄さん)はサープラス界・ミリタリー商業界で払下げ品を最も広く一般に普及させたお方であるのは皆さんご承知の通りです。お亡くなりになってもうやがて2年になろうとしています。私はほんの数年前に東京へ行く機会があった時に一度だけ実店舗を訪れたことがあったのですが、昔も今も店頭では偶に物凄いモノが破格で売られることがあるんだそうで、関東の方々が羨ましいです。


↓画像の真ん中E-1524の茶革製のレプリカM-1916ピストル・ホルスターが3,500円。実物のM-1916ホルスターが当時最低でも15,000円程の価格だったので、まだ高校生だった私は「おい、それ」とは買えず、このレプリカを買ってサンダース軍曹になりました。コストパフォーマンスは良かったと思います。



冒頭でも申しましたが、ミリタリー趣味に嵌まって以来30有余年。少ない資金で細々と蒐集して参りましたが知識を得ながらの蒐集はとても楽しいものです。今は物量よりも知識欲の方が勝っているのですが、目の前に「お手頃価格」で売りに出ているとやっぱり心を動かされてしまいます。
インターネットの普及する前は今回見て来ましたように紙媒体の広告と実店舗訪問が物品購入のチャンネルでした。現在はインターネットが主流になっていますが実店舗を覗いて思わぬ発見・発掘をすることもあり、実物の手触りも大事にしていきたいと思います。

今回の記事を書いていて思った事は「沖縄アメリカ屋さんで、M14用のマガジンパウチを20個くらい買っておけばよかった」です。デッド・ストックが800円。タイムマシンがあればなぁ。

それでは今回はこの辺で失礼いたします。またお会いしましょう。さようなら。



  

Posted by Sgt. Saunders at 12:00Comments(0)米軍(U.S.)ドイツ軍(Germany)無題

2021年03月07日

M7 レザー・ショルダー・ホルスター(M7 Leather Shoulder Holster)

みなさんこんにちは。
首都圏の緊急事態宣言を2週間延長することを決めた菅首相は「見極めに必要な時間である」と国民に理解を求めると同時に、宣言を解除することが出来なくて「大変申し訳ない思いであり、心よりお詫び申しあげます。」と記者会見で表明しました。
宣言延長については苦渋の決断だったと思います。ここは私は妥当な判断をなさったと思います。もうあと少しの間は様子を見た方が良いと思います。その上で申し上げたいのは菅首相が「お詫び」する道理は無いという事です。誰かが謝る、誰かに「謝らせる」ことが求められる筋合いの問題ではないからです。ここは政治家の常套句を真の意味で使って「誠に遺憾ですが延長せざるを得ないと判断するに至りました。」で十分だったと思います。


さて、今回のネタは過去記事「M3 レザー・ショルダー・ホルスター(M3 Leather Soulder Holster)」の後継モデルである「M7 レザー・ショルダー・ホルスター(M7 Leather Shoulder Holster)」です。新旧モデルを適宜対比させたりしてお送りします。上の過去記事の中で「私、これはまだコレクション出来ておりません。」と申しておりましたが、やっと昨年その入手機会を得ました。

↓M7レザー・ショルダー・ホルスターです。1942年にM3が開発され、その後1944年に更に安定した装着が可能となったM7が制式化されました。左脇腹にM1911(A1)オートマチック・ピストルを収めるために使用します。例によって東京マルイ製のガスガンM1911A1を収めています。革表面に若干剥げがありますが、比較的まだ程度は良好な方だと思います。


↓裏側です。上の表面に比べて明るい茶色を呈しています。この個体はのちほどにも触れますが、装着した時に表側になる側だけに本来の茶革(ラセット・ブラウン色)の上から黒もしくは濃茶のペイントが施されたと思われます。この画像のホルスター本体裏側の左端5mm程が、元々のラセット・ブラウンよりも濃い茶色で着色されているのがお分かりいただけると思います。また他にも濃い茶色がまだらになっている部分が認められます。


↓左が先輩のM3、右がM7です。左のM3は右肩へのショルダー・ストラップがひとつ付いているだけですが、右のM7にはショルダー・ストラップに加えてもう一本「右脇腹ストラップ」が付いています。胸から右脇腹を通り背中を廻ってショルダー・ストラップの任意の位置へ連結して、ホルスターの身体への密着度合いを高めます。ただこの個体のオーナーはショルダー・ストラップを短く調節して左肩から吊るすようにしてます。実際戦場写真を見ていますと、身体からの装脱着を素早く出来るように左肩掛けにしている例も多いです。この場合撫で肩の人は「右脇腹ストラップ」を可成りタイトに留めておかないとホルスターが肩からずり落ちるような気がします。


↓裏面です。荒っぽく言えば、M3とM7の違いはストラップが1本多いかどうかです。細かい違いを申しますと、左のM3のショルダー・ストラップは長さ調節のためのバックルがある細い方はDリングを介してホルスター本体に連結し、もう片方の端は幅が広くなってホルスター本体に直接縫い付けられているのに対し、右のM7では、M3ではショルダー・ストラップがホルスター本体に直接縫い付けられていた部分には新たなDリングが設えられていて、ショルダー・ストラップの両端ともホルスター本体とはDリングを介して連結されます。1本増えた「右脇腹ストラップ」の長さはショルダー・ストラップと同形のバックルを使って調整します。


↓M3ではショルダー・ストラップの片側だけでバックルを使って長さ調節する作りで、ストラップは肩側へ行くにしたがって幅が広くなってそのまま本体へ縫い付けられていましたが(海兵隊用のモノの中には幅が変わらないモノがありました)、このM7ではショルダー・ストラップは両端がDリングを通る構造であるためその幅が一定不変のストレートなモノとなり、肩に掛かる部分の幅はM3に比べて細くなったため、肩に食い込まないようにとショルダー・パッド?が加えられました。


↓一枚の革に切れ目を入れてそこへストラップを通すだけの至ってシンプルなものです。


↓M3だったらショルダー・ストラップがホルスター本体に直接縫い付けられている部分です。M7だとこのように画像上の方からのショルダー・ストラップがこのDリングに通って帰って行きます。右からの「右脇腹ストラップ」のクリップが同じDリングに留められます。ここはクリップ留めにしておかないと着脱が大変です。


↓上の画像を表側から見た図です。クリップは他の装備品でよく見られるものよりも小さく作りもシンプルです。


↓「右脇腹ストラップ」のもう一方の端はショルダー・ストラップに繋がれています。末端はストラップに穿たれた小孔を使って革紐で留められています。


↓両ストラップともこのタイプのバックルで長さを調整します。中央に見えている突起をストラップの孔に嵌めて固定します。

作り・ストラップの通し方(という程大層なものではありませんが)は過去記事「M3 レザー・ショルダー・ホルスター(M3 Leather Soulder Holster)」の後半をご覧下さい。


↓ショルダー・ストラップも同じく末端はストラップの小孔を使って革紐でDリングに留められています。しかしまぁ、ストラップの取付けは調節のし易さや個々人の好みもありますので上下・左右が逆になっている場合も大いにあります。


↓冒頭で申しましたように、この部分を見ても元々のオーナーが、装着時に表側となる方に黒若しくは濃茶のペイントを施したのではないかと推察できます。クッキリと「着色未・了」が分かる跡があります。茶革を黒く染めたり着色する例はM1916ヒップ・ホルスターでも見られます。と言うのも1950年代にホルスター等の茶革装備品の色調が茶から黒へと仕様変更され、それに合わせる形で既存の茶革ホルスターも兵士個人レベルで黒く染められたり着色されたからです。恐らくこの個体はヴェトナム戦中頃に黒く着色されたのではないかと私は思っております。


↓表側です。ショルダー・ストラップや背中ストラップを除くホルスター本体はM3と同じです。オーバルの中にUSの型押し。その左下の水平の切れ込みはピストルのトリガー・ガード前端を受け止めるためのモノです。Lift the Dotの付いたストラップでピストルを固定します。


↓肩から吊るしたホルスターがバタつかないようピストル・ベルトやトラウザース・ベルトを通して留めるためのストラップもM3と同じです。


↓ただこの個体のオス・スナップの形状は、あまり、と言うか初めて見る形です。


↓普通に見られるのは左のM3のようなモノだと思います。右のM7のモノは穴が開いていません。個体差だと思いますが見慣れてないので何か妙な感じです。私だけでしょうか?


↓ストラップのメス・スナップは見慣れた形です。少し見難いですが「UNITED CARR」社の名前があるのがお分かり頂けますでしょうか。時計の文字盤に準えると2時から6時の位置に「UNITED」、11時から8時の位置に「CARR」です。


↓最後にホルスター裏面左上隅の刻印。「USMC」、「BOYT」、「44」。1944年Boyt社(Boyt Harness Company)製の海兵隊向け製造のモノです。もちろん同社は陸軍向けにもホルスターやその他数多くの革装備品・布装備品の製造をしています。先ほど触れました見慣れない形のオス・スナップは「海兵隊用モデル専用」なのでしょうか。




はい。M3の進化形M7についてお送りしました。
ピストル・ベルトなどで腰からぶら下げるM1916 ヒップ・ホルスターと異なり、身体に密着して装着するので装甲車両などの狭い車内や航空機内でのピストルの携帯が軽快です。まあそれがこのM3、M7の開発目的だったのですが、戦車兵やパラトルーパーだけでなく、WW2中の太平洋戦区やヴェトナム戦でのジャングル戦で「いろんなものが引っ掛かりにくい」利点が活かされ一般歩兵や特殊部隊でも多用されました。
本個体もWW2中からヴェトナム戦に至るまで途中で着色されながら使われ続けたのだろうなと勝手に想像しております。

過去記事のM3はもう15年くらい前に入手しまして、その時には「いつかM7も…」と思いましたが、それから長い月日が流れて昨年ようやく今回のM7を手にする機会を得ました。しかも「USMC海兵隊モノ」というレア・アイテムの範疇に属するモノで、たいへん嬉しく思いました。「着色処理」され、革の表面が一部剥落しているためか、価格は破格の1万円ちょい程でした。しかも国内のミリタリー業者さんから購入させていただいたモノです。「普通」の国内業者さんだったら多分こんな価格で販売なさることは無いと思います。私のようなプロレタリア・コレクターにはとてもありがたい存在です。

レプリカが国内・国外製で沢山出ています。価格は大体国内で7,000円程、アメリカebayなどではUS40程ですが、金具・革の質・染色・縫製のいずれに於いても満足のいくモノはまだ無いように思います。もうちょっと頑張って欲しいところです。



それでは今回はこの辺で失礼いたします。またお会いしましょう。さようなら。



  

Posted by Sgt. Saunders at 12:00Comments(0)米軍(U.S.)Holsters

2021年02月21日

US M1カービン・マガジン・ポケット(ナイロン縁)(M1 Carbine Mag Pocket(Nylon edge)

みなさんこんにちは。

メディアでは「東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長を辞任した森喜朗氏」なんて書かれたりしてますが、「辞任した」のではなく「辞めざるを得ない原因を作ったのに言い訳に終始して、世論に許されず、周りからも辞めて欲しいと声が上がり、やっと『俺が辞めないと収まらんのだな』と観念して辞任せざるを得なかった」が真理です。後任もすったもんだの末橋本聖子さんが五輪相を辞めて就任し、五輪相の後任には元五輪相の丸川珠代さんが就任して何とか落ち着くことになりましたが、この後どうなる事やら。新型コロナウィルスワクチン接種が優先順位に従って始まりました。美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長の呼びかけで始まり、河村たかし名古屋市長も協力した大村秀章愛知県知事リコール署名で、70%が偽造署名であると県の選管が発表。ミャンマーでは国軍がクーデターを起こし、それに対する抗議デモに参加した女性が頭を撃たれて死に至り、昨日もデモ参加者の男性2人が射殺されました。

さて、今日の予想最高気温が20℃という4月中旬の気温となりそうな当地大阪郊外都市からお送りします今回の記事は、最近入手したモノ(Recent Acquisitions)から、U.S. M-1 カービン/小銃30口径カートリッジ・ポケット(Pocket, Cartridge, Caliber .30, M-1, Carbine Or Rifle)です(記事タイトルでは文字数の制限がありますので省略した名称にしました)。
「今更?前にも記事にしとるやろ」と仰ると思います。その通りでして、例えば「M1カービン用マガジン・ポケット(Double-web Magazine Pocket for M1 Carbine )」(←クリックで別ウィンドウで過去記事が開きます。以下同じ)や、「M1カービン15連マガジン用パウチあれこれ(Magazine pockets for M-1 Carbine)」とか、「WWⅡU.S.マガジン・パウチ(その1)(WWⅡU.S.magazine pouches:#1)」とか、「WWⅡU.S.マガジン・パウチ(その2)(WWⅡU.S.magazine pouches:#2)」とか。本当にさんざんやってますね。それぞれ重点ポイントの置き場所は違うのですが。
で、何故今再び?という所ですが、「シェードの違い」とか「『ストック・タイプ』は『M1カービン専用』のことで『ベルト・タイプ』は『ガーランド小銃とカービン兼用』です」という観点ではない別の観点から採り上げました。タイトルでお分かりだとは思いますが、わたくし的にはちょっと驚きでしたので。

↓WW2終結年の1945年製U.S. M-1 カービン/小銃30口径カートリッジ・ポケット(Pocket, Cartridge, Caliber .30, M-1, Carbine Or Rifle)です。ポケット本体は一般的なコットン・ダック製。縁取り(Binding)がナイロン・テープであることが今回採り上げたポイントです。ナイロンは実際この頃には既にストッキングなどで民生品として出現していたのは知ってはいましたが。ヴェトナム戦中にナイロン繊維装備が本格的に採用されますが、それより前の1940年代中に既にナイロンが一部であるにせよ野戦装備品に採用されていた事は知りませんでした。


↓フラップを開きました。「AVERY」社の1945年製。同じAVERY社製の同じく1945年製で全コットン製なモノは結構ザラに見られますし、私も蒐集しています。縁取り以外の造りは一般的なWW2中のモノと同じです。


↓これです。同じAVERY社1945年製の全コットン製のモノです。冒頭でご案内した過去記事「WWⅡU.S.マガジン・パウチ(その2)(WWⅡU.S.magazine pouches:#2)」から画像を持ってきました。現物を持ってきて両方を並べて撮影すればいいんですけど、探し出すのが結構大変ですので今回はオミット。


↓ナイロン縁はフラップ周りとそれに続くサイドで終結します。ポケットの下辺はコットン・ダックです。過去記事と被るのを承知で申しますが、背面にはピストル・ベルトに通すためのループが設えられているだけです。この点がM1カービン専用の「POCKET, MAGAZINE, DOUBLE, WEB, FOR CARBINE, CALIBER .30, M-1(30口径M-1カービン用ウェブ製・ダブル・マガジン・ポケット)、通称「ストック・パウチ」と異なる点の一つです。


↓縁取りのナイロン部分の拡大です。ナイロン縁取りの縫い合わせは、ナイロン生地自体の末端を下へ折り込む処理はせず、裁断端は露出したままで襞(ひだ)が出来ています。


↓ファスナー(Lift the Dot)は黄銅製で、「Klikit」と「✡」と「PULL」のマークのRAU FASTENER Co.社製だと分かります。


↓サイドの縁の下端は2cm程折り返して処理されています。ヴェトナム戦時のナイロン装備のように「溶断」処理ではありません。




M-1 カービン/小銃30口径カートリッジ・ポケットにナイロン縁取りのモノがある、しかも1945年中に出現していた事を今般初めて知りました。長くこの趣味を続けて来ましたが、やはりまだまだ知らないことが多いのだと、まぁ当然のことですが痛感させられました。
このM-1 カービン/小銃30口径カートリッジ・ポケットは息の長いアイテムでヴェトナム戦中辺りまでは製造されていますので、ひょっとしたら全ナイロン製のモノもあるかもしれません。
因みに今般入手したモノ、価格は送料込みでUS$22でした。普通の一般的な全コットン製のモノの平均値よりほんの少し高めかなと思いました、その売主は全コットン製のモノも同じ価格で販売なさってました。

それでは今回はこの辺で失礼いたします。また2週間後にお会いしましょう。さようなら。



  

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2021年02月07日

U.S.アムニッション・キャリング・バッグ(後期型)(Bag,Carrying, Ammunition(TypeII))

みなさんこんにちは。
当地大阪某郊外都市は毎日最低最高気温の変化が激しいです。昨日は風も少なく最高気温が15℃を超え「春」を感じました。また、そろそろ花粉の飛散時期ですので、その対策も必要になって来ました。
新型コロナウィルスの感染者数の増加を踏まえての緊急事態宣言下、ややその増加率が若干低下したかのような様相を見せたりそうでなかったり、ワクチン接種がようやく現実的なものとなってくるなど情勢は日々変化しています。

そんな中で東北新社の幹部が総務省幹部を接待した席に同社に勤める菅首相の長男も同席していたとか、非常事態宣言下での与党国会議員の深夜の飲食店訪問問題で当初「一人で訪れた」との説明が実はウソで、「一人ではなく後輩議員も連れて3人で行ってた」のがバレた問題、新型コロナウィルスの感染防止策として政府の後押しで導入された接触確認アプリCOCOAの3割が4カ月間も機能してなかった問題、東京オリ・パラ大会組織委員会の森喜朗会長が女性に関して不当な発言を行って、それに対する批判を受けての記者会見では逆ギレしたりと、「お前ら何やってんねん!」と言いたくなることが続発しています。

さて、今回は前回の続きで「U.S.アムニッション・キャリング・バッグ(後期型)(Bag, Carrying, Ammunition(Type II))」をお送りします。隔週日曜日正午の投稿定刻通りにお届け出来ました。

↓前回も出ました画像。右が前回記事で詳解しました「初期型」、左が今回お送りする「後期型」です。


↓初期型・後期型の区別は、このキャリング・ストラップの各末端に設えられている金具の違いに由るものです、という事は前回でも申しました。右の初期型では両方ともスナップ・フックが付いているのに対し、左の後期型ではバッグ正面から見て左側のキャリング・ストラップにDリング、右のキャリング・ストラップにスナップ・フックが付いています。これもまた前回でも申しましたが、「『カーキ』が初期型、『OD』が後期型」という「色調(シェード)」のみを以て区別した訳ではありません。もっとも時系列的には『カーキ』の方が先なのですが。


↓後期型を正面から。


↓この図面も前回記事で掲げました。図面上でこのように仕様変更がなされる前後で区別しての「後期型」です。後期型の本図では本体左側の金具は青囲みの通りDリング、右側の金具は赤囲みの通りスナップ・フックです。初期型では金具は両側ともDリングです。残念ながら「初期型」の図面はまだ入手出来ていません。


↓キャリング・ストラップ同士を結合させて持ち手に出来るという点は初期型と同じです。


↓肩掛けにするために「ジェネラル・パーパス・キャリング・ストラップ(Stock No.74-S-333-50)」を繋ぎます。先輩モデルである「M-1936 od フィールド・キャンバス・バッグ・キャリング・ストラップ(Stock No.74-S-333)」は両端がDリングなので、バッグ本体の左側のキャリング・ストラップのDリングとは、Dリング同士になってしまうため繋ぐことが出来ません。


↓因みにこれが両端がDリングの「M-1936 od フィールド・キャンバス・バッグ・キャリング・ストラップ(Stock No.74-S-333)」です(補給部(需品部)Quartermaster Supply Catalog 1943年8月版 Sec.1より引用)。キャプションにあるようにM-1936 od フィールド・キャンバス・バッグやアムニッション・バッグ(赤下線)、ディスパッチ・キャンバス・ケース(いわゆるマップ・ケース)を担うのに使用されました。赤下線で言う所のアムニッション・バッグは必然的に「初期型」のバッグを指していることになります。後期型のバッグを担うにはバッグの左側キャリング・ストラップのDリングと繋ぐことのできるスナップ・フックが付いた上画像の「ジェネラル・パーパス・キャリング・ストラップ(Stock No.74-S-333-50)」が必要です。


↓上のQuartermaster Catalog 1943年8月版 Sec.1に掲載されていたM-1936 od フィールド・キャンバス・バッグ・キャリング・ストラップ(Stock No.74-S-333)は、後のQuartermaster Suply Catalog 1946年5月版 QM3-1 でこのように掲載されています。扱いがExpendable(消耗品)になり、「限定採用―費消限り支給」となります。キャプション下線部にもありますように、「このストラップは次のページで掲載のジェネラル・パーパス・キャリング・ストラップに替えられました。」


↓はい、次のページです。「ジェネラル・パーパス・キャリング・ストラップ(Stock No.74-S-333-50)」です。先輩モデルと同様にM-1936 od フィールド・キャンバス・バッグ、アムニッション・キャリング・バッグ、M-1938ディスパッチ・キャンバス・ケースを担うのに使用されました。こちらのキャプションでも赤下線部で先輩モデルたるM-1936 od フィールド・キャンバス・バッグ・キャリング・ストラップに替わるモノですと記されています。両端にスナップ・フックがありますので相手がDリングの場合は勿論、相手がスナップ・フックでも繋げます。


↓背面には特に何もありません。


↓側面も…


↓底面も、初期型と何ら変わるところはありません。


↓USのプロパティ表示。あとで見ますが、この個体は1951年製ですので省略記号の「.」無しの「US」表示が通常となった時期に突入した後のモノです。WW2中でもこの省略記号「.」無しの「US」表示は一部で見られましたが、殆どは「U.S.」でした。


↓上蓋を開けて内側を見ます。制式名称「Bag, Carrier, Ammunition」とストック・ナンバー「74-B-54-30」、製造者「TACOMA TENT & AWNING」、1951年製造、NYQMPA(New York Quartermaster Procurement Agency:ニューヨーク補給部(需品部)調達庁)」の表示。この個体はWW2後の1951年、すでに朝鮮戦争勃発後の製造ですが、「後期型」はWW2中の1944年には製造され始めています。私はまだWW2中製造分の「後期型」は入手出来ていません。また名称についてですが「carrying」ではなくて「carrier」となっている点に注意です。WW2後1945年前後から製造年と製造者名に加えてその装備品のストック・ナンバーやその名称も併せてスタンプ表記されるようになり始めるのですが、このような微妙な名称の表記違いや語の省略、簡素な言い換えはしばしば見られることです。


↓内部構造も初期型と全く同じです。右半分がポケット構造なのも同じです。


↓わざわざ区画を設けているのには、やはりそれなりの用途があるのでしょうが、私はまだ未解明です。


↓「初期型」の記事の時と同じように裏表をひっくり返しました。しっかりしたポケットです。


↓上蓋を留めるのに使うバックルは打ち抜き真鍮製。錨の刻印はNorth & Judd Mfg. Co.製であることを示します。


↓スナップ・フックも真鍮製。丸に錨のマーキング、これも上と同じNorth & Judd Mfg. Co.製でしょうか?丸が付いてるのでまた別の会社でしょうか?すみません。まだ未解明です。


↓はい、またまた出ました川越のりと先生による「コンバット・マガジン巻末イラスト・ポスター」シリーズの「ARMOURED INFANTRY」です。WW2ヨーロッパ戦線・1944年冬からのバルジの戦いで行軍中の小休止でしょうか。肩に掛けていたアムニッション・キャリング・バッグを傍らへ降ろして休息をとる兵士の図です。


↓ここに詳解されています。キャプションが「Ammunition Bag Cal..30(30口径弾薬バッグ)」となっていますが、表側・裏側の図と、スナップ・フック、肩掛けにするためのジェネラル・パーパス・キャリング・ストラップ(Stock No.74-S-333-50)が描かれています。


↓だがしかし、この兵士のイラストには「あれ?」と思う点がありました。緑丸の部分、肩掛け用のストラップの金具がDリングであります。これは青囲みの、両端の金具がスナップ・フックであるジェネラル・パーパス・キャリング・ストラップ(Stock No.74-S-333-50)とは異なる、その先輩モデルであるM-1936 od フィールド・キャンバス・バッグ・キャリング・ストラップ(Stock No.74-S-333)でありまして、となると、彼が傍らへ置いているアムニッション・キャリング・バッグは、どちら側の金具もスナップ・フックであるところの「初期型」バッグであらねばなりません。つまり、右下の赤囲いのモノは「後期型」でありながら、イラストの彼が使っているモノは「初期型」であるという点に「」あれ?」と思った次第です。イラストに接してからウン十年経って今気付きました。



2回に亘って「アムニッション・キャリング・バッグ」初期型・後期型についてお送りしました。

このアイテムも私の蒐集遍歴の中では比較的入手の遅かった部類に入ります。現在ではあんまり出物が無いようです。さっきebayやミリタリーショップのサイトを覗きましたが、レプリカは結構出ていましたが当時モノは少なかったです。大体US$40前後で入手出来そうです。前回も申しましたが、国内でも出物は少ない印象です。価格で言えば5,000円ほどあればソコソコ程度のいいモノが入手可能かなと思いますので、出物があれば即入手しておいた方が良いモノの一つだと思います。

それでは今回はこの辺で失礼いたします。ありがとうございました。



  

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2021年01月24日

U.S.アムニッション・キャリング・バッグ(初期型)(Bag,Carrying, Ammunition(Type I))

みなさんこんにちは。
バイデン新大統領の就任式典が無事終わりました。トランプさんはバイデン新大統領にまみえてエールを送ることなく、やや控え目に最後っ屁を放ってフロリダへ去っていきました。
新型コロナウィルスの猛威の中、世界はどうなっていくのでしょうか。我が国日本はどうなっていくのでしょうか。我々はどうしていくのでしょうか。

さて、雨の当地大阪郊外某市の寓居から定刻を40分過ぎての新年2回目の投稿でお送りする今回はWW2US陸軍歩兵の一般装備品である「アムニッション・キャリング・バッグ(Bag, Carrying, Ammunition)」についてのココロです。

↓タイトルにあります通り、「アムニッション・キャリング・バッグ(初期型)」です。過去記事で「やたらと『初期型』『後期型』だのという語を使って、いたずらに必要の無い分類をするべきではない・・・」云々と申しました事がありましたが、今回のネタでは初期・後期の語を使います。なぜ使うことになるかは一番最後にご説明致します。


↓キャリング・ストラップの末端部分です。このようにスナップ・フックが付いています。このスナップ・フック同士を結合させて短めの持ち手とすることも出来ますし、M-1936 od フィールド・キャンバス・バッグ(通称ミュゼット・バッグ)用のM-1936 od フィールド・キャンバス・バッグ・キャリング・ストラップ(Stock No.74-S-333)を連結してバッグを肩掛けにすることも出来ますし、スナップ・フックをピストル・ベルト等のハトメ穴(アイレット)に掛けてぶら下げることも出来ます。


↓いま上で見ましたキャリング・ストラップはバッグ両側面にチョンチョンと縫い付けられて終わり…ではなく、このように両側面から底面までグルッと1本の帯としてバッグ全体を取り巻くような形で縫い合わされています。
本バッグはその名の通り重量のあるアムニッション(ammunition:弾薬)を運ぶためのモノですので、キャリング・ストラップの末端が単純にバッグ本体に縫い付けられるだけでは荷重負荷がその部分に集中することにより縫い目が破損し易く、また、バッグ本体の生地に重量が掛かることによる生地の縫い目の裂け、若しくは生地自体の破れの恐れがあるため、それを防ぐべくこのように底面にまでキャリング・ストラップが廻る構造になっています。水抜用のハトメ穴が1つあります。


↓背面です。今まで見て来ましたが、バッグ本体はODシェード#3でストラップや縁取りテープがODシェード#7の、いわゆるトランジション(transition:変遷期)・モデルです。布製装備品全般に亘る1943年半ばからのODシェード変更によって異なるシェードの部材同士が組み合わさった結果ですので、多くの装備品で広く見られ、特に珍しくもありません。もちろん全ての部材がODシェード#3である個体もあります。


↓指で指している部分、本来は下方に見えているDリングが同じように在ってしかるべきなのですが、本個体ではタブからリングだけ綺麗に取り去られています。このDリングの使い道ですが、一例としては、パラトルーパーが先ほど触れましたようにキャリング・ストラップを用いて本バッグを肩掛けにして、バッグを太腿側面位置に来るようにし、Dリングに布テープを通して太腿に結わえ付ける、というのが挙げられます。


↓はい、またまた出ました川越のりと先生による「コンバット・マガジン巻末イラスト・ポスター」シリーズの「RHINE CROSSING」で太腿への固定の具合がバッチリお解り頂けます。


↓これです。このポスターでも左の赤囲いの通り本バッグが詳解されています。但しキャプションに「Ammunition Bag, Cal..30」と表示されています。また、冒頭で申しましたように「初期」「後期」の話に関わってくる箇所があるのですが、また後で。


↓軍の図面です。赤丸で示しましたように側面には上・下にDリングが設えられています。本個体では左右両方とも上部だけリングが取り去られています。

この図を含め、補給品部・需品部(Quartermaster Corps)の当時の図面(drawings)の画像データを入手出来ました。今後ちょくちょく引用すると思います。

↓再び正面です。上蓋は「目」の字型バックルとウェブ・テープによって留められます。上蓋の縁取りがODシェード#7です。


↓「U.S.」のプロパティ表示。アポストロフィありの表示です。


↓蓋の裏側です。製造者と製造年のスタンプはこの場所にするよう定められています。


↓本個体は製造者が「HARIAN」社、製造年は1944年製です。


↓内部です。私、まだこのバッグの使用法をマスター出来てません。理由はこの構造です。入手するまではただの袋(バッグ)だと思ってましたが、ご覧の通り右側の方に「ポケット」が設えられています。先ほど見た軍の製図でも、上の方で単に「POCKET」と表記されているだけです。


↓本体の生地よりも薄目の6.5オンス・コットン・ドリルで出来ています。


↓表裏をひっくり返しました。バッグ内部の「仕切り」ではなく、底も有する完全に独立した区画になっています。水抜きハトメ穴も設えられています。袋の中の袋という体です。バッグ容積の約半分はあろうかという大きさです。


↓上から見ました。


↓元へ戻しました。ポケットを側へ寄せますと弾薬箱がすっぽり入ります。弾薬箱ごと入ることからも分かりますが、バッグの厚みは5インチ±0.25インチで、30-06弾が楽々収まります。ポケットはどのように利用するのでしょうか?30-06弾に限らず手榴弾やら何やらかんやら運ばれるのに使われたのでしょうが、「正式」な利用法はどんな風だったんでしょう。


↓上蓋のバックルに目を遣ります。鋳造真鍮製、打ち抜きプレス真鍮製、打ち抜きプレス鋼製、鋳造亜鉛合金製などありますが、本個体は打ち抜きプレス鋼製です。錨のマーキングはNorth & Judd Mfg. Co.製の印です。


↓キャリング・ストラップのスナップ・フックは真鍮製で無銘です。


↓冒頭での『初期型』『後期型』のお話にかかる画像です。右は今まで見て来た個体、左は全体がODシェード#7のモノです。シェードの違いで『初期型』と『後期型』を区別するのではありません。まあ、勿論シェードに関しても大雑把に言えば「初期の『カーキ』、後期のいわゆる『OD』」という言い方もできますが、シェードの違いではなく、構造上(スペック上)の明確な差異(変更の前後)で区別しました。


↓その構造上の差異がコレです。キャリング・ストラップの末端の金具が、右の初期型はどちら側もスナップ・フックが付いてますが、左の後期型は向かって右側はスナップ・フック、左側はDリングが付いています。


↓再び図面を見ます。左の青囲みにはDリングが、右の赤囲みにはスナップ・フックが描かれています。実は今まで見て来ましたこの製図は後期型のモノで、右下の日付を見ますと1949年11月22日となっております。開発当初(1941年)の製図は未入手ですが、当初はキャリング・ストラップの両端ともスナップ・フックが付けられ、その後1944年にこの製図と同じように仕様変更がなされました。この仕様変更は、両端がDリングの付いていたM-1936 od フィールド・キャンバス・バッグ・キャリング・ストラップ(Stock No.74-S-333)がジェネラル・パーパス・キャリング・ストラップ(Stock No.74-S-333-50)に置き換えられるのと同様、この頃に行われた装備品のマイナー・チェンジの一環です。

川越のりと先生のポスターの中の本バッグのイラストは後期型になっています。画像が小さくて申し訳ないのですが、別画面で画像として開いて拡大して見てください。


以上です。いかがでしたでしょうか。
このバッグも「カーキ」か「OD」かで、若干の価格の高低はありますが、国内では5,000円もあれば程度の良いモノが入手出来そうです。ネットをちょっと覗いてみましたが、出物はあんまり無いようなものの、価格はまだ比較的落ち着いている印象です。私はebayで数年前にUS$35前後で落札出来た記憶があります。

それでは今回はこの辺で失礼いたします。次回は後期型について見て行きたいと思っています。





  

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2021年01月11日

U.S. M-Q1 OD・パイル・フィールド・キャップ(Cap, Field, Pile, OD, M-Q1)

みなさま、新年明けましておめでとうございます。
新たな年を迎えられたのはおめでたく嬉しいですが、やはりどうしても触れずにはいられないのが新型コロナウィルス関連の話題です。
感染者数の増加の勢いがもの凄く、7日に関東の1都3県に「非常事態宣言」が出され、大阪・京都・兵庫も政府に対し宣言を出すよう求めるそうです。一般市民レベルで出来る外出自粛・マスク着用・家庭内感染防止を徹底して、感染者数の増加防止に努めたいと思います。コロナ禍の中生活に困窮している方々への経済的支援をしっかりと行うよう国・自治体にお願いします。

さて今年もまたこれまで得て来たまだまだ乏しい知識を交えながら蒐集品をご覧に入れたいと思います。よろしければお付き合いください。引き続き隔週日曜日正午投稿を目標にしております。間違い等のご指摘は大歓迎です。

新年最初のネタは何にしようかと考えましたが、ネタ探しに行き詰った時に時々頼っております故川越のりと先生の「コンバット・マガジン巻末イラスト・ポスター」シリーズを見まして、急激な寒波到来とも相俟って「そうだ、これにしよう!」と決めましたのがアメリカ軍が朝鮮戦争時に使い始めました「M-Q1 ODパイル・フィールド・キャップ(Cap, Field, Pile, OD, M-Q1)」です。新年早々いきなり目標から一日遅れでお送り致します。

↓故川越のりと先生の「コンバット・マガジン巻末イラスト・ポスター」シリーズの「B.A.R. MAN」です。この米陸軍兵士が頭に被っている…


↓この帽子、これが「M-Q1 OD・パイル・フィールド・キャップ(Cap, Field, Pile, OD, M-Q1)(Stock No.73-C-16736-xx)」です。イラストのキャプションには「FieldとOD」の語がありませんが。


↓1943年に開発されWW2末期に採用されていた先輩モデル「Cap, Field, Pile, OD(Stock No.73-C-16350~73-C-16375)」と仕様・形状はよく似ていますが、バイザー内側にもパイルが施されていて着用者の視界の妨げになり不快であるというクレームを受け、Quartermaster(補給部・需品部)がバイザーからパイルを取り去り、後頭部から顎周りの裁断等を若干見直して1948年にこのMQ-1を開発しました。なので「M-1」ではなく「M-Q1」なのだそうです。ただ朝鮮戦争勃発時にはまだ先輩モデルの在庫も沢山ありましたのでそちらも同時に供用されています。さらに本MQ-1も程無く特に改修されることも無く標準化され、名前も新たに「Cap, Field, Pile, OD, M-1951(Stock No.73-C-16240)」となります。よって朝鮮戦争中には「Cap, Field, Pile, OD」、「Cap, Field, Pile, OD, M-Q1」、「Cap, Field, Pile, OD, M-1951」の3種が使用されたことになります。



↓ウェブからの拾い画です。おそらくアメリカのナショナル・アーカイブだと思います。違ってたらスミマセン。右の空軍将校が被っているのがM-Q1若しくはM-1951です。バイザーを上に裏返していますが、パイルがありません。一方左の将校はバイザーにパイルの張られている先輩モデル「Cap, Field, Pile, OD」を被っています。二人ともバイザー裏面に階級章を着けています。軍制式なのかはまだ調べてませんが一般的なスタイルです。


↓フラップ(earlap)を下ろすとパイルが寒さから耳・頬・顎・後頭部を守ってくれます。右フラップにあるコードと表地の間のループ部に左フラップの先端を滑り込ませ、両フラップからのコードを顎下で結んで顔に密着させます。暖かいですよ。冬のサバゲはM1ヘルメットではなく、これを被って朝鮮戦争コスチュームでもいいかも。BB弾からも耳・頬をガードしてくれますし。


↓繰り返しになりますが、このM-Q1にはバイザー内側にはパイルは張られていません。また、バイザーの付け根には細い三日月状のスウェットバンドが見えます。帽子本体の内張はコットン混紡のウールです。表地はコットン・ポプリンです。


↓先程の写真の将校のように、フラップを下ろさず頭頂部へ上げてコードを使って固定します。


↓パイルはM1967ナイロン・ウォーター・キャンティーン・カバーの内張りアクリル・フリースと同じような毛足です。但し化学繊維のアクリル・フリースとは違ってもっと暖かいような気がします。


↓バイザーは帽子をちゃんと被るとピン!と上へ反ってくれます。


↓内側の拡大。コットン・ツイルのスウェット・バンド真後ろの箇所にスタンプによるサイズ表記「7 1/4」。帽体内側左右にラベルがあります。


↓右側に名称と使用上の注意書きです。


↓曰く、(1)フラップ上留め-右のフラップのループに左のフラップを通し、紐穴を合わせる。左のコードを両方の紐穴に通して結ぶ。(2)フラップを下ろす-左のフラップの両方の紐穴にコードを通し、左のフラップを(右の)ループに通して結ぶ。(3)ヘルメットと共に着用する時-パイル・フラップは下ろすべし。パイル・キャップにフィットするようにヘルメット・ライナーを調節せよ。(4)このキャップは洗濯してはならない。ドライ・クリーニングだけ。


↓帽体左内側のタグ。名称やサイズ表記、製造者等の情報が書かれてあります。


↓名称は「Cap, Field, Pile, OD, MQ-1」。何故かさっきまで見て来た「M-Q1」ではなくハイフンの位置が違っています。どっちが本当なんでしょうか。ウェブを眺めると「M-Q1」の方が多いようです。サイズは7 1/4インチ、製造者はHAMELCO INC.。ほか契約日・契約番号、調達仕様書日付、ストック・ナンバー(73-C-16376-55(このサイズで))、ニューヨーク補給品部(需品部)調達庁(NYQMPA:New York QuarterMaster Procurement Agency)の表示。あと、ALPACA(パイル)の素材が60%ウール、40%コットンで、帽体ライニングの素材が80%ウール、20%コットンであるとのこと。ライニングはM41フィールド・ジャケットのライニングと似た感じのやや薄手なものです。



はい、新年一回目はいかがでしたでしょうか。実はこのアイテムは極最近入手いたしましたモノです。
WEBではM-1951もM-Q1もゴッチャにされている印象です。レプリカも沢山出ていて、その値段も「一万五千円!」などと驚愕のお値段が付いているモノがあったり、びっくりしました。実物デッドストックがまだまだソコソコebayなどで入手可能です。私もさる海外のショップからUS$30程で買いました。送料を加えても日本で5,000円で売れたらコーヒー2杯分くらいは儲かる?

このパイル・キャップは「M-1951」の後DSA・FNS時代以降も名称や若干の素材変更こそあれ供用が続いています(例えば「CAP, FIELD, COTTON POPLIN, WOOL PILE, OG」等)。価格は程度にもよりますが、朝鮮戦争時から60年代のモノ全部ひっくるめて大体5,000円くらいから8,000円位でしょうか。結構高値だなと感じます。レプリカで一万円越えもあるほどですから、ファッション・アイテムとしての人気があるんでしょうね。

また、老婆心ながらコレクション初心者の方に注意喚起いたしますが、同じ「M-1951」でも帽体に内張の無い、耳当て部分が内側に折り畳める薄手の「M-1951 コットン・フィールド・キャップ」やその派生モノとは全く別モノですので注意が必要です。まあビジュアルが全く違いますので見て間違う事は無いと思いますが、カタログなどの文字ヅラだけで見てると間違いそうです。


それでは今回はこの辺で失礼いたします。また2週間後にお目に掛りたいと思います。ご機嫌宜しゅう。



  

Posted by Sgt. Saunders at 12:47Comments(0)米軍(U.S.)Headgears

2020年12月27日

FM 21-100 ソルジャーズ・ハンドブックNo2(FM 21-100 Soldier's Handbook #2)

みなさん、こんにちは。
「勝負の3週間」で勝ったのか負けたのか。結果は明白です。新型コロナウィルス感染者数の増加傾向は全く衰えることなく、寧ろ勢い付いています。Go toが外出自粛と矛盾した政策であったことは、だれの目にも明らかです。外出自粛を続け、手指消毒・マスク着用等の感染予防策に努め、感染・拡散防止を図るしかありません。家庭内での感染予防も必要です。
桜を観る会問題について安倍前総理大臣が国会で何やら話しましたが、私はあの内容では不十分だと思いました。皆さんは如何ですか?

今年最後の土日、申し訳程度に「大掃除」を「少し」やりつつ、今回の投稿を今年最後の記事と致します。明日月曜から30日までお勤めの身でありますので、記事作成と投稿するには今日という機会しかありません。

↓前回の続き「FM(Field Manual) 21-100 Soldier's Handbook」(1940年版)です。

前回はChapter 6 まで見ました。今回はその続きChapter 7 からです。

↓第7章 兵士の学校 武装無し(徒歩部隊)(School of the soldier without arms(Dismounted))。第1節・姿勢、第2節・ステップと行進。


↓気を付け(Attention)の図です。体育の時間に習った事が蘇ります。


↓第8章 兵士の学校 武装あり(徒歩部隊)(School of the soldier with arms(Dismounted))。第1節・総則、第2節・ライフルの取り回し、第3節・装填と発火、第4節・自動小銃の携行、第5節・ピストルの取り回し。


↓「Sling Arms」の図(左ページ)とオーダー・アームズからポート・アームズへの動作(右ページ)。この辺の用語は旧軍の控え銃、担え銃、捧げ銃などのどれに相当するか、専門家の解説をご参照下さい。私はその辺はキッチリ勉強できていません…。この章は新兵が一番勉強する部分なのかと思います。ここに揚げたイラストのほか沢山の解説イラストが載っています。ORDER ARMS, TRAIL ARMS, SLING ARMS, PRESENT ARMS, (RIGHT/LEFT) SHOULDER ARMS, PARADE RESTといった基本動作を叩き込むための重要な章です。

第4節で自動小銃(BAR)について特別に第2節にある他のライフルとは異なる所作が定められています。

↓第9章 分隊と小隊の教練(Squad and platoon drill)。第1節・分隊、第2節・小隊。分隊レベル、小隊レベルでのFALL INや叉銃や行進が解説されています。


↓叉銃の動作。


↓叉銃の完成。


↓第10章 営内の衛兵の仕事(Interior guard duty)。衛兵としての心得11か条を覚えさせられます。また歩哨の居眠りや不適切な職務遂行は軍法会議によって厳罰に処されるとのキツイ注意喚起がなされています。


↓第11章 行軍・キャンプ・露営(Marches, camp and bivouacs)。第1節・行軍、第2節・キャンプと露営。


↓(上)兵士ひとり1枚支給されるテント(シェルター・ハーフ)を2人分2枚使ってテント1張りを作ります。(下)そのテントを縦に2つ繋ぐと4人用テントが作れます。


↓第12章 コンパスと地図の使用法(Use of compasses and maps)。第1節・コンパスの使い方、第2節・地図の使い方。


↓伝統的地図記号(左)と軍用のシンボル(右)。


↓第13章 安全と防御(Security and protection)。第1節・総則、第2節・個人の安全、第3節・小部隊の安全。


↓地形に関する軍隊用語。


↓正しい掩護法。


↓家屋への接近法、渡河法。


↓第14章 軍隊の衛生と応急処置(Military sanitation and first aid)。第1節・軍隊の衛星、第2節・応急処置。


↓止血のポイント(左)と止血帯の使用法(右)。


↓第15章 糧食。garrison ration(駐屯地での糧食)とfield ration(野戦糧食)とがあることや、「我が政府は世界の他のどんな国よりも兵士の食料にお金を使っている…などと書かれています。


↓第16章 給料と手当(Pay and allowances)。最初の4か月は月21ドル、その後月30ドルとなり、以降は頑張りに応じたモノとなる…となっています。


↓1940年9月16日付の法定月給が記されています。曹長は126ドル、技術軍曹と1等軍曹は84ドル、2等軍曹は72ドル、3等軍曹は60ドル、伍長が54ドル、1等兵が36ドル。2等兵は前述のとおり30ドル。


↓1等兵、2等兵では電気、機械、無線、打鋲、木工、事務、調理といった「専門職」にはそのグレードに応じて6段階で手当が付加されました。休暇、積立、天引き、政府保険、減額、埋葬費についての定めが続きます。


↓第17章 最期の意志と遺言(Last will and testament)。このページの空欄に書き込む形で遺産の処分権限を与えて遺贈者を定める遺言状が出来上がります。2人の証人の署名が必要です。


↓附録(Appendix)。一般的軍隊用語集で、今でも十分通じる(使われている)ものも沢山あります。




はい、こんなところです。軍隊専門用語が多いので「的確」に訳すのは難しいです。英文に相当慣れ親しまないと、独特の語感やニュアンス・用法は体感できないです。まあ大体の意味が掴めればいいかなと思っております。全ての専門用語(術語(テクニカル・ターム))が旧軍と米軍に共通しているとは限りませんしね。こういった軍発行の「紙モノ」からは軍公式の用語の使い方や「正しい」情報が得られるので、兵士の実際の経験談と同様コレクションや当時の「兵隊文化」の理解に有益です。


それでは今回はこの辺で失礼いたします。今年もおっさんの戯言・繰言にお付き合いくださいましてありがとうございました。
また来年もどうか暖かい目でお付き合いくださいますようよろしくお願い申し上げます。
みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。







  

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2020年12月06日

FM 21-100 ソルジャーズ・ハンドブック(U.S. FM 21-100 Soldier's Handbook)

みなさん、こんにちは。
ご存知の通り新型コロナウィルスの感染者数の増加傾向がもの凄い勢いになって来ました。
マスク着用・手指等の消毒励行・不要不急外出の抑制の徹底で、お上からの禁止令が無くとも増加傾向の上昇を抑え、減少へと向かわせたいところです。その中でビジネスがどうにかこうにか回ればいいのですが、上手くいかないものですかねぇ。とうとう当地大阪では医療非常事態宣言とやらが出ました。「できる限りの不要不急の外出自粛」をして欲しいそうです。

さて、私も不要不急の外出を控え、まだまだ平年の気温と比べて暖かい日が続く当地大阪郊外の寓居から定刻を大きく遅れてお送りします今回のネタに、アメリカ陸軍のマニュアルの中から「FM(Field Manual) 21-100 Soldier's Handbook」(1940年版)を持ってきました。
アメリカ陸軍のマニュアルと聞けば、一般的な手引書たるField Manual(FM)と、兵器・装備品の技術的・取扱説明書的なTechnical Manual(TM)をまず想起します。

FM 21-100 Soldier's Handbookはその名の通り「兵士のハンドブック」、兵士が知っておくべき基本的な事項について書かれています。マニュアルに代表される紙モノコレクションは、ともすれば軽視されがちなような感がありましたが、資料的な意味では十分コレクションの対象になり得ます。ただ現存数が少ないので海外のWEBアーカイブに頼らざるを得ないのも現状でして、なかなか現物のコレクションは難しいところです。しかし今回採り上げますFM 21-100は基本中の基本、ほとんどの兵士が持っていたモノであるため、その入手は比較的容易で廉価な部類に入ります。

↓表紙です。寸法は縦18.5cm×横11.5cm程で、この寸法は1940年版のモノであって、後の版では縦が1.5cm程短くなっていきます。表紙のデザインもWW2中に変化します。WAR DEPARTMENT(陸軍省)発行の「ベーシック・フィールド・マニュアル」とあります。


↓表紙をめくって本扉には書名SOLIER'S HANDBOOK、その下に「Prepared under direction of the Chief of Staff(参謀総長の指導により作成)」、中央に(旧)陸軍省の紋章。


↓その裏。1940年12月11日付で参謀総長ジョージ・C・マーシャルによる「巻頭の辞」のようなものがあります。曰く「FM21-100『SOLDIER’S HANDBOOK』は関係者全員の情報と手引として出版された。その目的はアメリカ合衆国陸軍に新たに登録されたメンバーに基本的な軍事情報の便利でコンパクトな情報源を与え、よってより効率的に職務を遂行するのを助けるものである。 陸軍長官の命により:G.C.マーシャル」


↓前書きです。「貴君は今合衆国陸軍の一員となった。」から始まって徐々に兵士としての心構えを意識させ自覚を促すような記述が並んでいます。


↓前書きが終わったら(左ページ)、「兵士の記録」欄があります。


↓目次のページ。全17章立てで巻末に附録として「一般的軍事表現の用語集」と索引があります。



↓第1章 一般知識(General information)(以下、原語からの邦訳は私の拙い知識経験からの「最適訳」ですので、その拙さはどうぞお許しください。)第1節・集団生活における責任、第2節・下士官・将校との関係、第3節・市民との関係、第4節・軍務、第5節・戦争条項、第6節・屯所・駐屯地の活動。


↓第2章 軍の規律と礼儀(Military discipline and courtecy)。第1節・軍の規律、第2節・軍の礼儀。


↓第3章 徽章(Insignia)。第1節・兵科、第2節・将校と下士官。 


↓第4章 組織(Organization)。squad、section、platoon、company、troop、battery、battalion、squardronといった「グループ」について解説されています。


↓第5章 被服(Clothing)。第1節・支給、第2節・被服の手入れ。第3節・制服の着用。


↓第6章 武器と装備(Arms and equipment)。第1節・手入れの責任、第2節・M1ライフルの各部名称と手入れと清掃、第3節・M1911オートマチック・ピストルの各部名称と手入れと清掃および安全装置、第4節・安全上の注意、第5節・ガスマスク、第6節・野戦装備、第7節・歩兵用背嚢、第8節・馬上の個人装備パッキング、第9節・装備品の供覧。


↓ここでピックアップ。第2節の解説写真。文字だけでは分かり難いモノについては適宜このような写真があるので参考になります。


↓こちらも。第3節の解説イラスト。M1911オートマチック・ピストル、所謂ガバメントの縦断面図です。こんなのを見ながら、「longitudinal」は「縦軸の」という意味なのか…と、英単語を自然に覚える事ができるのも、マニュアルを読むことの有益な効果の一つです。


↓第5節の解説イラスト。簡易ではありますが、機構・仕組みが分かります。このイラストのガスマスクは1941年には限定採用となったM1A2です。ちょっと古いです。


↓第6節の兵用装備品目録のようなモノ。どのように装備するか、徒歩部隊、乗馬部隊、車両ドライバーなど別に説明されています。


↓第7節の解説イラスト。このイラストにあるハヴァーサックも、このマニュアルが出た頃には既にM1928が出ていましたが、何故か後ろのベルトサスペンダーが1本の旧式のM1910となっています。まあWW2に突入した際に旧式のM1910の在庫が沢山あって多く支給されましたが。

↓同じく第7節の解説イラスト。左のページにはパックキャリアでロールも巻き込んだフル状態のハヴァーサックとカートリッジベルト・水筒・ファーストエイド・パケット・パウチとのセット。右ページはオーバーコートを折る第一段階の図。袖を内側に裏返しにして…


↓と、オーバーコートを巻物状にして(左ページ)、右ページのようにハヴァーサックの上に積み重ねられるようにする手順が説明されています。


↓左ページは第8節の解説イラスト。これは砲兵の馬上への装備品積載図。右ページは第9節の装備品の供覧図(徒歩部隊)。このイラストもWW2としては超初期の装備が幾つかあります。ミート・カン、ヘルメット、ファーストエイド・パケット・パウチ、ガスマスクなど。ライフルは最新のM1(ガーランド)ですのに。



このまま最終章まで行きますとちょっと長くなりますので、この続きはまた次回にお送りします。



  

Posted by Sgt. Saunders at 15:40Comments(0)米軍(U.S.)Manuals

2020年11月15日

U.S. M1カービン・オイラー(M1 Carbine Oiler)

みなさん、こんにちは。
このところ一週間くらいの内に新型コロナウィルス感染者数の増加率が大きくなっています。寒い気候になり閉鎖空間の換気率が低くなったからだとか、油断して3密回避を疎かにする人が増えてきてたからだとか色々言われていますが、とにかくマスクを着用し、手指の殺菌消毒励行で罹患回避に努めましょう。

さてそんな中地味に控え目に新規投稿いたします今回のネタは「M1カービン用オイラー(Oiler, Carbine, Cal..30, M1)」です。もちろんM1だけでなくパラトルーパー・モデルたるM1A1やM2、M3カービンにも使用されます。オイラーの名の通り、ガン・オイルを適宜塗布するためのツールで、M1小銃(ガーランド)やBARやトンプソンなど他の制式銃にもそれぞれ専用のオイラーが準備されました。オイラーはドラマーではありません。

↓はい、日本語で言えば単純に「油缶」です。メンテナンス用のオイルが本体に入り、塗布用のロッドの付いたネジ式の蓋とで構成される、とてもシンプルなモノです。なおオイル漏れしないよう蓋と本体との間のパッキン材としてはWW2中当初は革製でしたが後にゴム製になりました。本個体ではゴム製です。


↓本当はWW2中製造のモノが欲しいのですが、まだ入手出来ていませんで、本個体はヴェトナム戦末期製造の、透明のビニールで個別包装されている未使用未開封のデッドストックです。ですのでもうこの頃はパッキンはゴム製です。


↓ちょうどビニールが破れている部分が一部掛かっていますが、Federal Stock Number(FSN)は1005-556-4364、品名はシンプルに「OILER」とだけの表記。「EA」と「A」は? 「2/74」は1974年2月契約の意。


↓包装裏側。中に封入されている約3cm平方の紙片は何でしょうか。良く分かりません。何らの表記もありません。


↓鉄製のパーカライズド仕上げ。キャップの外周には縦と斜めにローレットが刻まれています。WW2期にはブルー仕上げのモノもあったそうです。


↓底部に円と「IS」の製造者を示す刻印マーキング。「IS」は「International Silver」社製造の意です。

ここで少し注釈をいたしますと、M1カービンのオイラーは殆どがInternational Silver社が作り、M1カービンの製造業者向けに納入していました。M1カービンが制式採用され製造が始まった当初は、International Silver社が作ったオイラーに、自社のイニシャルである「I」と、各納入先会社のイニシャルとを組み合わせた個別のマーキングを施して納入していました。例えば有名なところではInland社向けのオイラーには自社の「I」とInland社の「I」との組み合わせでマーキングは「II」、Winchester社向けのモノには自社「I」とWinchesterの「W」との組み合わせで「IW」、Rock-Ola社向けのモノには「IR」といった具合です。しかしそのうちにそんな面倒くさいことはやはり省略されていき、自社のイニシャル「IS」のみでマーキングをおこなうようになりました。
因みにInternational Silver社以外では「SW」とか「BK」とかのイニシャルのオイラーが存在するらしいですが、製造者名はまだ知りません…。また、無刻印のモノもあるそうですが、多くはWW2後の製造なんだそうです。以上本稿のデータはBruce N. Canfield著Complete Guide to the M1 GARAND and the M1 CARBINEからの引用情報です。

それでは今回はこの辺で失礼いたします。また2週間後にお会いしましょう。さようなら。




  

Posted by Sgt. Saunders at 12:03Comments(2)米軍(U.S.)Fire arms-Related